緑のカエルの羽

 ところで、わたしたちの小学校の体操服は、ださい。

 おとなりの美土里みどり小学校は、紺色のシンプルな体操服だというのに、わたしたち福原ふくはら小学校の体操服は、緑色である。

 深みのある緑ではなく、あざやかな緑だ。


 通称、カエル・ジャージ。 

 またの名を、ケロジャー。

 

 6時間目は、きゅうきょ体育の授業が中止になったから、クラスの子は、カエル姿のままだった。

 5年3組、アマガエル学級。


 わたしは、白い半そで体操服の上に、緑の長そで体操服、その上にうすむらさき色のジャンパーを重ね着していた。

 下は、緑の体操服の半ズボンに、水色のソックスをはいていた。

 半ズボンは、ひざ丈のハーフパンツではなく、ひざと足の付け根の真ん中くらいの長さだ。


 西山にしやま宇宙こすもをなぐるために立ち上がったわたしのおなかが、じゅくり、とうごめいた。

(おなかを、こわしかけてるのかも)

 これはもう、さっさと一発キメて、終わらせよう、と思った。


「西山、ほんきで、じゃま。それ以上言ったら、ぶっ飛ばす」

三木ミッキーネズミだ、逃げろお」

 西山は、くちびるをとがらせて、「ちゅーちゅー」と、へたな鳴きまねをし、おおげさにぶうんと後ろを向いた。


(あれ?)

 いままで経験したことのない、おへそから直下してゆく、いやなものの気配を感じた。

 気を取られ、とっさによけることができなかったわたしは、西山がふり回した手さげかばんに、もろにぶつかって、体勢をくずした。


 がたがたっと机の列が歪む。

 わたしは、踏んばれずに、かたい床にたおれた。


「早苗ちゃん!」

 由衣ちゃんの悲鳴のような声と、

「西山っ」

 阿久里のとがめる声がした。


 いけない、由衣ちゃんを心配させちゃう。

 わたしは、すぐに床に手をついて、上体を起こす。さいわい、頭をぶつけたりはしていない。

 こけただけ。


 ――たとえば、鼻水だったら、鼻をすすれば、ちょっとのくらい、こらえることができるとか。

 おしっこやうんちだって、トイレに行くまではがまんできるとか。


 だけど、鼻血は、前触れもなく、とつぜん出てくるじゃない?

 そういう、自力ではどうしようもないもの。


 西山が、びくっとして、体をこわばらせた。

「ち……」

 西山の視線が、床のわたしに釘づけになっていた。

 

 西山の腕を引っぱって、ヤツの乱暴をとめようとしていた阿久里あぐり信太しんたが、顔をひきつらせた。


 ふたりの視線のさきを追うように、わたしは目を落とした。

 緑の半ズボンのすそから出たわたしの細っこいふとももに、こすったあとの赤い絵の具のようなものが見えた。


 わたしは、その部分をあわてて手で押さえた。


 瞬間、わたしと、男子ふたりの間に、あざやかな緑の影がさっと割り込んだ。

 顔を上げた。


 由衣ちゃんだった。

 由衣ちゃんが、わたしをうしろにかばうようにして、立ちはだかったのだ。


「男子は、あっち行って!」

 由衣ちゃんが、わたしが初めて聞くような、するどく大きな声を出した。


 教室内が、一瞬、水を打ったかのようにしんとなった。

 風のうなりが、おうおうと響く。

 みんなの目が、こちらに集まるのがわかった。


 由衣ちゃんが、おもむろに長そでの体操服を脱ぎ始めた。

 急いで脱いだせいか、長そでの下に着ていた半そで体操服と、下着のシャツが、ともにズボンから引っぱり出されたみたいだ。

 もも色のシャツのすそが、はみ出して見えている。


 シャツをはみ出させたままの由衣ちゃんは、くしゃくしゃの体操服を、肩部分を持ち、手早くはたはたと振って、形を整えた。 

 そのまま、半回転して、わたしのほうを向いた。

 緑色の服がひらりと舞う――、南のくにに住む鳥の羽ばたきみたいだ。 


 由衣ちゃんがしゃがみこんだ。

 脱いだ服をブランケットみたいにして、わたしの腰からしたを、ていねいにおおい隠した。


「だいじょうぶだよ、早苗ちゃん。だいじょうぶだよ」

 顔を近づけて、由衣ちゃんが、ゆっくりと言った。


 由衣ちゃんの胸のあたりから、おひさまの匂いがした。


「由衣ちゃん……」

 わたしはなにか言おうと思った。

 でも、何を言えばいいのかわからなかった。


「どこかにぶつけた? 痛い?」

 由衣ちゃんが心配そうに聞いた。

「へいき」

 と、答える声がしめっていることに気づいた。

 わたしは、どうやら泣いているのだった。


 由衣ちゃんは、自分のからだが痛むみたいに、きゅうと眉根を寄せた。


 ごめんね、由衣ちゃん。

 痛いんじゃないよ。

 痛くて、泣いているんじゃないんだよ。


 目の奥には、まだ、あざやかな緑がおどっている。

 その美しい緑が焼けついて、ひりついて、それでかってに涙が流れていくんだ。

 落ち続ける血をどうにもできないみたいに、涙のとめかたがわからないんだ。


 教室にのこっていた女子たちが、いっせいに駆けつけてきた。

 女子は、わたしを中心とした円陣を組むようにして、垣根をつくった。


「ミッキー、大丈夫?」

「わたし、保健室の先生、呼んでくる!」

「あたしも行く!」

「男子、全員、教室から出ていけ!」

「そうよ、出ていけ! 出ていけ!」

 出ていけの大合唱になった。


「おい、西山、行くぞ」

 阿久里が西山に声をかけるのが聞こえた。


「……ごめん」

 西山が言った気がした。


 わたしは答えなかった。




 







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