第2話 聖女と魔女の約束
「──私は、あなたに殺されに来ました」
「……は?」
今、私はなんて言われた? 私の聞き間違いか? 殺しに来た、ならまだ理解できたかもしれない。だって、今私の目の前にいるのはこの国に破滅を齎す魔女でなのだから。
「聞き取れませんでしたか? あなたに殺されに来た、と言ったのです」
……聞き間違いではなかった。さすがに同じことを二回も聞いて理解できないほど私の頭は腐っていない。
いや、それにしたって……
「すみません。言っていることの内容と表情が一致しなさすぎて……」
遊びに来たよ、くらいのテンション感で殺されに来たなんて言わないで欲しい。それも全てを包み込んでしまうような穏やかな表情で。言っていることと表情、そして破滅の魔女なんて二つ名の全てが今の状況と一致しなさすぎる。
「そうですか? 魔女が聖女のもとに殺されに来た、と言っているのですから、そちらにとって何も都合の悪いことはないはずですが……」
……そうだ。状況こそ意味が分からないが、聖女の悲願である討伐対象が目の前にいるのだ。この機を逃す手はない。
ない、のだが……
「んっ……! ぐぅっ……!」
両手で握られているせいで腕が動かせない。腕に魔力を流して強引に振りほどこうともしたけれど、その程度ではびくともしなかった。
殺されに来た、なんて言うのなら大人しくこの場で殺されてくれればいいのに、どうしてこの魔女は私の手を放そうとしないのだろう。
「は、放して……!」
「おや、その程度ですか? 現代の聖女は随分と非力ですね」
魔女の声色はもはや楽しそうですらあった。というかもはや微笑んでいた。これではほとんど小動物扱いである。
魔女の手から逃れようと必死にじたばたする私。そしてそれを楽しそうに眺める魔女。どっちが殺される側なのか、傍から見ればどう見ても私じゃないか。
「殺されに来たとは言いましたが、これでは殺してもらいたくても殺されなさそうですね」
そう言って、掴んでいた手を放す魔女。じたばたしていた私は突然解放されたことで思いっきりバランスを崩した。
認めたくはないが、今の状況から見ても私と魔女の力の差は歴然だ。とても今の私にこの魔女を殺すだけの力があるとは思えない。
この場にいるのが自分であることに歯噛みをしたくなる。私ではなく先代であったのなら力量の差はもっと少なかったはずなのに……
「ああ、気を落すことはありませんよ。仮に歴代最高と謳われた先代の聖女であっても私を殺すには至らなかったでしょうから」
本当に聞きたくなかった事実が耳に入ってきてしまった。先代ですら手が届かないほどの存在を私に殺せと? そんなの……
「一応言っておきますが、無理だ、とは言わせませんよ?」
「……私の心読んでます?」
「聖女にあるまじき弱気な表情をしていたので」
聖女にあるまじき、か……。
歴代の聖女なら、私と同じ立場になった時にどんな表情をするのだろう。少なくとも先代なら私のように諦めに近いことは考えなかっただろう。
「まあ、そういうことなのであなたには力を付けてもらいます。私を殺せるだけの力を」
「どういうことですか……」
どこがどうなってそうなった? この魔女の思考が一切読めない。
「伝わりませんでしたか? 今のあなたには私を殺せるだけの力が無い。だから私を殺せるようになるまで成長してもらう、ということです」
この魔女を殺せるようになるほどの力をつける……。それはすなわち、先代をも超える存在にならなくてはならないということ。歴代最高の聖女の名を、私の物にするということだ。
「あなたは聖女としての悲願を果たすことができる。私はあなたに殺されるという目的を達成できる。これはお互いにとって利があることなのです。分かりますね?」
夜風に吹かれて魔女の髪が揺れる。どこか空虚にすら感じる魔女の群青色の瞳は、真っ直ぐに私を捉えている。それは、私がこの魔女から目を逸らすことを許していないかのようだった。
こうなってしまった以上、私はもう逃げられない。
……逃げる? 私はなぜ逃げようとしているんだ?
そうだ、この魔女の言うことは何一つ間違っていない。これは私にも利がある話なのだ。
民たちが安心して私に頼ることができるような聖女になりたかったんじゃないのか? 先代のような、強く、優しく、民から認められるような、そんな聖女に。
だったら、私に断る理由はない。逃げるだなんて、それこそ先代の顔に泥を塗ってしまうような行為ではないか。これは二度とは訪れない機会なのだ。先の失敗を取り返すには、これ以上ない機会。
それならば、私の言うべき言葉は一つだけだ。
「……分かりました。私はいずれ、必ずあなたを殺します」
その言葉を聞いた魔女の表情はどこか満足気で、自分が殺されるその時を楽しみにしているようにも見えた。
「……やっと、聖女らしい表情を見せてくれましたね。期待していますよ」
私と魔女の間に月光が差す。
私はいずれこの魔女を殺す。そして、民たちから認められる存在になる。そんな決意を固めた瞬間だった。
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