第2話:失敗作のなれの果て
【シーン1:檻の中の残り香】
ガチャンッ、ゴゥン……。
重厚な鉄格子が閉ざされる音が、石造りの地下牢に重く、そして冷酷に反響した。
カチャリと鍵が回される乾いた音。それが、聖女ルミナと外界を隔てる決定的な断絶の合図だった。
錬金術師ゼノスの足音が、コツ、コツ、コツ……と一定のリズムで遠ざかっていく。その音が完全に闇の向こうへ消え失せ、換気扇の低い駆動音だけが残された時、ルミナの張り詰めていた精神の糸が、プツリと音を立てて切れた。
「はぁ……っ、はぁ……、ぅ……あぁ……」
ルミナは力が抜けたように、膝から崩れ落ちた。
湿気を含んだ冷たい床には、古びた藁が乱雑に敷き詰められている。王都の大聖堂、その最奥にある聖女専用の寝室――最高級の羽毛布団とシルクのシーツしか知らなかった彼女の肌に、ゴワゴワとした藁の鋭い感触が容赦なく突き刺さった。
だが、今のルミナにとって、寝床の粗悪さなど些細な問題だった。
もっと恐ろしく、もっと耐え難い「汚染」が、彼女の全身を蝕んでいたからだ。
ヌルリ……、ネチョ……。
身じろぎをするたびに、鼓膜を撫でるような卑猥な水音が響く。
あの男が「消毒」と称して塗りたくった、蛍光ピンク色のスライムだ。
それは時間が経っても乾く気配が全くなかった。むしろ、ルミナの体温と反応してますます粘度を増し、まるで生きているかのように皮膚の上を這い回っている錯覚すら覚えさせる。
「汚い……っ、汚い、汚い……!」
ルミナは半狂乱になり、自分の二の腕を爪で引っ掻いた。
拭い取りたい。この冒涜的な粘液を、一刻も早く落とさなければならない。
しかし、指で拭えば拭うほど、粘液は糸を引きながら広がり、今まで汚れていなかった手の甲や指の間にまで侵食していく。
ジワワワワ……。
皮膚の表面が、微かに痺れていた。
スライムに含まれた「神経過敏薬」の効果だ。
空気が揺れる微かな風圧さえも、羽毛で愛撫されているかのようなゾワゾワとした感覚に変換される。
藁の一本一本が肌に触れる痛みが、脳内で誤変換され、針で突かれるような鋭い快楽の火花となって脊髄を駆け上がる。
「あ、うぅ……! なんで……なんで、こんな……ッ」
ルミナは涙目で、自身の身体を見下ろした。
薄暗い地下牢の中で、自分の肌だけが蛍のように妖しく、ピンク色に発光している。
聖なる白い肌は見る影もない。
乳房の先から太ももの内側、足の指先に至るまで、テラテラと光る粘液に覆われた姿は、まるで娼館の飾り窓に並ぶ淫らな人形そのものだった。
そして何より、股間の奥が熱い。
先ほど、無機質な金属器具によって乱暴にこじ開けられ、処女を散らされた場所。
そこが、ドクン、ドクン、と心臓の鼓動に合わせて疼いている。
痛みはある。裂けるような痛みは確かに残っているのに、その痛みの奥から、じわりと湧き上がる蜜のような熱さが、理性を溶かそうと押し寄せてくるのだ。
(鎮まりなさい……っ! 私は、聖女なのよ!)
ルミナは自身の太ももを強くつねった。
こんな獣のような反応、認めるわけにはいかない。
私は神に選ばれた、気高く清らかな存在なのだ。民衆の祈りを一身に受け、国を護る結界の要となるべき存在なのだ。
こんな地下室で、変態的な錬金術師の玩具に堕ちていいはずがない。
「これは……そう、試練だわ。神が私に与えた、信仰を試すための過酷な試練……」
彼女は震える声で呟き、藁の上に正座した。
粘液で滑る両手を胸の前で強引に組み、目を閉じる。
「おお、偉大なる光の女神よ。迷える仔羊をお守りください……。邪悪な誘惑と暴力から、この身を清めたまえ……」
必死に紡ぐ祈りの言葉。
普段であれば、彼女が祈りを捧げれば、周囲には柔らかな光の粒子が舞い、清浄な空気が満ちるはずだった。その奇跡の光こそが、彼女が聖女である証左だった。
だが、今はどうだ。
シーン……。
返ってくるのは、地下水脈の水滴が落ちる「ポチャン」という音と、自分自身の荒い息遣いだけ。
魔力を封じる『魔素阻害(アンチ・マナ)』の結界が、彼女と天上の神との回線を完全に遮断していた。
祈れば祈るほど、自分の言葉が空虚に響き、孤独感が募っていく。
「お願い……答えて……光を、私に光を……」
焦りが募る。
神の沈黙は、ルミナにとって死刑宣告にも等しい恐怖だった。
もしかして、見捨てられたのではないか?
先ほどの「触診」で純潔を失ったから? それとも、この淫らな粘液に塗れた姿が、あまりにも冒涜的だから?
(違う! 私はまだ穢れてなどいない! 心は……心だけは、あの男に屈してなどいない!)
彼女は頭を床に擦り付け、必死に信仰にしがみついた。
設計図に書かれていた恐ろしい言葉たちが、脳裏をよぎる。
――子宮の培養槽化。
――自我の家畜化。
――触手との融合。
あんな風にされるくらいなら、いっそ舌を噛んで自害したほうがマシだ。
けれど、身体が言うことを聞かない。
スライムの成分のせいか、それとも恐怖で竦んでいるのか、指一本動かすのにも、泥沼の中にいるような重さを感じる。
と、その時だった。
『……あ……ぅ……あ゛ぁ……』
隣の牢獄から、微かな物音が漏れ聞こえた。
それは風の音ではない。
かといって、人間の言葉とも判別がつかない。
喉が焼け爛れた人間が、無理やり声を絞り出しているような、あるいは知性を失った獣が餌を乞うているような、低く湿った呻き声。
「……っ!?」
ルミナは弾かれたように顔を上げた。
涙で濡れた瞳で、鉄格子越しの闇を凝視する。
隣にも、誰かいるのか?
あの狂った錬金術師に捕らえられた、別の被害者が?
恐怖と、ほんのわずかな希望が交錯した。
もし人間がいるのなら。言葉を交わせる相手がいるのなら、この発狂しそうな孤独から救われるかもしれない。
たとえ一緒に逃げられなくとも、「自分だけではない」という事実は、今の脆い精神を繋ぎ止めるための命綱になり得る。
「あ、あの……誰か、いるのですか?」
ルミナは声を震わせながら呼びかけた。
勇気を振り絞り、膝立ちのまま鉄格子へと這い寄る。
粘液が床に付着し、ペチャ、ペチャと卑猥な足跡を残すことさえ、今は構っていられなかった。
「私はルミナと言います。教会から連れ去られて……ひどい事をされて……。あなたは、誰ですか? あなたも、あの男に捕まったのですか?」
返答を待つ数秒が、永遠のように感じられた。
シンと静まり返った闇の奥。
ズルズル……ズルッ……。
聞こえてきたのは、言葉ではなかった。
重く湿った「何か」を、冷たい石床の上で引きずる音。
まるで、中身の詰まった大きな布袋か、あるいは手足の動かない肉塊が、芋虫のように這いずっているような音。
そして、漂ってくる臭い。
鉄格子の隙間から流れてきた風には、地下室特有のカビ臭さとは明らかに異なる、強烈な異臭が混じっていた。
腐った果実の甘ったるさと、排泄物のアンモニア臭、そして古い血液が酸化したような鉄錆の臭い。
生理的な嫌悪感を催すその悪臭に、ルミナは思わず口元を押さえた。
「うっ……」
何かが、来る。
ルミナの生存本能が、激しく警鐘を鳴らした。
あれは人間ではない。
でも、魔獣でもない。
もっと歪で、もっと悲しい、この世に存在してはいけない「何か」が、闇の奥からこちらを覗いている気配がした。
【シーン2:這い回る肉塊】
ペタ……ペタ……、グチュッ。
湿った足音と共に、粘着質な水音が混じる。
ルミナは息を殺し、鉄格子の向こうの闇を凝視した。
何かが来る。獣ではない。だが、まともな人間でもない気配。
「……あ……ぅ……」
闇の中から、その「女」は現れた。
ルミナは目を見開き、喉の奥で悲鳴を凍らせた。
それは、四つん這いに固定された、全裸の若い女だった。
顔立ちは整っており、泥に汚れた亜麻色の髪の隙間から覗く瞳は、かつて理性的だった頃の輝きを微かに残している。
だが、その首から下は、悪夢のような陵辱の形をしていた。
「な……なに、その身体……」
ルミナの視線が、まず女の胸元に釘付けになった。
異常だった。
細い肢体には不釣り合いなほど、乳房が魔術的に肥大化させられていたのだ。
ただ大きいだけではない。皮膚は限界まで張り詰め、青黒い血管が網目のように浮き出ている。その重量に耐えきれず、メロンのような二つの塊はだらりと垂れ下がり、四つん這いで進むたびにブルン、ブルンと重苦しく揺れて床を擦っていた。
そして乳首。
先端は異様に長く引き伸ばされ、黒ずみ、吸盤のような形状に変形していた。
そこからは、ポタ、ポタと、白濁した液体――おそらくは調整された母乳か、あるいは媚薬か――が絶えず垂れ流され、床に白い染みを作っている。
搾乳機に繋がれ続けた家畜の末路。それが一目でわかる形状だった。
「……あ……いい、匂い……」
女は鼻をヒクつかせ、ルミナの方へと這い寄る。
その動きに合わせて、彼女の腰が高く持ち上げられた。
ルミナの目に、女の股間が無防備に晒される。
そこは、さらに凄惨で、冒涜的な改造が施されていた。
「ひっ……!」
陰毛は一本もなく、ツルツルに剃りあげられた秘所。
だが、そこにあるべき「慎ましさ」は皆無だった。
陰唇は赤黒く肥大化し、まるで肉食植物の花弁のように外側へとめくれ上がり、外科的に縫い付けられていたのだ。
閉じることが許されない、常時開口状態(オープン・モード)。
赤く濡れた粘膜が剥き出しになり、奥の膣口がガバガバとあくびをしているのが丸見えだった。
さらに、膣口の周囲には、スライムや精液を効率よく受け止めるためか、別の生物の肉――ひだの多い触手のような肉――が移植され、ヒクヒクと卑猥に蠢いている。
彼女が動くたびに、大きく開かれた穴から透明な粘液が糸を引き、グチュ、グチュと淫らな音を奏でていた。
「ごはん……スライム……」
女はルミナの存在など目に入っていないようだった。
彼女の目的は、ルミナが床に残した蛍光ピンクのスライム。
女はスライムの跡を見つけると、歓喜の声を上げて飛びついた。
ベチャッ!
肥大化した乳房が床に押し付けられ、ひしゃげる。
彼女は顔を床に擦り付け、長い舌を伸ばして汚れたスライムを舐め取り始めた。
レロ、レロレロ……ッ!
ジュルッ、チュパァ……。
「おいひぃ……ごしゅじんさまの味……あまい……」
恍惚とした表情。
床を舐める振動で、垂れ下がった乳房が波打ち、めくれ上がった秘所がパクパクと収縮して愛液を垂れ流す。
排泄も、生殖も、食事も、すべてが「快楽」と「奉仕」のためだけに一本化された肉体。
人間としての機能美を破壊し、ただ穴と肉の塊として再構築された姿。
「やめて……見ないで……そんな姿、見たくない……ッ!」
ルミナは嘔吐感を催し、必死に顔を背けようとした。
だが、女は止まらない。
床を這いずり回りながら、鉄格子の隙間からルミナの牢へと侵入しようとする。
「よこせ……それ、あたしの……あたしのご飯……」
鉄格子に押し付けられた女の胸が、ムギュウと変形し、母乳が勢いよく噴き出した。
開かれた股間が鉄の棒に擦り付けられ、ヌチャヌチャと粘液を塗りたくる。
その顔は、食欲と性欲の区別がつかない混沌とした欲望でドロドロに溶けていた。
「あ、あ、あ……」
ルミナは恐怖で腰が抜けたようにへたり込んだ。
これが、失敗作。
心が壊れると、人間はここまで醜くなるのか。
いや、あの錬金術師は、これを「美しい」と言って愛でるのか。
震えるルミナの視界に、女の首元が映り込んだ。
汚れた髪と、垂れ落ちる母乳にまみれた首。
そこに、太い革の首輪が食い込んでいる。
そして首輪の下には、奇妙なほど繊細な輝きを放つ、ミスリルのチョーカーがあった。
中央に嵌め込まれたサファイア。その周囲に刻まれた、高貴な鷲の紋章。
それは、泥と体液にまみれてもなお、かつての持ち主の身分を主張していた。
「……え?」
ルミナの思考が停止した。
その紋章を知っている。
王宮の夜会で、扇子を片手に高らかに笑っていた、誇り高き公爵令嬢。
彼女は確か、半年前に行方不明になり……神隠しに遭ったと噂されていたはずだ。
「嘘……アリス嬢? まさか、その姿は……アリス嬢なのですか!?」
ルミナが名前を呼ぶと、女――アリスだったもの――の動きがピタリと止まった。
濁った瞳が、ゆっくりとルミナを見上げる。
涎とスライムで汚れた唇が、ニタリと歪んだ笑みを形作った。
「アリス……? ちがう……あたしは、ペット……ごしゅじんさまの、便器……」
その言葉は、ルミナの心臓を冷たい手で鷲掴みにするには十分すぎるほどの破壊力を持っていた。
【シーン3:貴族令嬢の面影】
「アリス……? ちがう……あたしは、ペット……ごしゅじんさまの、便器……」
その言葉は、ルミナの心臓を冷たい手で鷲掴みにするには十分すぎるほどの破壊力を持っていた。
ルミナは鉄格子を握りしめたまま、凍りついたように動けなくなった。
目の前で、涎と母乳にまみれてヘラヘラと笑う異形の女。
だが、ルミナの脳裏には、全く別の光景が鮮烈に蘇っていた。
(嘘……嘘よ……)
それは半年前、王都で開催された夜会の記憶だ。
シャンデリアの光が降り注ぐホールで、誰よりも高価なシルクのドレスを身にまとい、扇子片手に優雅に談笑していた公爵令嬢アリス。
彼女は誇り高く、少し高慢で、しかしその美しさは誰もが認めるところだった。
「私は選ばれた人間ですのよ」
そう言って胸を張っていた彼女の姿。
それが、今、どうだ。
ドレスの代わりに泥と粘液をまとい、香水の代わりに排泄物と腐臭を漂わせている。
高慢だった瞳は理性の光を失い、焦点の定まらない濁った硝子玉のようになり、優雅に扇子を持っていた手は、床の汚れを掻き集めるための熊手のように変形している。
そして何より、あの誇らしげだった胸は、見るも無惨に肥大化させられ、ただ垂れ流すためだけの肉袋に成り果てている。
「あ、アリス嬢……私です、聖女ルミナです! わかりますか!?」
ルミナは悲鳴に近い声で呼びかけた。
信じたくなかった。認めたくなかった。
もしこれが本当にアリスなら、人間はここまで壊れることができるという証明になってしまう。
ルミナの声に、女――アリスだったもの――がピクリと反応した。
彼女は這いつくばったまま、首を傾げる。
その首元で、ミスリルのチョーカーがカチャリと鳴った。
「る……み……な……?」
彼女の唇が動いた。
微かな理性の残滓だろうか。濁った瞳が一瞬だけ、焦点を結ぼうと揺らぐ。
「そうです! 私です! お願い、思い出して! あなたは公爵家の……誇り高きアリス嬢でしょう!?」
ルミナは鉄格子の隙間から手を伸ばし、彼女の泥だらけの肩に触れようとした。
だが、その指先が触れる直前。
「……あ……あぁ……」
アリスの表情が、くしゃりと歪んだ。
それは記憶を取り戻した苦悩ではない。
強烈な「拒絶」と「恐怖」の表情だった。
「ちがう……ちがうッ! アリスじゃ、ないッ!」
彼女は金切り声を上げ、ルミナの手を振り払うように後ずさった。
大きく開かれた股間から、ビュルリと愛液が飛び散る。
「アリスは、悪い子……わがままで、プライド高くて、ごしゅじんさまの言うこと聞かない、悪い子……! だから、壊されたの……だから、作り変えてもらったの……ッ!」
「な……何を……」
「いまのあたしは、いい子……! 見て、見てよぉ……!」
アリスは狂ったように笑いながら、自身の身体を誇示し始めた。
四つん這いのまま腰を振り、異様にめくれ上がった秘所をルミナに見せつける。
「ほら、こんなに広いの……ごしゅじんさまの太いの、いつでも入るの……おトイレも、いつでもできるの……! 排泄も交尾も、全部ご奉仕できるの……!」
彼女は自身の醜い改造箇所を、まるで勲章か何かのように自慢していた。
恥辱を感じるべき部分が、最大の誇りに書き換えられている。
精神の構造そのものが、根底から逆転していた。
「おっぱいも、見て……! ミルク、いっぱ出るの……ごしゅじんさまが『アリスは考える必要はない、ただ産んで出すだけでいい』って……褒めてくれたの……!」
彼女は両手で自身の肥大化した乳房を掴み、ギュウギュウと押し潰した。
ブシューッ!
先端の吸盤状の乳首から、白濁した液体が勢いよく噴射され、鉄格子を濡らす。甘ったるい媚薬のような匂いが、鼻をつく悪臭と混ざり合って漂う。
「やめて……やめてよ……っ」
ルミナは頭を振った。
もう、言葉が通じない。
目の前にいるのは、かつての知人ではない。
アリスという人間の皮を被った、幸福な奴隷だ。
「アリスは死んだの……あたしは、肉便器6号……ただの穴……幸せな、穴……」
アリスは恍惚とした表情で、自分の母乳で濡れた床を再び舐め始めた。
もはやルミナへの興味すら失っている。
彼女の世界には、「ご主人様」と「快楽」と「餌」しかないのだ。
ガタガタとルミナの膝が震える。
これが、「失敗作」。
ゼノスが言っていた言葉の意味を、骨の髄まで理解させられた。
死ぬことではない。
痛めつけられることでもない。
『自分が自分でなくなることを、至上の喜びと感じるようになってしまうこと』。
それが、この実験室における「失敗」であり「完成」なのだ。
(私も……こうなるの?)
想像してしまった。
自分が四つん這いにされ、聖女の法衣ではなく泥と精液をまとい、神への祈りの代わりに「もっと欲しい」とゼノスに乞う姿を。
隣の檻で、アリスと同じように並んで、床の汚れを奪い合って舐める未来を。
「いや……嫌だ……そんなの……」
恐怖で胃液がせり上がってくる。
ルミナは口元を押さえ、壁際で小さくうずくまった。
だが、絶望は追い打ちをかけるようにやってくる。
コツ、コツ、コツ……。
静寂を破り、あの冷徹な足音が再び廊下の奥から響いてきたのだ。
休憩時間の終わり。
そして、アリスにとっての「歓喜の時間」の始まりを告げる足音が。
【シーン4:飼い主の登場】
コツ、コツ、コツ……ピタリ。
冷徹な足音が、二つの牢獄の前で止まった。
その瞬間、隣の牢の空気が劇的に、そして爆発的に変わった。
「あ……! あぁっ! ごしゅじんさま! ごしゅじんさまぁッ!」
先ほどまで床の汚れを舐めていたアリスが、弾かれたように鉄格子に飛びついた。
ガシャン、ガシャン!
四つん這いのまま檻を揺らし、尻尾を千切れんばかりに左右に振る。肥大化した乳房がブルンブルンと踊り、めくれ上がった秘所から、主人の匂いを嗅ぎつけた興奮で愛液が噴き出して床を濡らす。
「……やあ。いい子にして待っていたかな、No.6(ナンバーシックス)」
ゼノスの声は、相変わらず感情の起伏が乏しい、研究者のそれだった。彼は手に、何かが入った薄汚れたバケツを提げていた。
「あいっ! あたし、いい子! お掃除してたの! ご褒美? ねえ、ご褒美くれるの!?」
「ああ。今日は特製の『発情促進餌』だ。たっぷりと味わうがいい」
ゼノスはジャラリと鍵を開け、檻の中に入ると、無造作にバケツを傾けた。
ドボドボドボ……ベチャァッ!
床にぶちまけられたのは、赤黒い肉片と内臓、そして蛍光ピンクのスライムが混ぜ合わされた、強烈な異臭を放つペースト状の物体だった。
「! ごはん! ごはぁぁんッ!」
アリスの目が、飢えた獣のようにギラリと輝いた。
彼女は餌の山に顔を突っ込み、犬食いで貪り始めた――だが、それだけではなかった。
餌に含まれた強力な媚薬が、舌に触れた瞬間、彼女の脳髄を焼き尽くしたのだ。
「んむっ、ぐ、ぅぅぅッ! あ、熱い、お腹、熱いぃッ!」
アリスは餌を口いっぱいに頬張ったまま、ビクンビクンと激しく痙攣した。
そして、我慢できないとばかりに、片手を自身の股間へと伸ばした。
グチュッ、ヌチュ、パンパンパンッ!
「あひぃッ! すごい、これ、すごいぃッ! ごしゅじんさまの餌、きもちいぃぃッ!」
ルミナは信じがたい光景に息を呑んだ。
アリスは、顔を餌の山に埋めて貪り食いながら、空いた手で、常時開口状態に改造された自らの秘所を、猛烈な勢いでまさぐり始めたのだ。
剥き出しになったクリトリスを泥だらけの指で乱暴に擦り上げ、ガバガバに開いた膣口に指を二本、三本とねじ込んでいく。
移植された触手肉が、彼女の指に絡みつき、グチョグチョと卑猥な音を立てる。
「ほら、食べる手も、オナニーする手も休めるな。同時に味わえ」
ゼノスは冷酷に言い放ち、食事と自慰にふけるアリスの背中を革靴で踏みつけた。
「あぎゃッ!? ふ、踏まれたぁ♡ ごしゅじんさまに、踏まれながら、ごはん食べて、オナニーしてるぅぅッ!」
踏まれた刺激が決定打となった。
アリスは白目を剥き、涎と餌を撒き散らしながら絶叫した。
「イくッ! あたし、食べるだけで、イっちゃうぅぅッ! あへぇぇぇぇッ!!」
ドピュッ、ブシューーーッ!
絶頂の瞬間。彼女の身体から、ありとあらゆる液体が噴出した。
股間からは潮が吹き上がり、踏まれた衝撃で肥大化した乳房からは母乳がスプリンクラーのように撒き散らされる。口からは咀嚼中の餌が溢れ出す。
糞尿、愛液、母乳、そして餌。
それら全ての汚物にまみれながら、アリスはビクビクと痙攣し、恍惚の表情で気絶したように動かなくなった。
「……素晴らしい代謝機能だ。これなら、次代の母体も十分に務まる」
ゼノスは満足げに頷き、汚れた靴底をアリスの髪で拭った。
あまりにも冒涜的で、おぞましい飼育の光景。
ルミナは限界だった。胃の中身が逆流し、口元を手で覆う。
「……見たまえ、聖女ルミナ」
不意に、ゼノスの冷たい声がルミナに向けられた。
「ひっ……」
「彼女は幸せそうだと思わないか?」
「しあ……わせ? あれが……?」
「ああ。食欲と性欲が完全に満たされた、至福の瞬間だ。彼女にはもう、人間らしい葛藤など何もない。ただ、与えられる快楽を貪るだけの、完璧な幸福な生物だよ」
ゼノスは、痙攣を続けるアリスの肉体を指差した。
「彼女はかつて、君と同じように高慢だった。だが、自我という重荷を捨て去り、ただの『穴』と『袋』になることを受け入れた結果が、この永遠の快楽だ。……どうだ、羨ましいだろう?」
「う、羨ましい……!? ふざけないで! そんな姿、地獄じゃないですか!」
ルミナは涙声で叫んだ。だが、その声には明らかな恐怖の震えが混じっていた。
「地獄? いいや、地獄なのは『今』の君だ。まだ理性が残っているから、この光景を直視できない。まだ聖女だと思っているから、自慰と食事の同時進行を汚らわしいと感じる」
彼はゆっくりとルミナの牢へと歩み寄ってきた。鉄格子越しに、その冷酷な瞳がルミナを射抜く。
「君も、早く楽になるといい。アリスのように、何も考えず、ただ涎を垂らして快楽に溺れるだけの存在に。……私が、そう『教育』してやるからな」
【シーン5:失敗の定義】
実験室の静寂を取り戻した地下牢に、ピチャ、ピチャ……という湿った音だけが残響していた。
それは、絶頂の余韻に浸るアリスが、自身の体から溢れ出た汚物を、無意識に舐め取っている音だった。
ルミナは鉄格子を握りしめたまま、ガタガタと震えていた。
目の前の光景は、彼女の理解の範疇を超えていた。
かつて誇り高かった公爵令嬢が、汚物まみれになって白目を剥き、それでもなお「幸せだ」と笑っている。
「……ひどい。あまりにも、ひどすぎます……」
ルミナは絞り出すように言った。
怒りよりも、深い絶望が勝っていた。
「あなたは悪魔だ。人の心を壊して、獣に変えて……それを『幸福』だなんて呼ぶなんて」
「訂正してやろう」
ゼノスは汚れたゴム手袋を脱ぎ捨てながら、冷淡に言った。
彼は足元で痙攣するアリスを一瞥もしない。まるで、使い終わった道具を見るような目だった。
「彼女は『失敗作』だ」
「……え?」
「確かに、ペットとしては優秀だ。忠実で、性欲処理もでき、排泄物の処理も自ら行う。だが、私の本来の目的――『魔神の器(ヴェッセル)』としては、完全な欠陥品なのだよ」
ゼノスは実験衣のポケットから手帳を取り出し、何かを書き込みながら語り始めた。
講義でもするかのような、抑揚のない口調。それが逆に、狂気を際立たせる。
「私はね、ただの肉便器が欲しいわけではない。そんなものは、街の娼婦に薬を盛ればいくらでも作れる。私が求めているのは、人知を超えた強大な魔力と、無限の快楽に耐えうる、強靭な『魂の器』だ」
彼はコツン、と鉄格子をペンで叩いた。
「アリスは脆すぎた。改造による身体的な快楽信号の増幅に、精神が耐えきれなかったのだ。結果、脳が自己防衛のために『理性』を焼き切り、ただの獣へと退行(ダウン・グレード)してしまった」
「退行……?」
「そうだ。獣には神は宿らない。理性を失った肉体は、魔力を制御できず、ただ垂れ流すだけの欠陥品だ。……今の彼女のようにな」
ゼノスは顎でアリスをしゃくった。
彼女はまだ、ヘラヘラと笑いながら自分の母乳を啜っている。魔力を蓄えるべき器が、底の抜けたバケツのように浪費されている姿。
「だからこそ、聖女ルミナ。君には期待しているのだ」
ゼノスがルミナの方へと向き直った。
その瞳の奥にある昏い光が、ルミナの心臓を射抜く。
「君は歴代の聖女の中でも、特に精神力が強いと聞く。神への信仰、高潔なプライド……その強固な精神(バリア)があれば、私の改造にも耐えられるはずだ」
「た、耐える……? 何を……」
「簡単なことだ」
ゼノスは鉄格子の隙間から手を伸ばし、ルミナの頬を濡らす涙を指先で拭った。
冷たい指の感触。
「心を壊すな(・・・・・)。アリスのようになるな」
それは、一見すると慈悲深い言葉のように聞こえた。
だが、続く言葉は地獄への招待状だった。
「これから私が君に行う、あらゆる改造、あらゆる凌辱、あらゆる快楽責め……その全てを、正気を保ったまま(・・・・・・・)受け入れるんだ」
「……っ!?」
「逃げるな。精神を遮断して気絶することも、狂って獣になることも許さない。自分が何をされているのか、どれほど恥ずかしい姿で喘いでいるのか、その一秒一秒を鮮明に認識し、味わい尽くせ」
ルミナは息を呑んだ。
それは、死ぬことよりも難しい要求だった。
あのスライム責めや、アリスのような改造。それを「正気のまま」受け入れろと言うのか。
それはつまり、自尊心がズタズタに引き裂かれる音を、自分の耳で聞き続けろということだ。
「もし、途中で心が折れて、アリスのように理性を手放したら……」
ゼノスは背後のアリスを親指で指した。
「その時点で実験は終了だ。君の脳の前頭葉を切除し、彼女と同じ『排泄処理係(スカベンジャー)』として、一生この地下牢で飼ってやる」
「ひっ……!」
「選べ、聖女ルミナ。『魔神の母』として苦痛と快楽の王道を歩むか、それとも『汚物処理係』として汚泥を啜って生きるか。……もっとも、どちらも出口のない地獄には変わりないがね」
ゼノスは楽しげに笑った。
究極の二択。
心を保てば、無限の羞恥と快楽を味わい続けることになる。
心を捨てれば、アリスのような醜悪な怪物に成り果てる。
(嫌だ……どっちも、嫌だ……!)
ルミナは首を振ったが、身体は恐怖で竦み上がっていた。
逃げ道は塞がれている。
そして、その事実を突きつけられたタイミングを見計らったかのように、廊下の奥から重々しい機械音が響いてきた。
ブゥゥゥゥン……。
実験室の奥にある、本格的な手術室(オペレーション・ルーム)の扉が開く音だ。
休息時間は終わった。
「さあ、時間だ。第2ラウンドといこうか」
ゼノスが鍵束を手に、ルミナの牢の扉へと手をかけた。
カチャリ。
鍵が開く音が、ルミナにとっては断頭台の刃が落ちる音のように聞こえた。
【シーン6:処刑台への道】
ガチャリ。
鉄格子の扉が開く音は、絶望のファンファーレのように地下牢に響き渡った。
ルミナは壁際にへばりついたまま、開かれた扉と、そこに立つゼノスを見上げた。
逆光で表情は見えないが、その白衣の裾が、死神の鎌のように揺らめいて見えた。
「さあ、来たまえ。オペレーションの準備は整っている」
ゼノスが手を差し伸べる。
それはエスコートなどではない。所有物が所定の位置に戻るのを促す、強制力を持った命令だ。
「い、嫌……行きたくない……」
ルミナは首を振った。
足が動かない。恐怖で腰が抜けているのもあるが、スライムで汚れた床が滑り、踏ん張りが効かないのだ。
何より、本能が叫んでいる。
ここを出てはいけない。あの扉の向こうに行けば、もう二度と「人間の形」では戻ってこれない、と。
「駄々をこねるな。時間は貴重だ」
ゼノスはため息をつくと、乱暴にルミナの腕を掴んだ。
細い手首に、冷たい指が食い込む。
「ひゃっ!?」
「歩けないなら、引きずってでも連れて行くまでだ」
グイッ、と強引に引っ張られる。
ルミナの身体が藁の上を滑り、冷たい廊下へと引きずり出された。
抵抗しようと足をバタつかせるが、ゼノスの力は見た目以上に強く、まるで子供のように扱われる。
その時だ。
「あはっ……あははっ! いってらっちゃい! いってらっちゃい!」
背後から、無邪気で、そして冒涜的な笑い声が聞こえた。
アリスだ。
彼女は鉄格子に顔を押し付け、泥と精液にまみれた手を振りながら、満面の笑みでルミナを見送っていた。
「しんいりちゃん、壊してもらってねぇ! いっぱい改造してもらって、あたしとおんなじ、幸せな『穴』になってねぇ!」
その言葉は、どんな呪詛よりも深くルミナの心を抉った。
彼女は本気で言っているのだ。
自分が味わっているこの地獄のような「幸福」を、ルミナにも分け与えたいと、純粋な善意で願っているのだ。
(あんな風に……なりたくない……ッ!)
ルミナは唇を噛み締め、アリスの姿を目に焼き付けた。
あれが、私の未来予想図。
もし心を折られれば、次は私がこの檻の中で、四つん這いになって新入りに手を振ることになる。
それだけは、絶対に避けなければならない。たとえ、どんな苦痛と恥辱に耐えてでも。
ズルズル、ズルズル……。
ルミナはゼノスに引きずられ、薄暗い廊下を進んでいく。
壁に埋め込まれた魔導ランプが、等間隔で過ぎ去っていく。
空気の温度が変わった。
地下牢特有の湿ったカビ臭さが消え、代わりに、鼻の奥がツンとするような消毒液と、甘ったるい香油の匂いが漂い始める。
ブゥゥゥゥン……。
重厚な自動扉が、左右に開いた。
その向こうに広がっていた光景に、ルミナは息を呑んだ。
「あ……」
そこは、先ほどの実験室よりもさらに広く、そしてさらに狂気に満ちた空間だった。
天井は高く、無数の無影灯が眩いばかりの光を放っている。
壁一面には、見たこともない複雑な魔術回路が刻まれ、部屋全体が巨大な魔導装置の内部のようになっている。
そして、部屋の中央。
そこに鎮座しているのは、純白の診察台ではない。
黒曜石で作られた祭壇のような手術台。
その周囲を取り囲むように、天井から無数の機械アームや、ガラス管に入った色とりどりの薬液、そして――脈打つ生きた触手たちが垂れ下がっていた。
だが、ルミナの目を最も釘付けにしたのは、手術台の脇に設置された、巨大な円筒形の水槽だった。
ボコッ、ボコボコ……。
薄紅色の培養液で満たされたその水槽の中には、巨大な「臓器」が浮いていた。
それは人間の臓器には見えなかった。
強いて言えば子宮に似ているが、大きさは大人の頭ほどもあり、表面には無数の血管が走り、ドクンドクンと力強く脈打っている。
そして、その「子宮」からは、何本もの管が伸び、手術台の方へと誘うように漂っていた。
「あれは……何……?」
ルミナは震える声で尋ねた。
本能的な嫌悪感と、生物としての畏怖を感じさせる物体。
「紹介しよう。あれが君の新しい『部屋』だ」
ゼノスは愛おしそうに水槽を見上げた。
「古代遺跡から発掘された、魔神の細胞を培養して作った『聖杯の子宮(グレイル・ウーブ)』。無限の魔力を生成し、あらゆる種族の子供を孕むことができる、究極の生殖器関だ」
彼はルミナの方を振り向き、ニヤリと笑った。
「今日の手術のメインイベントだ。君のその貧弱な人間の子宮を取り出し、代わりにこの『聖杯』を埋め込む」
「な……埋め、込む……?」
言葉の意味を理解した瞬間、ルミナの血の気が引いた。
あんな巨大なものを? 私のお腹の中に?
物理的に入るはずがない。いや、入れるために身体の中をどう弄られるのか想像するだけで、気が狂いそうになる。
「さあ、台に乗れ。福音(オペレーション)の開始だ」
ゼノスはルミナを黒曜石の手術台へと押し倒した。
ひんやりとした石の感触が、背中を凍らせる。
ガシャン、ガシャン、ガシャン!
即座に拘束具が作動し、ルミナの手首、足首、そして首と腰を完全に固定した。
今度は先ほどの触診台よりもさらに厳重だ。指一本動かせない。
「い、いやぁッ! 助けて! 誰か、誰かぁッ!」
ルミナは半狂乱で叫んだ。
だが、この完全防音の手術室で、その声を聞く者は誰もいない。
ゼノスはワゴンの上から、白く輝く鋭利なメスを手に取った。
そして、もう片方の手には、麻酔薬などではなく、意識を鮮明に保つための「覚醒剤」が入った注射器を持っていた。
「言ったはずだ。心を壊すなと」
ゼノスは注射器の空気を押し出し、ルミナの首筋に針を突きつけた。
「これから君の腹を切り裂き、中身を入れ替える。その痛みも、喪失感も、そして書き換えられる快楽も……一秒たりとも逃さず味わってもらうぞ」
プシュッ。
薬液が注入される。
視界がカッと鮮明になり、恐怖が倍増する。
逃げ場はない。
聖女ルミナの、「人間」としての最期の時間が終わろうとしていた。
「さあ、開演だ」
ゼノスがメスを振り上げた瞬間、無影灯の光が刃に反射し、ルミナの視界を白く染め上げた。
(第2話 完 / 第3話へ続く)
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