第2話
◆◆◆ 第2章 「疑心」 ◆◆◆
B区間に来て5分——
遼は息を呑んだ。
(……温度、また上がってる……)
ブロックBの空気は、むわっと湿り、35度は超えているだろう。
もわりとした熱が肌にまとわりつく。
天井のダクトはかすかに唸り、
冷風ではなく“温い空気“を吐き出している。
宮坂が絶望的な声で言う。
「……この階、完全に外と切り離されてる……」
その言葉通り、
通路の向こうでA区画に通じるシャッターは固く閉ざされ、
唯一のエレベーターもその奥にある。非常階段に続くB区間の奥も閉ざされている。
つまり——
この広いブロックBそのものが巨大な密室になっている。
逃げ道はない。
遼は全体を素早く見渡した。
* バスケットコート1面ほどの広い空間
* 右側に電話ボックス型のガラスブースが3つ
* 奥には空気処理ユニット
* 床には黄色(安全)と赤(危険)のライン
* そして中央には——梢たち6人が固まっていた
隅々まで巡回していた比嘉が遼たちを見つけ、ホッと息を吐く。
「宮坂さん……この部屋の気密度は高そうですね!」
施設管理責任者の宮坂は、複雑そうな顔で、軽く頷く。
梢は壁に背をつけて座り込み、
顔色が悪い。
真栄田は腕を組んだまま、
苛立ちを隠そうとしない。
井上は震える指先を胸元に押し当て、視線が定まらない。
遼はまず梢に駆け寄った。
「沢渡さん、大丈夫ですか?」
梢は浅い呼吸のまま小さく頷いた。
梢が浅く呼吸しながら壁にもたれている横で、真栄田がポケットから銀色の小瓶を取り出し、錠剤を1粒だけ飲んだ。
遼がちらりと視線を向ける。
「それ、処方薬なんですか?」
「まぁ……支給品だ。数値を下げるやつだよ」
言い方はぶっきらぼうで、説明する気配はなかった。
梢は目を閉じたまま小さく言う。
「去年の……統合後に出回ったやつですよね……」
宮坂が小さく息を呑み、
遼は違和感だけ胸に残した。
梢は、目元を押さえながら壁にもたれた。
「ごめんなさい……また、貧血みたいで……」
遼が心配すると、彼女はふっと小さく笑った。
「私、昔から鉄が少ないんです。
鉄剤も体に合わなくて……
“濃い血より薄い血の方が長生きするかもよ”なんて
医者にからかわれたこともあって」
「薄い血……?」
「ええ。
でも、!こういう場所で倒れちゃうと、迷惑ですよね……」
彼女の声は弱々しくて、
だがどこか芯のあるものだった。
宮坂が体温を測る。
「微熱……どの感染症とも断定できないわ……
初期症状が似てるものが多すぎるのよ、この施設……」
その言葉に、真栄田が不機嫌に返した。
「ふん。だが河合の死に方は神経系ウイルスによる幻覚だ。
あの走り方……何か見えてた」
「とにかく、体液に触らない限り感染は広まらない!」
梢はすぐに首を振った。
「違います!
死体が即座にダクト処理されたでしょ!?
あれは完全に“空気感染系”“エアロゾル感染系”の対応です!」
「じゃあ聞くが、空気感染でこんなに早く悪化するのか?」
「神経系だって、あんなスピードで幻覚は出ない!」
言い争いがまた始まる。
比嘉はその間で右往左往し、
井上はガラスブースの方へ視線を逃がした。
遼は二人の間に割って入る。
「落ち着いてください。
決めつけは危険です。
初期症状はほとんど同じなんでしょう?」
梢はこくりと頷き、
「……そうです。
種類は非公開。
私たち研究員にも、研究対象70種類全て知らされていません」
真栄田が鼻で笑う。
「ならアナウンスが絶対ってことだな。
河合を名指しした時点で、アイツは感染だったんだよ」
その言葉に井上がまた震え出す。
井上
「……でも……でも……
梢さん……さっき、手が透けて…………」
梢
「え……?」
井上は何か言いかけて口をつぐんだ。
遼は井上の異常を感じ取る。
(……井上さん、もう限界だ……
次、名指しされたら……)
そう考えた瞬間、
天井スピーカーが“カチリ”と切り替わった。
声質が変わった。
先ほどの機械音声とは違う生声のようなクリアさ。
《ブロックB全員へ。
感染疑い判定を更新します。》
全員が固まる。
《新たに——井上芹、
感染の疑いが高い。
警戒を推奨します。》
井上の体が、糸が切れたように崩れた。
「……わたし……?
なんで……どうして……?
根拠は?」
梢が叫ぶ。
「違う!そんなはずない!!」
比嘉は本能的に後ずさり、
真栄田は眉をひそめて井上を見た。
「……嘘じゃなければ……
次に死ぬのは……お前だな」
「やめてください真栄田さん!」
梢が叫ぶ。
だが、井上はもう誰の声も聞いていなかった。
ぽたぽたと涙を落としながら、
ガラスブースの方へ視線を向ける。
その瞬間、
ブースの扉が自動で開いた。
まるで彼女を誘うように。
《不安のある者は、
簡易隔離ブースに入室してください。
安全が確保されます。》
井上の表情が、ふっと緩んだ。
「……ここに入れば……
迷惑、かけないで済む……?」
遼が叫ぶ。
「井上さん!そこは安全じゃない!!
本来の除染装置じゃない、温度が——」
井上は遼を見た。
涙で濡れた瞳が、かすかに笑っていた。
「……ごめんなさい……
私、弱いから……
ここにいたら、みんなが困るよね……」
そのまま、
ブースへ一歩踏み入れ——
扉は自動で閉じた。
カチリ。
《井上芹の入室を確認。
簡易隔離ブース三号、封鎖します。》
遼は扉に手を叩きつけた。
「井上さん!!!」
しかし間に合わなかった。
天井のノズルが開く音がした。
——シュー……
白い霧が、ゆっくりと井上を包み始めた。
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