第25話「信頼」
それは2年前の話――ラグリファル王国に不穏な空気が流れたのは、王ガラハルトが倒れたという知らせが広がった日だった。
動揺する王都。その隙を突くように、隣国ヴァルハルゼンの王グラウベルトは密かに動き出していた。
地方領主たちの不満を焚きつけ、王太子に不信を抱かせ、王国を内側から瓦解させる。
その計画の一端が、外交文書の不正操作と地方巡察の混乱だった。
だが、そこに予想外の存在が立ちはだかった。
王太子の婚約者、リディア。
王宮の中ではまだ若い娘としてしか見られていなかった彼女は、与えられた任務――文書管理や使者の調整、民心への気遣い――を黙々と、誠実に果たしていた。
その地道な働きが、ヴァルハルゼンの策略をいくつも無効化することになった。
政府の(そのほとんどはリディアの)誠実な対応によって地方領主の不信感は静まり、外交混乱は未然に防がれた。
「偶然だとは思いますが、あの小娘は邪魔ですな」
ヴァルハルゼン王国の一部の側近はそう言って肩をすくめた。
だが、王グラウベルトの目は鋭かった。
「どうも相性が悪いのかもしれんが、奴がいると儂の思いどおりに事が進まん」
彼は静かにそう言い放つと、新たな策略を命じた。
それは、リディアの追放。
すべては、この有能で相性の悪い小娘を王宮から遠ざけるため。
狙い通り、リディアは追われるように辺境の地・ミルファーレ村へと送られた。
策略が成功したことを報告されたグラウベルトは、椅子の背にもたれながら満足げに呟く。
「うまく追い出せたようだな……」
***
それから数ヶ月が過ぎた。
春の終わりを迎えたミルファーレ村で、異変が起こった。
子どもたちが次々に発熱し、咳をこぼし始め、大人たちも食欲を失っていった。
リディアはすぐに村の広場に駆けつけた。
既にゼノが現場を把握し、手際よく隔離区域を設け、水源を確認し、感染の拡大を抑える手を打っていた。
「水場が汚染されてる。川の上流に獣の死骸でも流れ込んだか……」
ゼノは低く呟くと、村の若者に簡易の浄化装置を作らせ始める。
しかし問題は物資だった。
消毒用の布も、保存食も、薬草も足りない。
「ゼノ、これを使って」
リディアは自分の倉庫を開け、貯めていた薬草や布、防疫用品を持ち出した。
この村に来てから、万一のためにと用意していた備蓄だ。
……その中には、王都から届いた物資もあった。誰の意図によるものかは、リディアにもわからなかった。
「リディア……こんな事態を想定してたのか?」
ゼノが驚いたように問うと、リディアは少し恥ずかしそうに目をそらした。
「私は、私にできることをやっておきたかっただけです」
「……リディアにはいつも助けられれてばかりだな」
小さく笑ったゼノの顔に、いつになく穏やかな表情が浮かんでいた。
村の熱は数日で静まり、子どもたちの笑い声が戻った。
村人たちは自然と、2人を信頼するようになっていた。
「リディア様がいれば、もう安心だ」
「ゼノ様も、一晩で隔離区作ったんだってさ」
夕暮れの畑で、村人たちのそんな声が風に乗って流れてくる。
その日の夜。
リディアは、村の高台にひとり立って夜空を見上げていた。
そこへ、背後から足音が近づく。
「ここにいたのか」
振り返ると、ゼノが立っていた。
どちらからともなく、肩を並べて夜空を眺める。
「……あなたがいてくれて、本当によかった」
「それは、こっちの台詞だ」
静かな時間が流れた。
胸の奥が少しだけ温かくなる。
リディアは、自分の中に芽生えた感情に気づき始めていた。
ゼノのほうは、もうとっくにそれを自覚していた。
***
王都から、ゼノの守る国境への命令書が発送された。
「国境騎士団の兵を三千から二千に減らすように」
ヴァルハルゼンが、国境の兵を減らしたらしい。
緊縮財政を推し進めているエリザベートは、それならこちらも減らせば余計な出費を抑えられる、と思ったのだ。
それは、国のためを思う者として誤った判断だとは言い切れない。
ヴァルハルゼンに謀略がなければの話だが。
この命令書を、ユリウスはすぐに知ることのできる位置にはいない。
ゼノはヴァルハルゼンに対して油断はしていないが、謀略までは察知していない。
そして、国境騎士団三千のうち千は解散となり、王都で別々の任務に就くこととなった。
ゼノは、半身を奪われたような感覚にさらされた。
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