11話
数日後、史帆の通夜と告別式が行われた。
その日、空は鉛のように重かった。
式場には同級生たちが集まり、泣きながら線香をあげる。
教師たちは沈痛な面持ちで保護者に謝罪し、うつむいていた。
棺の中に眠る史帆は、まるで眠っているだけのように可愛かった。
けれど、
その可愛らしさが余計に残酷に見えた。
「……っ」
昂輝は棺に向かって手を合わせながら、堪えきれずに涙をこぼした。
(ごめん……)
(俺が……俺が……)
隣に立つ雅は、その肩にそっと手を置いた。
「橘くん。大丈夫だよ。私がいるから」
その声は柔らかく、慰めに満ちていた。
しかし雅の瞳は、棺に眠る史帆を見つめたまま微動だにしなかった。
(さよなら、史帆ちゃん)
(あなたは綺麗なまま、終わるんだね)
(それなら……炎で焼かれた価値はあったよ)
雅は一ミリも悲しんでいない。
むしろ、心の奥で“安堵”を覚えていた。
(これで私の未来は守られた)
(あとは……橘くんを完全に私の世界に連れてくるだけ)
学校は以前とはまったく違う雰囲気になっていた。
廊下は静かで、昼休みは声が小さい。
文化祭前の明るさは完全に消えていた。
「あの事故……本当に急だったよな……」
「中村さん、優しかったよね……」
「怖い……火気ってこんなに怖いんだ……」
クラスメイトたちは口々に語り、記憶が傷ついている様子だった。
その中心にいるべき人物──
橘昂輝は、今も沈んでいた。
授業中もぼんやりし、休み時間になっても席を立たない。
弁当を開けていない日もあった。
「橘、大丈夫か?」
「無理すんなよ……」
友達が声をかけても、昂輝は微弱に頷くだけ。
その横で、雅が静かに寄り添っていた。
(うん……その調子)
(あなたは今、弱いままでいい)
(私が必要になるように)
放課後。
昇降口で靴を履き替える昂輝に、雅は自然な声で言う。
「橘くん、帰ろう?」
「……うん」
「今は無理に友達と話さなくてもいいよ。
人が多いと疲れちゃうし」
「……そうかも」
「私と帰るほうが落ち着くもんね」
その言葉は誘導ではない。
慰めでもない。
洗脳の布石だった。
相手の心が弱っているときこそ、一番強い印象が刻まれる。
雅はそれを本能で知っていた。
実際、昂輝の顔が少しだけ和らぐ。
「……雅といると……安心する」
(ほらね)
(あなたは昔から、私の手の中で生きているの)
昇降口から外に出ると、夕方の風が吹いていた。
「寒くない?」
雅が袖を引く。
「寒いよね? 少し早歩きしよ?」
昂輝は弱々しく笑う。
「うん……ありがと」
(その“ありがとう”が聞きたかった)
(もっと言って。もっと私を頼って)
つばさの家に戻ると、夕飯までの時間は自由だった。
雅は当たり前のように昂輝の部屋へ入る。
「橘くん、今日授業大変だった?」
「……あんまり覚えてない」
「そっか。じゃあ、宿題は私がみてあげるね」
「……ありがとう」
雅は机に教科書を広げ、丁寧にノートを取る。
その横で、昂輝はぼんやりと天井を見上げていた。
(こうして、少しずつ……)
(私が作る世界に閉じ込めていけばいい)
雅は自然な声で尋ねる。
「ねぇ橘くん。
無理して学校行かなくてもいいんだよ?」
「……でも……」
「私は橘くんの味方。
休んでても、誰も責めないよ」
「……雅だけだよ……そんなふうに言ってくれるの」
その言葉が、雅の胸に甘く響いた。
(そう。私だけでいいの)
(私だけが……橘くんを救えるんだよ)
数週間が過ぎると、周りの生徒たちも異変に気づき始めた。
「橘……最近ずっと建部さんと一緒だよな」
「ってか、あいつ他のやつと話してなくね?」
「建部さん……なんか怖いわ。ずっと笑ってるけど目が笑ってないときあるし」
教師も言う。
「橘、悩むのは分かるが……話せる大人を頼れ」
「……はい」
しかし昂輝は誰にも相談しなかった。
なぜなら──
(話せるのは……雅だけでいい)
その考えがすでに刷り込まれていたからだ。
史帆の死に対する昂輝の感情は、日を追うごとに形を変えていった。
(俺のせいだ)
(俺が弱かったからだ)
(仕方なかったんだ)
(誰も悪くない……雅が言った通りだ)
(俺には雅しかいない)
“罪悪感”は、
雅が丁寧に擦り替えた結果、“依存”へと変わっていく。
これは絶対に偶然ではない。
雅は毎日、何度も言葉を繰り返した。
「橘くんは悪くない」
「事故は誰にも止められなかった」
「橘くんは優しいから、傷ついちゃってるだけ」
「私だけは橘くんの味方だよ」
「ねぇ、私はね、橘くんが必要だよ」
それは催眠のように、昂輝の心に沈んでいく
ある夜。
昂輝はベッドに座り、泣き疲れた子供のように呟いた。
「……雅。
お前がいてくれなかったら……俺……」
続く言葉はひとつだった。
「……俺、生きていけなかったよ」
雅の心臓が高鳴った。
(あぁ……やっと言った)
(その言葉が聞きたかった)
(それはね──“私が欲しかった愛”そのものなんだよ)
雅は昂輝の顔を両手で包み込み、ゆっくり微笑んだ。
「大丈夫だよ。
橘くんは、私が守るから」
その瞬間──
昂輝は完全に、雅の“世界”に落ちた。
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