魔王軍物語 ~ ドタバタ会議室 ~

じゆう七ON

序章

第1話 魔王軍発足とその理念、そして魔族たちの叫び

 魔界の朝は、重く、そして静かだ。しかし今朝は、その静寂を打ち破る一言が魔王城の奥深くから響き渡った。


「魔王軍を発足せよ」


 その重厚な命令は、大地を震わせる雷鳴のように魔界全土に轟き、各族の代表たちは、まるで稲妻に打たれたかのように、それぞれの場所から議場へと動き始めた。


 地下の訓練場では、地下部門代表のオークが、その自慢の拳を岩に叩きつけていた。鈍い衝撃音が響くたびに、岩石は音もなく砕け、砂塵となって舞い上がる。


「軍だと? そんなもん、俺の拳だけで事足りるわ!」


 彼は吠えるたびに、そのごつい拳をぐりぐりと磨き、威嚇するように空気を震わせた。その横を通り過ぎたコボルト族の兵士が、恐怖に震えながらも一目散に逃げ出す。


 一方、軍服のデザインを任されている美術戦術顧問のジュエルは、自身の部屋で鏡の前に立っていた。煌びやかなラメを指先にまぶしながら、うっとりとした表情で試作品の軍服を眺める。


「あら、このラメの輝きは……勇者の心を砕くほどの美しさね」


 そう独り言を言っては、次々と新たな宝石を縫い付けてはため息をつく。すでに試着は十回を超えたが、まだ彼女の美意識を満足させる"芸術"にはたどり着けていないらしい。


 そして、魔王軍統括のスラポンは、魔王城の執務室の床にぬるっと広がったまま動かない。知恵と論理で場を仕切るはずの彼も、さすがに自身の存在感のなさに頭を悩ませていた。補佐のゴブリンが『統括官、早く議場へ!』と声をかけるが、彼は無表情に床と一体化している。


 その時だった。


「――集え」


 魔王の一言が、空間全体を震わせる。その絶対的な命令は、混乱する魔族たちをぴたりと静止させ、議場の椅子は自ら輝きを放つほどに磨き上げられ、机には予備のボンドが念のため配備された。まるで、魔王の意志がそのまま空間を支配したかのようだった。




◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




 分厚い石造りの壁に囲まれた魔王軍本部の中心にある会議室、虚無ノ議場は、重苦しい静寂に満たされていた。部屋の奥に設けられた壇上には、わずかに光を放つスラポンが立っている。各部門の代表たちは、魔王が発した「魔王軍発足」の命に、それぞれの思惑を胸に秘めて、静かにその時を待っていた。スラポンは、一滴の汗も浮かべることなく、知的で冷静な声で議題を提示する。


「本日は、魔王軍の正式な発足について、その意義と今後の運用方針を話し合う」


 彼の声は、会議室の隅々まで響き渡った。


「魔族の個の力を結集し、かつてない秩序と未来を築くための組織――それが、魔王軍だ」


 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、全身の筋肉を硬直させたオークの体から、まるで嵐の前の静けさのように重苦しい闘気が立ち昇った。ビリビリと空気が震え、彼の眼光は鋭く、テーブルを睨みつける。その上に置かれていた羊皮紙は、彼の威圧感に耐えかねたかのように、音もなく砕け散った。


「秩序? 軍? そんなもん、拳で語れば済む話だ!」


 オークは立ち上がり、テーブルに拳を叩きつけようとしたが、寸前で思いとどまる。彼は、自身の拳をじっと見つめ、その中に宿る力を確かめるかのように、ゆっくりと開いたり閉じたりした。


「俺たちは戦って生きる。それが魔族の誇りであり、本能だ! 規律なんて、鎖に繋がれた犬と同じじゃねえか! 俺たち魔族が、そんなみっともねぇ真似をしてたまるか!」


 スラポンは、一歩も引くことなく、オークの荒々しい主張を受け止めた。彼の表情は変わらない。しかし、その瞳の奥には、確固たる信念の光が宿っていた。


「たしかに、力は重要だ。だが、力だけでは、いずれ滅びる」


 彼は淡々と、しかし揺るぎない口調で続けた。


「我々が過去に経験した数々の敗北は、その証明に他ならない。勇者の行動パターンは年々複雑化し、力任せな戦術では通用しない段階にまで達している。魔族は多様であり、知恵と連携、そして共通の理念がなければ、真の力は発揮できないのだ」


 その時、会議室の片隅で、ジュエルは優雅に指を鳴らした。その瞬間、彼女の周囲に、きらきらと輝くラメの粒子が舞い上がる。それはまるで、小さな星屑のようだった。


「軍という響きは、無骨で野蛮に聞こえるわ」


 ジュエルは、自らの胸に手を当てながら、うっとりとした表情で続けた。


「けれど、それはあくまで形。私が信じるのは、美の秩序。魔族の誇りを、もっとも美しく、もっとも華やかに守るための組織ならば、歓迎すべきでしょう? ああ……! 制服のデザインはぜひ、私に監修させてほしいわ! すべての魔族が、私が生み出した芸術を身にまとう……想像しただけで、歓喜に震えてしまうわ!」


 オークは、舞い散るラメを煩わしそうに手で払い、ジュエルを指差して激昂した。彼の指先からは、小さな雷光が迸っているようにも見えた。


「芸術だと!? お前はまず、戦場で泥にまみれろ!」


 オークは怒りに顔を真っ赤にしながら、机を叩き、その衝撃で花瓶がカタカタと音を立てる。


「美しさなんて、血と汗の中でこそ輝くんだ! ラメでキラキラした服なんかで、誇りが守れるか!? 勇者はラメにひるむんじゃねえ! 拳と剣にひるむんだ!」


 ジュエルは、宝石の煌めきを宿した瞳で、優雅に笑った。その笑いは、まるでガラス細工のように儚くも、鋭い。


「あら、野蛮な方ね! 血と汗が芸術なのよ!」


 彼女はくるりと体の向きを変え、自らの姿を想像するかのように虚空を見つめ、指で何かを描く仕草をした。


「私はそれを美しく見せる魔法使い! ラメは希望、光よ! 戦場に一筋の光を与える、それが私の戦略ですわ! 無骨な力任せの戦術なんて、時代遅れもいいところよ!」


 二人の激しい口論の傍らで、フェリーナが静かに立ち上がった。彼女の優しい眼差しは、争い合う二人の間にそっと向けられる。


「私は、軍事力だけを追求するのは危険だと思います」


 その柔らかな声は、荒れ狂う嵐の中に吹く一陣の風のようだった。


「魔族が互いを理解し、守り合う組織。それが、本当の意味での強さではないでしょうか。力だけでは、心は救えません。争いばかりでは、いつか心まで荒んでしまいますから…」


 オークはフェリーナの優しい言葉に一瞬だけ表情を和らげたが、すぐに元の険しい顔に戻る。


「心だと? 戦場ではそんな悠長なことは言ってられねぇ!」


 彼は荒々しく吐き捨てるように、自身の椅子を蹴り上げ、そのまま部屋を飛び出してしまいそうになったが、我に返ってちゃんと自分で元の位置に戻した。


「心を救うのは、敵を倒し、平和を掴んだ後だろうが! 目の前の敵を倒さなきゃ、平和なんて訪れやしねぇんだよ!」


 デーモンは、重々しいため息をつき、議論の輪にゆっくりと割って入った。彼の声は低く、空気を震わせる。


「……それは結果論だ」


 彼は腕を組み、静かに議論の行方を見守っていた。


「戦う以前に、我らが何のために剣を振るうのか、その理念がなければ、目的を見失う。戦うことの本質を忘れてはならないと考える。……そうでなければ、我らはただの野蛮な略奪者と化す……」


 議論は白熱し、それぞれの主張が激しくぶつかり合う。オークの荒々しい声と、ジュエルの優雅な口調、フェリーナの優しい声、そしてデーモンの重厚な言葉が会議室に満ちる中、スラポンは静かに、しかし深く頷いていた。彼の額には、じっとりと汗が滲んでいた。


「……本能、美、心、そして戦術……。たしかに、すべてが重要だ」


 スラポンは、言葉を紡ごうと奮闘する。


「しかし、魔王軍が目指すべきは、そのすべてを内包し、統一することだ。力だけではない。知恵だけでもない。誇りを守るための、秩序ある力だ。それがなければ……」


 彼の言葉がまとまらず、会議室の喧騒が再び大きくなった、その時だった。


 会議室の重厚な扉が、音もなく静かに開き、魔王が姿を現した。彼の背後から差し込む光が、その威厳あるシルエットを浮かび上がらせる。彼の存在感は、会議室の騒音を完全に消し去り、ただの沈黙だけが残った。


「――静まれ」


 たった一言。しかし、その声は、重力のように場のすべての喧騒を吸い込み、完璧な静寂が訪れる。まるで、嵐の後の凪いだ海のように、空気の動きさえも止まったかのようだった。オークは拳を下ろし、ジュエルは口を閉じ、デーモンは背もたれから体を起こす。


 魔王は、ゆっくりと部屋の中央へ進み出る。


「魔王軍は、我が命により発足する。力を誇る者も、知を尊ぶ者も、すべて魔族だ。我らが滅びぬために、団結せよ。誇りを持て。だが、孤立するな」


 その言葉には、一切の迷いがなかった。それは命令であり、同時に、未来への指針だった。


 スラポンは、心からの敬意を込めて深く頭を垂れた。


「了解しました。魔王軍は、誇りと知恵を守るための組織として運用します」


 議論の最中に見せた激昂した表情はもうなく、ジュエルは小声で、まるで独り言のように呟いた。


「でも制服、少しだけラメを入れてもいいかしら……? ほんの少しだけ……」


 その言葉は、沈黙に包まれた部屋で、か細く響いた。


 オークは、深いため息をつき、ジュエルを睨みつけた。


「お前はまず、剣を磨け……。ラメじゃ剣は磨けん……。いや、もういいわ……」


 彼はそう呟くと、どっかりと自分の椅子に腰を下ろした。


 魔族たちはそれぞれの思いを胸に、魔王軍の旗のもとに集い始めた。それは、力と知恵、そして誇りが一つになる、新たな時代の始まりだった。そして、会議で満身創痍となった机は、今日も耐えている。おそらく、明日も。

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