異世界ニャロン探検隊・・・サトシ消失編・・・
若草花音
第1話 ニャロンとまもりと美味しいインド料理
♦︎ニャロン広報センター
奈良・餅米センター街。 夢長屋の奥まった細い路地は、昼下がりの陽射しが斜めに差し込み、 古い木の香りと揚げたてコロッケの匂いが混ざっていた。
その一番奥の、小さな店舗。
そこに立っているのは—— 鮮やかなピンク色の法被を着た二つの存在だった。
ひとりは、深い夜の底を思わせる青黒い毛並みの猫型異星人・シュバルツ。 もうひとりは、地球人そっくりの人型ロボット・ウエルテル。
法被の背中には黒い筆文字で大きく「ニャロン公報」と書かれている。
「みんな〜〜! ニャロン星の広報担当、シュバルツだよぉぉぉ!! 本日は〜〜、もふもふ触り放題だよぉぉ!!」
相変わらず、路地の空気を震わせるような大声だ。
「……シュバルツさん。その……声量を二段階ほど下げていただけると……助かるのですが……」
ウエルテルは恥ずかしそうに法被の裾を握り、 ちらりと周囲の視線を気にしながら、小さく苦言を呈した。
「えっ。広報ってのはさ、まず“勢い”でしょ? 勢いがあればナン5枚はいける!」
「ナンの枚数は関係ありません……」
ウエルテルのため息が、小さく風鈴みたいに鳴った。
そんなふたりのやり取りに、商店街を行き交う人々が足を止めはじめる。
「え、かわ……」「本物なの?」「触っていいのかな?」
そのころ、奥から制服の女子高生たちの声が迫ってきた。
「え!? あれほんもの? ニュースで見たやつじゃん!」 「やば……ふわふわそう……!」 「行こ行こ行こ!!」
3〜4人の女子高生が、弾むような足取りで駆け寄ってくる。
「きゃーー!! かわいい!! 触っていいですか!?」 「写真! 一緒に写真撮ってください!!」 「うそ、耳なにこれ……神……!」
「ど、どうぞどうぞ〜〜〜!!」 シュバルツは両手を広げ、ピンクの法被をバサッと揺らして歓迎する。
その瞬間—— 四方八方から“攻撃”が始まった。
「ぎゃー!! ほわほわしてる!!」 「ちょっと耳触って! やばい手触り……!」 「しっぽふわふわ! しっぽ撮らせて!!」
わしわし! もふもふ! ぎゅっ!
女子高生の手の嵐が、シュバルツの全身を包み込む。
「ぬ、ぬおぉ……! あ、あの……ちょっと……! や、やりすぎ……くすぐ……っ、ぅにゃああ!?」
ピンクの法被がグシャッとなり、耳が立ったり倒れたり忙しく動く。 足は踏ん張っているが、されるがまま。
「ちょっとこの毛並み反則でしょ……」 「写真撮り放題すぎる……!!」
シュバルツは完全に抵抗不能になり、 もふられ続けるまま、目が半分とろんとし始め——
最終的にはその場に膝をついた。
「……も、もふり……つよ……い…… 人類……恐るべし……」
ついに、ぐでぇ〜〜っと倒れ込む。
その姿を、少し離れた場所で見守っていたウエルテルは—— 胸の前でそっと拳をにぎり、小さく頷いた。
♦︎県立北町高校・1年A組
5限目が終わった教室には、じわりと夕方の光が差し込み、黒板の端にできた影がゆっくり伸びていく。
まもり(若草真森)は、一番後ろの窓際の席に静かに座り、数学の教科書を開いていた。ページの端には薄く鉛筆で書き込まれたメモ。解き方の整理だろうか、整然と並ぶ数式は彼女の几帳面さをそのまま映している。
周囲の席は空いていて、まもりの周囲だけ少し空気が静かだ。他の生徒たちのざわめきが遠く感じられる。
「ねぇ聞いた!? センター街の夢長屋にさー、ほんまにニャロン人おるんやって!」 「え、それマジ? あの猫みたいなやつ?」 「そうそう! 超もふもふらしくて、触らせてもらったって人がSNSであげててさ!」 「やば! めっちゃ行きたいんやけど!」
キャッキャとはしゃぐ声が教室前方から聞こえてくる。 まもりは、教科書から目を離さず、その会話だけ耳に入れた。
──もふもふねぇ……。
ページをめくる手は止まらない。しかし心の中では、冷めた声が響く。
──バカじゃん。 猫みたいだからって群がるとか、ほんとミーハーすぎ。
眉はほんの少しだけ寄るが、表情にはほとんど出さない。小さくため息をつき、式を追う視線だけがわずかに鋭くなった。
「ねえねえ、放課後いこや! 会えるかなぁ!」 「うち絶対触る! 噂じゃ腕ムキムキらしいで!」 「グッズも配ってるらしいし!」
また笑い声が弾ける。
──勝手に触んなよ。迷惑でしょ。 ……ってか、そんなに可愛いわけ?
心の中のぼやきは続くが、声に出すつもりはまったくない。
窓の外の風がカーテンを揺らし、まもりの黒い髪をそっと撫でる。
彼女はそれに気づいて、ふっと頬を緩めた。 わずか一瞬しか見えない、柔らかくて白く輝く高価な宝物のような微笑み。
すぐに消え、また淡々と教科書へ視線を戻す。
まもりの世界は、まだ彼女一人の静かな場所に閉じていた。
♦︎ 放課後
帰宅を告げるチャイムが校舎に響き渡り、 むわっとした初夏の空気が開け放たれた窓から入り込んでくる。
真森は、教室のざわつきを背に受けながら、ゆっくりと教科書を閉じた。 湿気を含んだ風がふわりと黒髪を揺らす。
「なぁ、行こや! ニャロン人、まだ夢長屋おるってー!」 「昨日ツレが行ってんけど、めっちゃもふもふやったって!」
前の方でクラスメイトたちが騒ぎながら帰り支度をしている。
──はいはい。 もふもふで盛り上がれるって、幸せな脳みそしてんじゃん。
心の中でだけ呟き、表情は変えない。 鞄を肩にかけ、ゆっくりと教室を後にした。
学校を出てまっすぐ帰れば10分ほど。 けれどまもりは、いつもの癖で自然と遠回りの佐保川へ向かう道を選んでいた。
川沿いに出ると、初夏の風景が広がる。 川面にはきらきらと強い日差しが跳ね、 濃い緑の葉をつけ始めた桜並木が影を落としている。
春の柔らかい桜とは違って、初夏の佐保川は生命力がぐっと濃い。
川の水面の煌めきが、彼女の微笑みを誘う
まもりは心の中で少しだけ弾む。 こういう景色だけは、彼女の心を穏やかにしてくれる。
制服の袖からのぞく腕に、少し汗がにじむ。 でも、風が吹くとそれがひんやり心地いい。
川沿いの草むらからは夏の虫の声が聞こえはじめ、 遠くの方では子どもたちが水切りをしてはしゃぐ声が響いてくる。
まもりは静かに歩きながら、 さっきまで胸に溜めていたざらついた感情を少しずつ溶かすように、 空、川、風、草の匂いを順に吸い込んだ。
♦︎ 機関車の車輪のある公園
川沿いを抜けて住宅街へ入ると、 角に置かれた大きな機関車の車輪が、夕日に照らされて黒く光っていた。
夏の初めの夕方特有の、少し重たいオレンジ色。 その光が車輪の金属に反射して、なんとなく帰ってきた感じがする。
「……ただいま、車輪さん。」
まもりは誰にでもなく、車輪に向かって小さく呟く。 子どもの頃からの癖だ。
そして、公園を曲がるとすぐに 木の看板がぶら下がった「北まち漢方」が見えてくる。
店先からは薬草と乾燥した柑橘の皮の混ざる、独特のやさしい匂いが漂っていた。 夏になると、この匂いが夕方の湿気と混ざって胸にじんわり沁みる。
まもりは一度だけ深呼吸し、 少し汗ばんだ手で年季の入った木の引き戸に触れた。
カララ……。
その柔らかな音が、夏の初めの帰宅を告げる。
♦︎ 北まち漢方・夕暮れ
夕方の湿った風と一緒に、乾燥した薬草の香りが店内に漂っている。 棚には瓶に詰められた漢方素材がずらりと並び、 奥では煎じ薬の機械がコトコトと低い音を立てている。
引き戸が「カララ……」と鳴った瞬間、 店の奥にいた老人が顔を上げた。
白髪をきちんと撫でつけ、落ち着いた雰囲気をもつ西松光希(にしまつみつき)。 まもりの母方の祖父であり、この「北まち漢方」の店主だ。
「……おかえり、まもり。」
ゆっくりした、心の奥に染み込むような声。
その声を聞いた瞬間、 さっきまで無表情だったまもりの顔がぱっと華やいだ。
まるで別人のように。
「ただいま、おじいちゃん!」
はにかむでもなく、作り物でもなく、 自然に浮かぶ”一級品の笑顔”。
家族の前だけに見せる特別な表情だった。
光希はその笑顔を見るたびに、 優しさをもらう。
「今日も暑かったろう。麦茶、冷やしてあるぞ。」
「うん、後で飲む!」
まもりは靴を脱ぎ、店の奥へと軽快に入っていく。
その動きには、学校の静かで影を落とした彼女からは想像もできない、 柔らかい軽さがあった。
◆にゃんこもろもろ
洗面台で井戸水を使った水を出し、 まもりは手を丁寧に洗う。 冷たい水が、火照った指先に心地よい。
顔を洗い、鏡を見て 、乱れた髪を整える。
──よし。少し微笑む。
声には出さないが、まもりの表情に小さな満足が浮かぶ。
階段を上がり、二階の自分の部屋へ。 ドアを開けると、広くはないが整えられた空間が迎えてくれる。
3つの本棚には文庫本や趣味の本、参考書とノート。 机の上には几帳面に並べられた筆記具。 窓際には押し花にした桜の花びらが挟まれた小さなアルバム。
まもりは床にカバンをそっと置き、 肩から荷物を下ろすようにふぅ、と息をついた。
やっと、自分の時間。
ここでは、 誰にも気を張る必要がない。
静かに窓から風が入り、 夏の匂いを運んできた。
まもりは机に向かい、ノートPCを開きお気に入りの白いヘッドホンを耳にかける。 ”にゃんこもろもろ”の、新しい曲が流れ始めた。 女性ボーカルの少し切ない声が、部屋の静けさの中を満たしていく。 窓の外には、初夏特有の夕暮れの気配――少し橙がかった光が、カーテンの端を染めていた。
数曲が流れたころ、ノートPCの画面の隅に小さく通知が現れる。
「聡:今日は金曜だから、18時には大学から帰れるよ。マンナでみんなで食事しない?」
5歳年上の兄聡(若草聡)からの通知であった。まもりをいつも守ってくれる存在だ。憧れの存在。
まもりは、軽く目を細めながら ふっ と息を吐く。 学校では誰にも見せない、安心したときだけ出る柔らかい眼差し。 指がキーボードを静かに叩く。
「うん。行く。」
ーーー
♦︎マンナ 店内
インド料理店「マンナ」は、奈良の古い商店街の一角にある。 外観は派手なオレンジ色の看板と、スパイスの香りが漏れ出す扉。 店に入った瞬間、甘いバターの匂いと、マサラ、ココナツとクミンの香りが混ざり合ってふわっと広がる。まもりはココナッツが大好きだ。
「イラっシャいまーしぇ!」
奥から聞こえてきたのは、マンナ店長・ラジェッシュの独特なイントネーション。 今日も元気で、優しさが滲み出た笑顔。
「サトシ、タべにキテくれたのですか。ありがトうねぇ〜」
「こんばんは店長。今日は食べにきました。」
聡は丁寧に頭を下げる。聡は高校の時からこのマンナでアルバイトをしている。聡は兎に角ファッションに疎すぎてダサい。今日も 少し大きめの、どこか昭和感のある柄シャツは“おじいさんのお下がり”だ。
まもりの隣に聡が立ち、店長は4人がけテーブルへ案内する。 メニューを開くと、スパイスの香りがまた漂ってきて、まもりは少しワクワクしながらページをめくった。
「今日はどれにしようかな……」
まもりが悩んでいると―― ふと、視界の端に、小さな動く影が入る。
一つ離れたテーブル席。 そこには、ピンク色の法被をお揃いで着た、 シュバルツとウエルテル。
シュバルツは、巨大なナンを前脚でつかみ、 もう完全に戦いとしか思えない勢いで食らいついていた。
バフッ! モグッ! モグモグモグ!
ナンがちぎられるたび、ふわっと粉が舞い、 シュバルツの口元にはバターがぺったりついている。
そんな様子を横目で見ていたウエルテルは―― 急に、まわりの客の視線を気にしてサッと周囲を見渡した。
一瞬で顔が赤くなる。
「……ほんと、シュバルツさん……もう少し落ち着いて食べてよ……」
声は小さく、ため息まじり。 そして、恥ずかしさに肩をすくめ、背中をちょっと丸めて座り直す。
まるで、「知らない子です」と言いたげな表情。
しかし、シュバルツはそんなことお構いなし。
モグッ、モグッ、モグモグ……
幸せそうな咀嚼音だけが、店内にのんきに響いていた。
♦︎まもり、鋭くシュバルツを注意する
まもりはメニューを閉じ、ふと横の席へ目を向けた。
――シュバルツが、相変わらずナンを獣のようにむさぼっている。
モグッ! ガブッ! モシャモシャッ!
粉は散る、皿は揺れる。 その横でウエルテルは「もう無理……」と肩をすくめ、完全に羞恥心で固まっていた。
見ているだけでイライラが沸点へ近づく。
まもりは椅子を引き、はっきりした声で言い放った。
「あんた!」
シュバルツの耳がピンッと立ち、モグモグしながら固まる。
「んっ……んむむむ?(※口いっぱい)」
まもりは眉を吊り上げ、横浜訛り全開で続ける。
「ここ、お店なんだけど? 行儀悪すぎ。 食べ方、見てらんないんだけど。 少しは周りのこと考えなよ、ったく。」
カレーの皿を抱えたまま、シュバルツは何か言おうとするが、
「んんっ! んぶるるっ、んむむむむ!!」
意味不明の音しか出ない。 ナンの切れ端がプルプル震えながら口の端に張り付いている。
まもりはすかさず、
「何言ってるか分かんないし。まず水飲み込みなよ。 トシ君見習いなよ、あの人静かに食べられるんだから。」
聡は苦笑しつつも、まもりの怒りは正当だと思い黙って見守る。
ウエルテルは小さく頭を下げ、
「……すみません。本当に……」
と申し訳なさそうに肩を落とした。
まもりは深い溜息をつき、勢いよく席へ戻る。
その背中は、はっきりと“怒ってます”と語っていた。
席へ戻り、メニューを開いたまま俯く。
……あたし、なんであんなに怒ったんだろ。
普段なら、他人のマナーなんてどうでもいい。 クラスの騒ぎにも無関心でいられるのに。 わざわざ口挟むなんて、あたしらしくない。
心の中で小さくため息をつく。
(……トシ君がいるから、かな。)
聡の穏やかな食べ方、丁寧な仕草、落ち着いた声。 そういう“きれいなもの”が好きで、 その真逆みたいなシュバルツの態度が なんだか無性に腹立たしく見えてしまった。
でも――
(……まあ、いいか。どうでも。)
まもりはメニューを指先でぱらりとめくり、 視線をゆっくり文字の上へ滑らせた。
怒りも戸惑いも、 心の深いところでゆっくりと沈んでいき、 表情はいつもの無関心さへ戻っていく。
ただ、胸の奥に、 「なんであたし、あんなに反応したんだろ」の 小さな棘だけが残っていた。
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