第2話 花火大会と白い光

♦︎夏休み、宇治川花火大会の日

期末試験も終わり、湿った空気をまとった夏休みが始まった。
八月に入ると、街のいたるところに花火大会のポスターが貼られ、
観光客の声が増えはじめる。

まもりは自室でにゃんこもろもろの曲を聴きながら、机の上に置かれた一枚のチラシを見つめていた。

「8月 第1土曜日 宇治川花火大会」

チラシには、青と金の線香花火のようなデザイン。
それをくれたのは聡だった。

(……また、あたしを外に連れ出そうとしてんのね。)

心の中では分かっている。
自分が学校と書店以外ほとんど行かず、また家族以外とはほとんど口を聞かず
家にこもってしまいがちなのを、
聡はずっと気にしているのだ。

ため息をひとつ。
でも、兄に誘われれば断れない。


♦︎花火大会当日・夕方

浴衣の紺色が、まもりの白い肌をより際立たせる。
鏡の前で帯を整えながら、少し緊張した息をつく。

(こんなの着て出かけるの、いつぶりだろ。)

京都方面行きの電車に乗る。
窓の外を流れる夕暮れの街。
浴衣姿の親子、カップル。
そんな景色に、胸が少しだけざわめいた。

電車はスピードを落とし、
やがて聡の大学――都大学工学研究科の最寄り駅へ到着した。

18時ちょうど。
まもりは校門の影に立ち、からし色の文庫サイズのカバンを抱えて兄を待つ。

……が。

10分、
20分、
30分。

(……はぁ? またこれ?)

まもりは額に手を当てた。

聡は、とにかく時間にルーズだ。
小さい頃からずっと、何度も何度もこうやって待たされた。
今日は違うだろ、と思っていたのに――

「……もう。しょうがないじゃん。」

浴衣の裾をおさえ、大学構内へ入る。

聡は今年から飛び級で大学院で研究をしている。まもりは4月に一度この研究室を聡に連れて訪れていた。

研究科棟は夏なのに空気がひんやりしている。
まもりは慣れた足取りで、地下へと続く階段を降りた。

足音だけが、静かな廊下に響く。


「工学研究科 エネルギー変換工学第一実験室」

金属のプレートに刻まれた文字。
その奥に、聡の研究室がある。

(……トシ君、また没頭してんだ。)

ドアの前に立ち、ノックしようと指を上げた。

その瞬間、
研究室の向こう側から――

“低い振動音”のようなものが微かに響いた。

まもりは、胸の奥に小さな不安を抱えたまま、
ゆっくりとドアへ手を伸ばした。


♦︎実験室、聡の消失

地下2階の廊下は妙に静かだった。
まもりは浴衣の裾を軽く持ち上げ、
大股で カツッ、カツッ と音を鳴らしながら歩く。

(花火どうすんのよ……!)

怒りが足の速さに乗っていく。
ドアを開けると、研究室の奥――
白い蛍光灯に照らされた作業台に、聡が一人いた。

彼は防護ゴーグルをかけ、
掌に乗るほどの松ぼっくりのような、奇妙な装置を見つめている。

まもりは眉を吊り上げ、怒りのままに歩み寄った。

「トシ君! 花火どうす――」

その瞬間だった。

聡の手の中の“松ぼっくり”が、
パキッ……パキパキパキッ!
と音を立て、勝手に“分裂”しはじめた。

まもりは言葉を失う。

分裂したパーツはふわりと宙に浮き、
聡の頭上でゆっくりと円を描きはじめた。

「……トシ、君?」

返事がない。
聡は目を見開いたまま、装置に釘付けになっていた。

パーツは回転が加速し、
中心に――白い点が生まれた。

ただの光ではない。
そこに“何かの穴”が開いたみたいに、
空間そのものが歪んで見えた。

「な、なにこれ……!」

白点は一瞬で膨張する。
光は強く、強く、
まるで太陽が研究室に突然現れたように眩しくなる。

「トシ君!! 危ない!!」

手を伸ばすまもり。

しかし――
その刹那。

――ドンッ!

音も風も感じる前に、
白い光が聡を包み、
そして一瞬で――

“飲み込んだ”。

眩い閃光の中心へ、松ぼっくりの装置とともに
聡の姿は吸い込まれ、
光は“何もなかったかのように”消え失せた。

パラ……と落ちてきたのは、
ただ一筋の焦げた紙片だけ。

まもりは、
その場に立ち尽くし、声も出せず震えていた。

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