第55話「決戦前夜」

森の闇がまだ濃く、夜の静けさが辺りを包む。エルバーン伯爵領の砦では、作戦会議が行われていた。


「そろそろ敵が攻めてくる頃合いだろうか」


ゼノは、エルバーン伯爵にそう問いかけた。


「そうですな。すぐに攻めてこられたら少し危ないところでしたが、時間が稼げて助かりました。ゼノ様が物資を奪ってくれたことが効いたのかもしれませんな」


エルバーン伯爵が答える。

リディアは隣で、物資の目録を確認していた。

彼女の表情には疲労が滲むが、ゼノの冷静さに安心している部分もある。


「いつ攻めてこられるかと思いながら日々を過ごすのは大変疲れますね」


ゼノはこんなことをずっと続けているのか、と思うとリディアは心配で仕方がなかった。

ゼノは静かに頷き、焚火の炎を見つめた。

この人に安らかな人生を送って欲しい、とリディアは思った。


もちろんその横にはルナがいる。

そして、エルバーン伯爵もルナにぴったり寄り添っている。

まるで初めて見た相手に懐いているひよこのようだ。

それでいて、なかなかな策士なところが油断できない。


「聖獣様と話すことができれば、偵察をお願いしたいところですねえ」


ルナはそれに対して「フルルゥ」といつものように返事をした。

これは肯定や上機嫌の時の鳴き声のようだ。


「でも、聖獣様のような存在がこちらについていると知らしめるだけでも敵に恐怖心を植え付けることができるかもしれません。


「それも一理あるな。リディア、頼めるか?」


「はい」


と答えてリディアはルナに敵の上空をしばらく飛んでくれるように頼んでみる。


ルナは「フルルゥ」と肯定の意を表して、高く飛び立った。


その間、砦では作戦会議が続けられる。

エルバーン伯爵は地図を広げ、自信ありげに言った。


「この数日間で砦の前に濠を掘ることも出来ましたし、矢の調達も十分です。そう簡単に落とされることはありますまい」


ゼノは短く頷いた。

この砦で時間を稼いで王都からの援軍を待つ、というのが基本的な戦略だ。


少数だが近隣領主には兵を送ってくれた者もいる。

だが、ラグリファル王国が負けた時のことを考えて旗幟を鮮明にしていないものも多い。

ラグリファル王国は大陸一番の強国なのに、レオン王太子はそれだけ頼りなく人望もないのだ。


「敵は必ず近いうちに攻めてくる。武具の準備は万端にしておけ」


ゼノは副官に命じる。

その揺るぎない声は、部下を安心させるものだ。

そんなゼノに、リディアが小声で話しかける。


「ゼノ様……ご武運をお祈りいたします」


エルバーン伯爵は楽観的なことを言ったが、2万対4千の戦いだ。

リディアが不安になるのも当然だろう。


「砦を守る戦は野戦よりもずっとやりやすい。だから、心配はいらない」


ゼノもリディアの不安を払拭しようと力強く言った。

リディアもその気持ちを汲み取り、ゼノの目を見つめて真っすぐ頷いた。


***


その頃、ヴァルハルゼン王グラウベルトはグリモー・ハルデン侯爵を呼び出していた。

館を焼かれ、物資も奪われたグリモー侯爵は肩身の狭い思いをしている。

今は一番大きな民家を借り上げてグラウベルト王の居所としていた。

本当なら自分の館で盛大にもてなしているところなのに、とグリモー侯爵は唇をかんだ。


「グリモー侯爵、そなたの失態によってわが軍は数日を無駄にすることになった」


「はっ、大変申し訳ございません」


グリモー侯爵の額を汗がつたう。


「明日攻撃を開始する。そなたは先陣となって汚名を晴らせ」


「ははっ!ありがたき幸せにございます!」


グリモー侯爵のこの言葉は、決して追従などではない。

失態があったとはいえ、グリモー侯爵も知恵者として知られているのだ。

戦になれば、相手を出し抜く自信はある。

雪辱の機会をすぐに与えられたことを嬉しく思った。


「侯爵よ、任せたぞ」


グラウベルトは命じた。

戦の幕は間もなく切られる。


森の上空、朝の散歩(飛んでいるのだが)に出たルナの翼が朝日に光る。

その姿は圧力として敵に届き、味方には静かな勇気を与える。

ゼノは味方の動きを確認し、再度地図を見つめる。


「絶対に負けるわけにはいかん」


彼の心は冷静そのものだが、戦への集中は極限に達している。

涼しい風が森を抜け、葉を揺らす。

静けさの中に潜む緊張、遠くで響く鳥の声。

それを引き裂くような声が響いた。


「敵襲です!」


戦の幕は、開かれた。

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