第56話「砦の攻防」

朝焼けが森を染める頃、遠くで太鼓と角笛の音が鳴り響いた。

その低く響く重奏は、誰の胸にも嫌でも「戦の始まり」を告げる。

「敵襲!敵襲!」

見張りの兵の声が高く砦に響いた。

エルバーン伯爵は腰を上げ、顔を紅潮させて言う 。


「ついに来たか!」


「よし、迎撃だ!」


ゼノは淡々と告げると、命令を飛ばした。

その落ち着いた声音に、兵たちの動きは自然と整っていく。

焦りが恐怖を呼び、恐怖が崩壊を招くことを、ゼノは誰よりも知っていた。


リディアは砦の中で、傷病兵の受け入れ準備を進めながら祈るような気持ちで耳を澄ませていた。

外では甲冑が擦れ合い、矢を束ねる音がする。

これから山賊の砦での争いよりずっと大きな規模での命の奪い合いが始まるのだ、そう思うとリディアは足がすくむ思いだった。


だが、ゼノの声を思い出す。

「守る戦は野戦よりもずっとやりやすい」

そう言っていた彼の横顔を、リディアは思い浮かべていた。


そこでリディアは、自分にしかできないことをやろうと思った。

そして、ルナを呼んでその背にまたがる。

ルナは颯爽と飛び立ち、朝霧を切り裂くように白い翼を広げた。


「我は聖獣と契りし者!我に刃向かうものは、聖獣の怒りに触れ滅びを迎えるであろう!」


リディアのその凛とした声は、敵味方の陣に響き渡った。


「せ、聖獣……?あれが?

「あ、あれは昨夜も空を飛んでいた……!」

「あの獣が、ラグリファル王国の味方を……?」


聖獣の伝承を知らない者も多かったが、知っている者は語りたがる。

王国に勝利をもたらす聖獣、その伝承は瞬く間に広がった。

こうしてリディアの思惑通り、ヴァルハルゼンの兵士たちの間にルナに対する畏怖の念が広がった。

さらに、味方の士気も上がったのだ。


「ありがとう、リディ……」

「聖獣様、誠にありがとうございました!」


ゼノを押しのけてエルバーン伯爵がルナを出迎える。

その横で少し拗ねた顔をしている団長に、団員たちの心は和んだ。


「ただいま、ゼノ」


そう声をかけられると、ゼノの機嫌は直った。


***


森の向こうでは、グリモー侯爵が指揮棒を掲げていた。

3千の兵がその背後に並び、盾を構える。


「ここで手柄を立てれば褒美は思いのままぞ!一気に砦を攻め落とせ!」


彼の声は朗々と響き、兵たちも気勢を上げた。

館を焼かれ物資を奪われ、王に恥をかかされた屈辱。

それを晴らす機会を逃してはならない。


「突撃――!」


鬨の声が森を揺らした。

次の瞬間、砦の上から一斉に放たれた矢の雨が空を覆う。

盾を掲げた兵の上にも、斜め後ろにも、容赦なく降り注いだ。

さらに濠もグリモー侯爵の兵の前進を妨げる。


「この短期間によく準備できたものだ」


敵であるエルバーン伯爵に称賛の声を漏らすグリモー侯爵。

それほど深い付き合いがあったわけではなく、むしろ気は合わなかったが、それでも侯爵はエルバーン伯爵の能力を高く評価していた。

そして、評価しているからこそその忠義は揺るがないだろうこともわかっていた。


「この男が最初の壁となるだろう」


とグリモー侯爵は思っていたのだ。


その予想通り、砦側の防御は想像以上に堅い。

しかし、侯爵の顔に焦りはなかった。


「強敵だと認めているからこそ、下調べも万全にしているのだ」


***


砦の上では、ゼノが淡々と指揮を続けていた。


「弓兵、装填を急げ。次は左側の林間に集中射を――そうだ。……撃て!」


矢の音が空を裂く。

彼の命令は短く、無駄がなかった。

恐怖も興奮もない。ただ、戦場を読み切る目と声。

その静けさが兵たちを支えていた。


その時、ヴァルハルゼンの兵士のいる場所にだけ雹が降った。

もちろん、それはルナの仕業だ。

盾を持っている相手にはあまり効果はないが、聖獣の奇跡を目の当たりにすることで恐怖心も増すだろう。


実際、ヴァルハルゼン兵の士気は落ちかけた。

だが、グリモー侯爵はこれを知っていた。

山賊を攻めた時の指揮官に聞いていた通りだ。


グリモー侯爵の信任厚いその指揮官は、すぐ隣にいた。


「これがお主の言っていた聖獣の手品か」


「はっ!」


殊更に聖獣の力を認めようとしない物言いは、グリモー侯爵の性格を表していた。

奇跡など存在しない、そんなものに頼る者は脆弱だ。

その信念のもと、グリモー侯爵は叫んだ。


「盾で防げる程度の奇跡など恐るるに足らん!聖獣と言えど、その程度の力しか持っておらんのだ!そんなものより目の前の人間を倒せ!さすれば富貴栄誉は思いのままぞ!」


グリモー侯爵も凡庸な人物ではない。

あっという間に兵の動揺を抑えると、再び激しく攻め立てた。


***


「敵の兵が少なくありませんか?」


戦局を見守っていたリディアが、隣の衛生兵に尋ねる。


「砦や城を攻める時、攻める側が多ければ兵を交代させて攻め続けるんです。こちらは休む間がない、相手は常に新手を投入できる」


「それでは負けてしまうではありませんか」


「こちらも全員で守らずともこれくらいなら交代で休憩を入れることができます。敵は数で上回っていますが、こちらにも地の利があるのです。ゼノ様なら大丈夫でしょう」


ここでも兵士はゼノを信頼し切っている。

そんなゼノの力になれるよう私もいろいろと学ばなくては、とリディアは決意を新た。


***


戦局が膠着状態に陥った頃、グリモー侯爵が不敵な笑みを浮かべる。


「そろそろ頃合いだな。よし、遊撃隊を出撃させよ!」


その言葉と共に、一団の兵士たちが進み始めた。


***


「ゼノ様、エルバーン様、敵の一団が西の森に向かっております!」


その報告を聞いた時、エルバーン伯爵は青ざめた。

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