第2話 ダンジョン建設計画

 魔界の朝、まだ暗闇が支配する時間。魔王城の地下深くに、重く湿った空気が漂っていた。岩盤を叩きつける鈍い衝撃音が、定期的に響き渡る。地下部門代表のオークは、自慢の拳を岩に叩きつけ、そのたびに岩石は無言の砂塵となり舞い上がった。


「ダンジョンは拳と根性で作る!」


 彼は吠え、そのごつい拳をぐりぐりと磨く。その気迫に、通り過ぎたコボルト族の兵士が恐怖に震え、一目散に逃げ出した。


 一方、地下の騒動から遠く離れた魔王城の売店では、補給部門代表のゴブ吉が新商品のクレープを試食していた。彼の口元には甘いクリームがつき、その瞳には、色とりどりの旗がはためくファンシーなダンジョンが映っている。


「僕でもクリアできる優しいダンジョンがいいっす! 道中にクレープ屋とか、ないっすかね?」


 彼は夢のような要望を口にし、現実とはかけ離れた空想の世界に浸っていた。


 そして、地下技術部門のモグゾーは、オークが掘り進めた穴の横で、泥まみれの顔に深い皺を刻んでいる。彼はすでにボンドを片手に、掘られた穴をせっせと補強し始めていた。


「設計図なしじゃ何もできねーよ! 採算性とか実効性とか、そういうの全部無視かよ!」


 彼の叫びは、オークの荒々しい破壊音にかき消されていく。それはまるで、崩れた砂の城を必死につなぎ合わせる子供のようだった。


 魔王の一言、「――創り出せ」。その命令により、魔界の地下は今、静かに、そして騒がしく、全く異なる思惑のままに動き始めていた。




◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




 分厚い石造りの壁に囲まれた魔王軍本部の会議室「虚無ノ議場」は、今日も各部門の個性がぶつかり合い、奇妙な熱気に包まれていた。議題は、魔界防衛のためのダンジョン建設計画。壇上に立ったスラポンは、静かに、しかし流れるような口調で計画の概要を説明する。


「魔王軍の新しい防衛拠点として、大規模なダンジョンを構築する。オーク代表には、迷宮の構造と罠の設置を。モグゾー代表には、その技術的側面を担ってもらうことになっている」


 その言葉を聞いたオークは、全身の血管を浮き上がらせ、まるで筋肉の鎧を身にまとっているかのように膨れ上がった。彼は力強く立ち上がり、その気迫で、近くにあった花瓶が「カタカタ」と震え、中の水面が波紋を広げた。


「ダンジョンは魔族の誇りの象徴だ! 入ったら二度と出られない、地獄の迷宮にしてやる!」


 彼は、机を叩きつけようとした寸前で思いとどまり、代わりに、自身の拳をじっと見つめる。


「道は複雑に、罠は凶悪に、すべては俺の拳と勘で決める! 設計図だか何だか知らねえが、そんな軟弱な紙切れは必要ねえ! 必要なのは、勇者を打ちのめす、真の力だ!」


 モグゾーは、泥まみれの作業着を指で弾きながら、鼻で笑った。彼の目には、オークの無計画さが愚かに映っている。


「拳と勘じゃダメなんだよ!」


 モグゾーは呆れたように頭を振り、オークが先日掘った穴の崩壊を思い出すように、指を折りながら語り始めた。


「通路の耐久性、トラップの再利用性、非常時の排水システム……考えることが山ほどあるんだ! あんた、この間掘った穴が三日で崩れたの、忘れたのか? 実効性のないダンジョンなんて、ただの穴だ! 労力の無駄なんだよ!」


 オークはモグゾーの言葉に激昂し、会議室の床が「ミシミシ」と音を立てるほどの力で踏みしめた。


「あんなもん、気合が足りなかっただけだ!」


 彼は怒りに任せて、唾を飛ばす勢いで叫んだ。


「それに、崩れた方が勇者が油断するだろうが! 計算ずくだ!お前は地味に掘ってろ! 俺は派手に壊す!」


 その時、ジュエルが優雅に口を開く。彼女の指先から、ほんのりとラメがこぼれ落ち、きらきらと光を放つ。その光は、まるで議論の熱気を冷ますかのように、静かに会議室を漂った。


「あら、でも美も重要よ」


 ジュエルは、自らの胸に手を当て、うっとりと目を閉じる。


「ダンジョンは、無骨なだけの構造物ではいけないわ。光の加減、ラメの配置、そして美しき宝石の輝き。それこそが、勇者の心を惑わす最高の罠よ。宝石が散りばめられた通路に、勇者の絶望した顔が映るの、想像しただけでゾクゾクするわ。美は、時に力よりも雄弁なのよ」


 オークは、舞い落ちるラメを煩わしそうに手で払い、ジュエルを指差して吠えた。彼の指先から、小さな雷光が迸っているようにも見えた。


「宝石だと!?」


 オークは、顔を真っ赤にしながら、机を叩きつける。その衝撃で、花瓶が「カタカタ」と震え、中の水面が波紋を広げた。


「勇者は金を盗みに来るわけじゃねえ! 血を流しに来るんだ! お前はまず、泥にまみれろ! そして宝石は、拳で砕け! 最高の美は、最強の拳から生まれるんだ!」


 ジュエルは高笑いした。その笑い声は、議場に響き渡り、まるでガラスの破片が降り注ぐかのようだった。


「ふふ、だから野蛮な方ね! 拳で砕く? 芸術を? 私の作品を壊そうとするなんて、許さないわ! 勇者も同じよ! 美の前にひれ伏せば、わざわざ拳を使わずとも、自滅するわ! あなたは、美という概念を理解していないだけよ!」


 二人の激しい応酬の最中、デーモンが重々しいため息をつき、静かに議論に割って入った。彼の声は低く、空気を震わせる。


「……くだらん。罠の配置には、戦術的思考が不可欠だ……」


 デーモンは腕を組み、静かに語り始めた。


「単純な殺傷力ではなく、敵の心理を読み、追い詰める構造にすべきではないか? ……たとえば、ゴール直前で、何の変哲もない扉を100個並べる、とか……。開けるたびに、また同じ扉が目の前に現れる……。精神的に疲弊させ、戦意を喪失させる……。それが、我らデーモン族の真骨頂……。無駄な労力を排し、精神的な勝利を追求すべきだ……」


 フェリーナが優しく口を開く。その柔らかな声は、緊迫した場にそっと響き、ピリピリとした空気を和らげる。


「私は、勇者が心を休める場所も必要だと思います」


 彼女は、両手を胸元で静かに組み、優しげに微笑んだ。


「行き詰った時に、静かに座れるベンチや、美しい花が咲いている場所があれば、勇者も少しは癒されるかもしれません。……心が安らいだ瞬間こそ、人は最も無防備になるものです。そして、その油断した隙に、トラップで……」


 ゴブ吉が、まるで舞台役者のように身を乗り出した。彼の目は希望に満ちている。


「いいっすね、癒し! 僕もダンジョンの中の休憩所で、クレープ屋さんやりたいっす! 『ゴブ吉の絶望クレープ』とか、どうっすか? 絶望って名前だけど、味はめちゃくちゃ甘いっすよ! 勇者も甘いものには目がないっすからね!」


 オークがゴブ吉を指差して吠えた。彼の怒りの声は、議場全体に響き渡る。


「クレープ屋だと!? そんな悠長なこと、誰が許すか! ダンジョンは遊び場じゃねえんだ!」


 彼は、ゴブ吉の胸ぐらを掴み、そのまま立ち上がろうとするが、寸前で思いとどまり、ため息をつく。


「拳で、血で、勇者を絶望させる場所だ! お前もクレープ作ってる暇があったら、筋トレしろ! ダンジョンは、戦場だ!」


 ヌメヌメがゆったりと発言した。彼の周囲だけ、何となく湿っており、床に小さな水たまりができていた。


「……ダンジョンって、湿度大事っすよねぇ……」


 彼は、ゆっくりと首を傾げ、どこか遠くを見つめる。


「じめじめしてると、勇者さん、モチベーション下がるっす〜。壁もヌメヌメさせて、ぬるぬるした気分にさせてやるっす〜。……心も、ぬるぬるになって、やる気がなくなるっす〜。……そう、湿度は……命っす……」


 オークは、もはやツッコミを諦めたかのように、頭を抱えた。


「なんだそのヌメヌメは! 精神攻撃か!? 物理で来い! 物理で!」


 ドラゴマックスが呆れたようにため息をつく。彼の吐く息は、部屋の空気を一瞬で暖めた。


「昔はよかった……。ダンジョンは隠密に、静かに造るものじゃった……。噂など立てずとも、入れば二度と戻れぬ。それが誇りだった。こんなに騒いで、勇者に全部バレとるぞ! 今の若者は、SNSとかいうので、全部情報流すからいかん……」


 リッチたんが、まるでこの世の全てを達観したかのように、冷めた目で一同を見渡す。


「くだらん。ダンジョンとは、物理的構造物と魔法理論の複合体だ。美や、感情、挙句の果てにはクレープ屋など、実証性のない机上の空論を語っている。ダンジョンとは、死の芸術であり、その美しさとは、完璧に機能する罠の連鎖によってのみ生まれるものだ。貴様らの言っていることは、ただの遊びに過ぎん。議論するだけ無駄だ」


 一同の議論は紛糾し、会議室が騒然とする。スラポンは、一瞬だけ感情を露わにし、声を荒らげた。


「静粛に! 皆の発言には、それぞれ一理ある。しかし、このダンジョンは、一つだけの部門で作られるものではない。物理的な壁、魔法的な罠、心理的な誘導、そして時には……心を惑わす美の要素も必要になる。我々の総力を結集したダンジョンを創造するのだ! 感情論や理論をぶつけ合うのは、ここまでだ!」


 その時だった。会議室の壁に、突如として無数の影が揺らめき、その影が静かに、そして圧倒的な存在感を持って収束していく。やがて、その影の中から、魔王が姿を現した。彼の出現は、部屋の温度と湿度を、一瞬にして完璧な状態に調整し、すべての雑音を消し去った。


「――静まれ」


 場は、まるで時間が止まったかのように、完璧な静寂に包まれた。誰もが、その威厳にひれ伏した。


「ダンジョンは、我らが城を守る壁ではない。勇者を迎え入れ、その魂を試す、聖なる迷宮だ。力を誇る者も、知を尊ぶ者も、美を愛する者も、そして、心に安らぎを与える者も、すべてを注ぎ込め。我ら魔族の、すべてを込めた迷宮を創り出せ。それは、我ら自身の誇りの証明となる」


 魔王の言葉に、一同は深く頭を垂れた。


 スラポンは、心からの敬意を込めて深く頭を垂れた。


「承知いたしました。ダンジョンは、魔族の総力を結集した複合迷宮として構築します。ただ、オーク代表の穴が崩れないよう、モグゾー代表には付きっきりで補強をお願いします。ボンドと……土の魔法薬も多めに発注せねば……」


 ゴブ吉は小声でつぶやいた。


「僕でも……ちゃんとクリアできるかな……いや、やっぱりクレープ屋さんやろ……」


 オークは深いため息をつき、ゴブ吉を睨みつけた。


「お前はまず、拳を磨け! クレープ屋なんかやってる場合じゃねえ! ダンジョンは遊び場じゃねえ!」


 こうして、魔王軍による大規模ダンジョン建設計画は始動した。魔界の地下が、静かに、そして騒がしく、それぞれの思惑を胸に動き始めた。


 オークは「拳こそ最高の罠だ!」と宣言し、素手で岩盤を掘り進む。そのせいで既にダンジョンの入り口が3つほど崩壊したという。


 モグゾーは「だから設計図が大事だって言ってんだろ!」と叫びながら、崩れた岩をせっせとボンドで貼り付けている。


 ジュエルは「ラメは必須よ!」と譲らず、トラップのデザインにラメの導入を検討し、フェリーナは「勇者が休める場所を」と静かに語り、小さな花壇の設置を提案した。


 ドラゴマックスは「昔はよかった……」と呟きながら、自分の部屋の床に秘密の抜け穴を掘っているように見えた。


 ダンジョンは、魔族の知恵と誇りを込めた、まさに「魔族の総力戦」の様相を呈している。完成はいつになるか分からない。しかし、その混沌こそが、勇者を惑わす最高の迷宮を生み出すのかもしれない。

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