第4話 信頼

 火の海の奥で、ゆっくりと風が巻き上がった。その中心から、赤金あかきんに青を溶かしたような羽が一枚、また一枚とひらめく。羽の先が燃えて、散った火の粉が空に昇るたび、空気そのものが透きとおっていく。まるで炎が光の羽衣はごろもに変わるみたいだ。

 熱のうねりが耳の奥まで届いて、足元の岩がかすかに震えた。溶けた金属を流し込んだような地表がゆらめく。俺は気づけば息を潜めていた。島そのものが、巨大な心臓みたいに脈を打ってる。


 その輝きの中で――朱雀すざくが姿を現した。赤と金と青の境目がゆらいで、見ているだけで胸の奥が熱くなるような存在だった。


「久しいな、ラウス」

「ギンシュさん! 会いたかった!」

 俺は勢いよく手を振った。


「少し落ち着け」じっちゃんが小声で言う。「ギンシュは今は朱雀だぞ」

 そして朱雀に向き直って頭をかく。

「すまねえな。バカな孫で」

 朱雀は、笑うように目を細めた。


「ラウス。いつでも歓迎だが、今日は何か用だったのか?」

「うん! 聞きたいことがある」

「言ってみなさい」

「玄武の門、俺だけ通してくれなかったんだよ。何か資格だとかアイテムみたいなのがいるらしい」

「それをわたしに与えろと?」

「違う! 聞きたかったんだ。たとえばギンシュいや、朱雀さんだったら」

「ギンシュでよい」

「ギンシュさんだったら、"相手を認めたら何を渡すのか"を教えてほしい!」

「なるほど。わたしが認めたら与えるもの、だな」

「そうだ」

 

「それはもちろん、宝珠だな」

 隣でじっちゃんが低くうなった。

「宝珠は渡さん!」

「じっちゃん、わかってるって!」


「それから……灰だな。わたしの燃えたあとの灰だ」

「あー、あれ! ギンシュさんの灰! でももう残ってねぇ。じっちゃんを生き返らせるために全部使っちゃった」

「ラウス……」じっちゃんが困ったようにつぶやく。

「きれいさっぱりない!」俺は胸を張って言う。

「そうだったな」ギンシュさんは穏やかな声で答える。


 炎がゆるやかに揺れて、火の粉が落ちるたび、青がかすかに混じっていく。

 その色の中で、俺はぽつりとつぶやいた。

 

「……なんかさ、ギンシュさんといるとルルのにおいがするんだ。落ち着く」

「ルルのにおい、か」

 朱雀が目を細める。

「それはあのむすめが、わたしに自らの血をもって癒しをくれたからだ。あの優しい娘の癒しが、いまなおこの身に残っている。ラウスはそれを感じ取っているのだろう」

「ルルの癒しのにおい……会いてぇな」

 言ったあと、自分の声が思ったより弱くて驚いた。照れ隠しのように大きな声を出す。

「ルルは今ごろ岩尾も一緒だから大丈夫だ!」


「岩尾?」ギンシュさんが尋ねる。そうだ、会ったことなかったな。

「うん。俺の親友。人間で、すげえ気持ちのいいやつだ」

 急にギンシュさんの火が大きく揺れた。


「ん? ギンシュさん、大丈夫?」

 俺が聞くと、ギンシュさんは答えた。

「ああ。……だが」一瞬、言葉が止まる。「代々の朱雀の記憶が、まだ騒いでいる。人間への......憎しみが」


「むかしの朱雀の? ギンシュさん、大丈夫なのか?」

「グンザがいる。抑えられる」


 ギンシュさんはいつもの穏やかな声で言って、じっちゃんを見た。


「そうだ。任せておけ」

 じっちゃんが頼もしく胸を張る。


 でも――

 そのときの炎の揺れが、なんとなく気になった。

 

 少しの沈黙のあとで、俺は小さく顔を上げる。

「――あれ? ギンシュさん、認めたら灰を渡すって言ってたよな。ってことは、俺、もう渡してもらったよな。つまり、俺のこと、もう認めてくれてたってこと?」


「いまごろ気づいたのか」

 朱雀が微笑する。


「えー! じゃあなんかくれー!」

「ラウス!」

 じっちゃんの拳骨げんこつが落ちた。

「いってえ!」


 朱雀が柔らかな羽音をさせる。笑ってるんだろうな。

「わたしからこれ以上何かを与えれば、それは"眷属けんぞくあかし"となる。つまり、ラウスをわたしの眷属にしてしまうのだ」


「俺はギンシュの眷属だ」

 じっちゃんの声だった。静かで、確信に満ちている。

「そうだ。だがラウスは、まだ誰の眷属にもなるべきではない」

 朱雀が応じる。

「ラウスは途中の者。まだ、誰の下にも属さぬ自由を持っている」


「それに――」朱雀が目を細めた。

「ラウスを独り占めしたと、青龍や白虎に恨まれるかもしれぬしな」

「恨まれる?」

 朱雀は何も答えず、炎の中で笑った。


「わたしから直接何かを与えるのは控えよう」

 朱雀が、静かに言った。

「だが、信頼された眷属から託されるのならば――それは、よいのではないか?」


「眷属から……託される?」

 俺が首をかしげる。

「つまり、俺か」じっちゃんが腕を組んで言った。

「じっちゃんが?」

「他に誰がいる」


 じっちゃんが首をひねって考える。

「とはいえなぁ……おまえに渡せるものなんて毛くらいしか……」

「毛はちょっとなんだかな!」

贅沢ぜいたく言うな!」

「爪とか?」

「いや、爪はまた伸びるけどなぁ……あんまり縁起がよくねぇ」

「じゃあ、牙とか」

「牙ぁ!? バカ言うな! 牙がなけりゃ宝珠のまもりに差し障る! ……ような気がする」

 最後のほうで声が小さくなる。

「ような気がするってなんだよ」

「自信はねぇ!」


 俺があきれたようにため息をつくと、朱雀がくすくすと笑った。

「どうやら、"贈り物"はなかなか難しそうだな」

「そりゃそうだろ!」じっちゃんが反射的に言い返す。

「俺はヒグマだぞ! そう簡単に牙なんざ――」


 そのときだった。

 火の海の向こうから、さらりと風が流れた。熱の匂いの中に、微かに冷たい鉄のような気配が混じる。

 朱雀が羽をひと振りして言った。

「……来たようだな」


 炎が割れて、その奥から一人の大きな男が歩み出た。灰色の髪、鋭い眼光。まっすぐ立てた耳。豊かな尻尾が揺れている。

 狼男――ライカさんだった。先代朱雀のまもり人。


「……ライカさん!?」

 俺は思わず立ち上がる。

「いまの朱雀の眷属でなくとも、聖獣の眷属であればよいのだろう?」

 低い声。

「ならば、わたしの牙を使え」


 じっちゃんと俺の声が重なった。

「はあっ!?」

 

「ライカさん、何言って――!」

「狼の牙っつったら、狼の象徴みたいなもんじゃねぇか!」


 ライカさんは静かに笑った。

「しばらくは、牙がなくとも問題ない。わたしの主の目覚めは、まだずっと先だ。そのころまでには、また生える」


「ライカさん……でも、それは――」

 止める間もなく、ライカさんは手を伸ばして、ためらいもせず自らの牙を折った。短い音が、乾いた空気の中で響いた。


「ライカさん!!!」

 俺の叫びが、紅蓮の島にこだまする。


 折れた牙を、ライカさんは掌に包んで、俺の前に差し出した。

「おまえのおかげだ、ラウス。朱雀の苦しみは救われ、宝珠は受け継がれた。心から感謝している」


 俺の目から、ぼろぼろと涙がこぼれた。

「じぶんで……狼が牙を折るなんて……そんな……ライカさん……」

 言葉にならない。


 ライカさんはかすかに微笑んだ。

「泣くな」

 俺の両手を取って、その手の中に、狼の牙をぎゅっと握らせた。


「これは、わたしのおまえに対する信頼の証だ――きっとおまえの"資格"となるだろう」


 俺の喉が震える。

「……俺が、もらっていいのか」

「おまえだからだ」

 ライカさんの声は、炎よりも穏やかだった。

「おまえが欲しがっている。理由はそれで十分だ」


 俺は涙で視界が滲む中、その牙を強く握りしめた。熱く、重い。でも、痛みじゃなかった。

 ――体の奥の、何かが形になった気がした。


「……ありがとう、ライカさん」

「気にするな」


「……やれやれ。情の深いやつだな」

「おまえもだ、グンザ」朱雀が穏やかに羽を鳴らす。

「……まいったな」


 炎がふたたびゆらめいて、ライカさんの姿が朱に溶けていく。最後に、彼の声だけが残った。


「その牙を持って行け。進め」


 火の粉が散って、静寂が戻る。

 俺は涙をぬぐって、ぎゅっと拳を握った。

「俺、絶対やり遂げる」


 朱雀が穏やかにうなずく。

「行け。おまえの道は、まだ途中にある」


 俺は深く頭を下げる。その手の中には、狼の牙が静かに光っていた。

 

「ファルク」

 駆け寄る。「もう一回、北だ」

「承知! 不死鳥タクシー、再び北行きっス!」


 翼が再び空を切った。朱雀とじっちゃんが見送る姿が遠くなる。風が吠える。


「待ってろよ、みんな!」

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