第3話

宿敵現る! 鉄の検察官と激辛裁判官

 その日、桜田法律事務所に押し寄せたのは、依頼人ではなく――武装した憲兵隊だった。

「桜田リベラ! 貴様を『国家反逆罪』および『秩序騒乱罪』の容疑で拘束する!」

 ドアを蹴破らんばかりの勢いで入ってきた隊長に対し、リベラは優雅に紅茶のカップを置いた。

 横では用心棒の龍魔呂が、すでに臨戦態勢で殺気を放っているが、リベラはそれを手で制する。

「あらあら、穏やかではありませんわね。……私が反逆? 人聞きの悪い」

「黙れ! 貴様が騎士団や商会に行った狼藉は、帝国の階級制度を揺るがす暴挙だ! 直ちに最高裁判所へ出頭せよ!」

 憲兵の怒号に、リベラは少しも動じることなく、むしろ楽しげに口角を上げた。

「最高裁判所……。なるほど、相手は『彼ら』ということですわね」

 リベラは立ち上がり、ドレスの裾を払う。

「いいでしょう。受けて立ちますわ。――龍魔呂さん、キスケ、留守番を頼みます。これは私の『古戦場』での戦いですから」

 ***

 帝都ルミナス、最高裁判所。

 大理石で造られた威厳ある法廷は、異様な熱気に包まれていた。

 傍聴席には、リベラに煮え湯を飲まされた貴族や騎士、ゴルド商会の幹部たちが詰めかけ、「極刑にしろ!」と野次を飛ばしている。

 被告人席に立ったリベラは、その罵声を心地よいBGMのように聞き流し、正面を見据えた。

 検察官席。

 そこに立っていたのは、純白の翼を背負い、漆黒の法服を纏った強面の男。

 眉間に深い皺を刻み、鋭い眼光でリベラを睨みつけるその姿は、天使というよりは断罪者。

 堂羅(どうら)デューラ。

 リベラの大学時代の同期であり、常にトップを争った宿敵だ。

「……久しぶりだな、桜田。まさか異世界に来てまで、貴様を被告人席で見下ろすことになるとはな」

「ごきげんよう、堂羅くん。相変わらず眉間のシワが深いですわね。カルシウム不足かしら?」

 火花が散る両者の視線。

 その時、法廷全体を震わせる低い声が響いた。

「――静粛に」

 裁判長席。

 そこに座るのは、銀縁メガネをかけた神経質そうな青年。

 微動だにせず、彫像のように完璧な姿勢で座っているが、そのこめかみには脂汗が滲んでいる。

 佐藤 健義(けんぎ)。

 彼もまた同期であり、かつてリベラにデートで裁判所を指定して玉砕した、あの男だ。

(くっ……リベラと堂羅が睨み合っている……! 胃が痛い……! 想定外のトラブルだけは勘弁してくれ……!)

 内心のパニックを鉄仮面の下に隠し、健義は木槌(ガベル)を叩いた。

「これより、被告人・桜田リベラの裁判を開廷する。……検察官、冒頭陳述を」

「御意」

 デューラが翼を広げ、威圧的に一歩踏み出した。

「被告人・桜田リベラは、帝国の騎士およびゴルド商会に対し、法外な金銭を要求し、その権威を失墜させた。この世界の『慣習法』において、平民が貴族や騎士に逆らうことは許されざる大罪。よって、国家の秩序を乱した反逆罪に相当する。……死刑が妥当だ」

 会場がどよめく。デューラの論理は、この世界の常識に照らせば完璧な正論だった。

 しかし、リベラは扇子で口元を隠し、クスクスと笑った。

「異議あり。……検察官の主張は、法の根幹を無視した暴論ですわ」

「何だと?」

「『罪刑法定主義(ざいけいほうていしゅぎ)』。……堂羅検事ならご存知でしょう? 法律なければ刑罰なし。この国には、私が犯した行為を『罪』と定めた成文法は存在しません」

 リベラは裁判長席の健義に向き直った。

「裁判長! 事後法による処罰は、近代法治国家としてあるまじき野蛮な行為。慣習法を盾に、私の正当な経済活動(弁護)を断罪することは、法の不遡及(ふそきゅう)の原則に反します!」

 傍聴席の異世界人たちはポカーンとしている。

「ザイケイ……?」「フソキュウ……?」

 だが、壇上の健義だけは、その論理の刃を正確に理解していた。

「(……来たな、リベラの得意技。法のない世界で、地球の法理を持ち出して『ルール違反』を指摘する手口……!)」

 健義は震える手で懐を探り、小瓶を取り出した。

 タバスコだ。

 彼はそれをチュウと一口舐める。

「……ふぅ。……被告人の主張を認める。検察官、反論は?」

 激辛成分で脳を覚醒させた健義が促す。

 デューラは不敵に笑った。

「想定内だ。……ならば桜田、貴様が持ち出したその『六法全書』の理屈で返してやる」

 デューラは書類の束を叩きつけた。

「刑法第234条、威力業務妨害。貴様は騎士団の公務に対し、用心棒(あのバケモノ)の威圧を用いた。さらに商会に対しては、裏帳簿の公開をチラつかせた恐喝罪(刑法249条)が成立する可能性がある。……こちらの世界に法がなくとも、貴様自身の『正義』に照らせば、これらはクロではないか?」

「ぐっ……」

 リベラが初めて言葉に詰まった。

 デューラは、リベラが持ち込んだ「地球の法」を逆手に取り、彼女のグレーな手法を突き崩しに来たのだ。

「被害者の無念を晴らすのが私の正義だ。……貴様のような『毒婦』を野放しにはせんぞ」

 デューラの猛攻に、傍聴席からは「そうだ!」「有罪だ!」の大合唱。

 完全に劣勢。

 だが、リベラは下を向いて……ニヤリと笑った。

「……かかりましたわね」

 リベラは懐から、一枚の羊皮紙を取り出した。

「検察官の言う通り、私の手法は強引でした。……ですが、これは『緊急避難(刑法37条)』ですわ」

「緊急避難だと?」

「ええ。あの時、騎士は無抵抗の村人を殺そうとしていた。商会はオークを餓死させようとしていた。……目前の『法的益の侵害』を防ぐため、やむを得ず行った行為。よって、違法性は阻却されます!」

 リベラは高らかに宣言し、健義を見た。

「裁判長! 私の行為が罪になるなら、この国の騎士や商会が行っている殺人未遂や労働基準法違反も、全て裁かれるべきです! さあ、どうします? 私を有罪にして、帝国の暗部も全て法廷に引きずり出しますか? それとも――」

 健義は冷や汗を拭った。

 これは裁判ではない。リベラによる、国家への「脅迫」だ。

 彼女を有罪にすれば、彼女は徹底的に国家の不正と戦うだろう。国が崩壊する。

(……詰み(チェックメイト)だ。まったく、君って奴は……!)

 健義はタバスコをもう一口舐め、真っ赤になった顔で木槌を振り下ろした。

「判決を言い渡す! ……被告人、桜田リベラを無罪とする! ただし!」

 健義は鋭くリベラを指差した。

「今後、弁護活動を行うにあたり、帝国への正式な『ギルド登録』と、納税の義務を果たすこと。……これ以上、盤面(ルール)を乱すことは許さんぞ!」

 カーン!

 木槌の音が響き渡り、法廷は静まり返った。

 デューラは舌打ちをし、翼を畳んだ。

「……チッ。今回は貴様の勝ちでいい。だが、次は逃がさんぞ、桜田」

 ***

 閉廷後。

 帝都の裏路地にある隠れ家的なカフェ。

 そこには、先程まで殺し合いのような論戦を繰り広げていた三人の姿があった。

「はい、お疲れ様。……このミルフィーユ、絶品よ?」

「いらん。……コーヒーだ。ブラックでな」

「僕は……このカレーにハバネロパウダーを追加で」

 リベラ、デューラ、健義。

 テーブルには甘味、苦味、激辛料理が混沌と並んでいる。

「それにしても堂羅くん、あの『恐喝罪』の切り返し、危なかったですわ」

 リベラがフォークを咥えて笑う。

 デューラは苦いコーヒーを飲み干し、ふんと鼻を鳴らした。

「貴様が隙だらけなのが悪い。……だが、これで帝国も『法』という概念を無視できなくなった。俺は警察組織を強化する。貴様が弁護した犯罪者が再犯すれば、即座に逮捕するからな」

「望むところですわ。私のクライアントは更生させますもの」

「……二人とも、仕事の話はそこまでにしてくれないか」

 健義が真っ赤なカレーを啜りながら、げんなりとした顔で言った。

「君たちのせいで、僕の胃壁はボロボロだ。……あとリベラ、今度想定外の証人を呼んだら、職権で退廷させるからな」

「あら、ごめんなさい。……でも健義くん、あの時の判断(ジャッジ)、公平で素敵でしたわよ?」

「っ……!?」

 リベラの上目遣いに、健義がむせ返る。

「げほっ! ごほっ! ……あ、当たり前だ! 僕はルールに従っただけだ!」

 顔を真っ赤にする裁判長を見て、リベラとデューラは顔を見合わせ、呆れたように笑った。

 法なき世界に降り立った、三人の法曹たち。

 彼らの戦い――そして奇妙な友情は、まだ始まったばかりである。

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