第23話「静かなる歩み」

春の風が吹き渡るミルファーレの丘。

リディアは、村の小さな医療小屋の前で、種の仕分けをしていた。

薬草畑を広げる準備が進んでおり、ゼノの提案で、今年は村人にも薬草の知識を共有することになっていた。


「こっちはエルフェリア、乾燥させて解熱に使うのよ」


リディアは目の前にしゃがんだ少女に優しく語る。


「あの花、青くて可愛い」


少女が少し離れた場所に咲いている花を指さして言った。


その後方で、重い足音が近づく。振り向けば、ゼノが木箱を一つ担いで歩いてきた。


「リディア……殿の言った通り、土は東側の方が柔らかかった。種はこっちに植える方がいい」


額に汗を浮かべながら、少し不器用に言葉を紡ぐその姿は相変わらずだが、どこか以前より近しく感じられた。


「ありがとう、ゼノ。あなたって意外と几帳面なのね」


リディアが笑って言うと、ゼノはほんのわずかに頬を赤らめ、木箱を地面に降ろした。

子供たちと一緒に大雨の中避難小屋に閉じ込められていたのを助けられて以来、リディアはゼノを名前で(しかも呼び捨てで)呼ぶようになっていた。

ゼノは、それがどうしても気恥ずかしかった。

だが、ゼノも本当はリディアとの距離を近づけたい。

それでも、「リディア殿」と呼ぶのが精一杯なのである。


リディアは、再び少女の方に目を向ける。

少女の指さした先にある花に目をやり、リディアはふと母親を思い出して口を閉じる。

それを察したゼノが、そっと声をかけた。


「……あの花、前にも見ていたな。リディア……殿はあれが好きなのか?」


不器用な問いだった。でも、その声には優しさがにじんでいた。


「はい、幼い頃から好きでした。王都では……母が、よく温室に植えてくれていたの」


リディアはそう言って、少し笑った。


「懐かしい記憶ね。思い出すと、今でも胸が詰まるけれど」


ゼノはしばらく何も言わなかった。

最近の明るいリディアを見ていると忘れてしまいそうになるが、リディアは王都から犯罪人として追放されてきたのだ。

当然、辛い思いをしてきたのだろう。


しかし聖獣のため、村のため、子供のため、偏屈な猟師や騎士団長のために尽くしている様子を見ると、リディアが罪を犯すとは思えない。


そして、ゼノは思い切ったように呟いた。


「……リディア……殿がここに来てから、村は変わった。皆が前より笑うようになった。俺も……少しは変われたかもしれん。そんなリディア……を、俺は信じている」


ゼノは、少し言葉を震わせながらその言葉を口にした。

消え入りそうな声で名前を呼ぶゼノの言葉は、リディアの心に深く届いた。


「ありがとう、ゼノ。そう言ってくれて、嬉しい」


リディアの目が、少し潤んでいた。


***


春の陽光が差し込むラグリファル王国の首都。その一角に佇むマクレイン伯爵家の邸宅は、白亜の壁と手入れの行き届いた庭園が印象的だった。

その門前に、黒の礼装に身を包んだ青年が立っていた。

ユリウス・グレイ。諜報部に籍を置きながら冷遇されている彼は、今、ある決意を胸にこの屋敷を訪れていた。


「ユリウス・グレイ様ですね。どうぞお入りください」


執事の案内で邸内に通されると、重厚な扉の向こうから、柔らかな香りと共に、落ち着いた空気が流れてきた。

応接室の扉が開かれると、そこにはギルベルト・フォン・マクレイン伯爵……リディアの父が静かに座っていた。


「初めまして、ユリウス・グレイと申します。突然の訪問をお許しください」


ユリウスが一礼すると、ギルベルト伯爵は穏やかな笑みを浮かべた。


「こちらこそ、わざわざお越しいただきありがとうございます。どうぞ、おかけください」


席に着いたユリウスは、深呼吸を一つしてから口を開いた。


「本日は、ご息女リディア様の件でお話ししたいことがあり、参りました」


ギルベルト伯爵の表情がわずかに引き締まる。


「あの者は……罪を犯して追放されたと聞いておりますが?」


ユリウスは頷き、慎重に言葉を選んだ。


「実は、リディア様の追放には、隣国ヴァルハルゼンの陰謀が関与している可能性がございます」


ギルベルト伯爵が驚きの表情を浮かべる。

ユリウスは静かに続けた。


「エリザベート様の背後に、ヴァルハルゼンの影が見え隠れしております。リディア様の追放は、王太子レオン殿下を操るための布石であると考えられます」


ギルベルト伯爵は目を丸くした。


「それは……エリザベート・ド・セルヴァ様が、ひいてはセルヴァ家がヴァルハルゼンに通じているということか?」


「エリザベート様の忠義は疑いようがございません。ただ、セルヴァ家の当主はヴァルハルゼンに情報を流すことで小銭を得ていたようで……」


「セルヴァ家の当主……少々軽率な方と聞いている」


「ヴァルハルゼンの考えはまだわかりません。ですが、今の友好関係は表面上のものかと」


「そこにリディアの追放……。闇は深そうじゃな」


「私はリディア様の潔白を証明し、王国の安寧を守るために、伯爵様のお力をお借りしたいと考えております」


ギルベルト伯爵は、深く考えてから口を開いた


「私は王国への忠誠を第一とする身。もちろん王国の安寧のために協力しましょう……それとは別に、父として、リディアを信じて下さりありがとうございます」


マクレイン伯爵は、はるかに年下のユリウスの手を握って頭を下げた。

こうして、ユリウスとギルベルト・フォン・マクレイン伯爵は、王国の平和を守るため、そしてリディアの名誉を取り戻すために手を結ぶこととなった。




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