第3話

◆◆◆ 第3章 「処理」 ◆◆◆



真栄田は呼吸を整えながら、

ポケットから小瓶を取り出してひとつ粒を飲み込む。


遼が眉をひそめる。


「また、薬ですか?」


「いや、ただのサプリだよ。

数値を下げるやつ。習慣になってるだけだ」


ラベルには難しい横文字が印字されていたが、

遼は特に深く聞かなかった。


井上芹が入ったガラスブースの中は、もはや白い霧で満ちていた。


外からは彼女の姿はもう見えない。


宮坂がブースの制御盤に駆け寄る。


「除染?長すぎませんか?」


だが、制御画面には赤い警告が点滅していた。


《強制封鎖中。

 手動解除は権限外です。》


「権限外!? 私、管理主任なのよ!?」


宮坂の指が震え、

遼は強く叫んだ。


「宮坂さん、もうダメです!

 ブース内部の温度……上がってます!」


遼の専門目は、一瞬で状況を理解していた。

霧の密度、照明の反射、床の水滴の蒸発速度——すべて異常だった。


(……これは消毒じゃない。

 “処理”だ。)


梢が手で口を覆い、後ずさる。


「やめて……無理……見たくない……」


真栄田は奥歯を噛みしめ、

だが視線は逃げなかった。


比嘉は壁に手をつき、ただ呆然と呟く。


「本当に……治療したのか……?」

「アナウンスは、“安全が確保されます“って言ったよな?」


遼が胸の奥に重い痛みを感じたその瞬間——


ブースの霧が、

ふっと、晴れた。


中には——

井上芹が静かに座ったまま、

目を閉じていた。


生気は、完全に失われていた。


《井上芹。処理完了。感染症と確認致しました。

 不要な対象は速やかにダクト投棄を行います。》


ブース床のパネルが無機質な音で開く。


遼が反射的に叫んだ。


「やめろ!!」


だが、


ストン。


井上の身体は、まるで重さが存在しないかのように

落ちていった。


沈黙。


あまりに静かすぎる空間で、

梢だけがしゃくりあげた。


「なんで……なんで、あの子が……

 感染の……可能性が……高いなんて……嘘よ……」


真栄田は冷たく言った。


「……どうだろうな、アナウンスは何を見て、感染者を判別しているのだろう?」


遼は彼をにらむ。


「真栄田さん。

 今の処理方法、見ておかしいと思いませんでしたか?」


「何がおかしい?」


遼はブースのノズルを指さした。


「もし空気感染なら——

 本来はブース内を陰圧にして、外に漏れないようにするシステムがあります。

でも、

今の霧は……“外へ”もわずかに漏れていた。」


宮坂がはっとする。


「……本当だ……私も見た……

 換気の流れが逆……?」


梢が震える声で言った。


「じゃあ……

 あれは空気感染じゃないってこと……?」


真栄田がすぐに言い返す。


「だから言ったろ。

 神経系だと」


遼は首を振った。


「違います。

 あれは——“感染処理じゃなかった”。」


全員の視線が遼に集まる。


遼はゆっくり、息を吸った。


「温度と換気を操作して、人をパニック状態に追い込み、

 アナウンスで名指しして行動を誘導している。

これは……

『感染者を処理する実験』じゃない。

ストレス反応を誘導する実験”だ」


梢が青ざめた。


「ストレス……?」


真栄田は眉をひそめた。


「つまり何だ、遼さん。

 今ここで起きてるのは——

 “感染ではない”ってのか?」


「感染かどうかはわかりません。

 ただ、黒幕の目的は……“感染者をあぶり出すこと”ではない。」


「じゃあ目的は何だ?」


遼は、ダクトの方を指差した。


「耐性のある人間だけを、最後に生かすこと。

 そういう計画の動きです。」


沈黙が落ちた。


その静寂を破ったのは、天井のスピーカー。


《感染疑いの更新を行います。

 次の対象——》


全員が息を呑む。


《——真栄田俊。

 感染の疑いが高い。》


真栄田の顔色が変わった。


「……は?」


梢が小声で呟く。


「そんな……

 次は、あなた……?」


比嘉は後ずさりながら警棒を握る。


真栄田が比嘉を見て、怒鳴った。


「おい。離れろ。

 俺は感染なんかしてない!!」


宮坂もパニックに近い声を上げる。


「真栄田さん、落ち着いて……!

 アナウンスは混乱とストレスを増大させてるだけ!」


遼は真栄田の視線を真正面から受け止めた。


「真栄田さん。

 あなたが冷静じゃないと……本当に殺されます。」


真栄田の喉が、大きく動いた。


そして、ブース三号の扉が——


カチ。


——わずかに開いた。


まるで、

「さあ、次はあなたです」と誘うように。



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