第2話
開業! 桜田法律事務所と、最初の依頼人
帝都ルミナス、中央大通りに面した一等地。
そのレンガ造りの建物の二階に、真新しい看板が掲げられた。
『桜田法律事務所 兼 総合相談所』
室内は、この世界には珍しいモダンな内装で統一されている。
執務机には革張りの椅子。そして部屋の隅には、なぜか本格的な厨房設備が整えられていた。
「……美味(うま)い」
朝の光が差し込む事務所で、ズルズルと麺を啜る音が響く。
リベラは箸を止め、恍惚の表情で器を置いた。
「素晴らしいですわ、キスケ。この鴨の脂の乗り具合、そして喉越しの良い二八蕎麦……。やはり朝食はこうでなくては」
「へいへい。お気に召して何よりで」
厨房から顔を出したのは、手ぬぐいを頭に巻いた猫背の男――キスケだ。
やる気なさげな半眼だが、その手際は職人そのもの。彼はこの帝都で一番人気の蕎麦処『月見屋』の店主でありながら、裏ではリベラの専属調査員を務めている。
「しかしお嬢、こんな一等地に事務所なんて構えて大丈夫ですかね? 家賃、バカ高いでしょう」
「先行投資ですわ。それに、私の『法』を売るには、これくらいの格式が必要なの」
リベラは優雅に口元を拭った。
その向かいのソファでは、用心棒の龍魔呂が、コーヒーに角砂糖を5個投入しながら新聞を読んでいた。
「……格式ねぇ。だが、開店して三日、客はゼロだぞ。来るのは新聞の勧誘と、迷子の猫くらいだ」
「焦りは禁物です龍魔呂さん。獲物は待っていれば……あら?」
その時、ドアが遠慮がちに叩かれた。
コン、コン。
その音は、どこか切羽詰まった響きを含んでいた。
「どうぞ。開いていますわよ」
ドアが開くと、そこに立っていたのは――身長2メートルを超える巨体。
緑色の肌に、突き出た牙。豚のような鼻を持つ亜人、オークだった。
薄汚れた作業着を着ており、その表情は悲痛に歪んでいる。
「あ、あの……ここは『ほうりつ』の事務所でお間違いないでごわすか……?」
「ええ、そうですわ。ようこそ桜田法律事務所へ」
リベラは満面の笑みで手招きした。
一般人なら悲鳴を上げて逃げ出すオークの来客にも、彼女は眉一つ動かさない。
彼女にとって重要なのは「種族」ではなく、「依頼料が払えるか」と「勝算があるか」の二点のみだ。
***
依頼人の名はゴズ。
帝都の建設現場で働く肉体労働者だ。
「……解雇、ですか?」
「そうでごわす。現場で足場が崩れて、右足を怪我したんでごわすよ。そうしたら現場監督に『怪我をして動けないオークはただの肉塊だ』と言われて……。治療費も出ないまま、寮を追い出されたんでごわす」
ゴズは包帯が巻かれた痛々しい足をさすりながら、大粒の涙を流した。
彼が働いていたのは、大陸屈指の大企業『ゴルド商会』の建設部門だった。
「ひどい話だ。……だが、よくある話だな」
龍魔呂がボリボリと角砂糖を噛み砕く。
この世界に「労働基準法」はない。雇用主が絶対であり、特に亜人の労働者は使い捨ての道具同然に扱われている。
「住む場所もなく、故郷の家族に仕送りもできない……。俺は、俺は死ぬしか……」
「お待ちなさい、ゴズさん」
リベラが立ち上がり、彼の目の前に一枚の書類を置いた。
契約書だ。
「泣き寝入りするにはまだ早いですわ。貴方の解雇は『不当』であり、さらに業務中の怪我は『労働災害』です。……私に任せていただければ、治療費はもちろん、退職金と慰謝料をガッツリ分捕って差し上げますわ」
「ほ、本当でごわすか!?」
「ええ。ただし、成功報酬として獲得金額の30%を頂きますけれど」
リベラの瞳が、狩人のようにギラリと輝いた。
彼女は振り返り、キスケに指示を飛ばす。
「キスケ、今すぐ現場へ。事故当時の状況証拠と、ゴルド商会の雇用契約書、ついでに現場監督の『裏帳簿』があれば最高ですわね」
「へいへい。人使いが荒いこって……。お昼の営業までには戻りやす」
キスケの姿が、陽炎のように揺れて消えた。
***
一時間後。ゴルド商会、帝都第三支部。
豪華な調度品が並ぶ支店長室に、怒鳴り声が響いた。
「誰だ貴様らは! アポもなしに支店長室に入ってくるとは!」
ふんぞり返っていたのは、恰幅の良い人間の男。ゴルド商会の支店長だ。
その正面に、リベラは優雅に座り込んでいた。背後には、威圧感を隠そうともしない龍魔呂が仁王立ちしている。
「初めまして。私、弁護士の桜田リベラと申します。本日は私の依頼人、ゴズ氏の件で参りました」
「ゴズ? ああ、あの役立たずのオークか。あんなゴミの代理人だと?」
支店長は鼻で笑い、卓上のベルを鳴らした。
「警備員! こいつらを叩き出せ!」
ドタドタと武装した警備兵たちが雪崩れ込んでくる。
しかし。
「……騒がしいな。話の腰を折るなよ」
龍魔呂が一歩前に出た。
赤黒い闘気が爆発的に膨れ上がり、部屋中の空気を重く塗り替える。
彼は軽く手を振り上げ――警備兵の槍を素手でへし折った。
「ヒッ!?」
「お嬢が話し合いに来たんだ。……静かに聞け」
鬼神の睨みに、警備兵たちは一瞬で硬直し、後ずさりする。
暴力による制圧完了。リベラはニコリと微笑み、手元のバスケットを開いた。
「さて、場の空気も和んだところで……支店長さん、甘いものはお好き?」
彼女が取り出したのは、漆黒の艶を持つケーキ。
『特製ガトーショコラ』だ。地球のレシピと、この世界の濃厚なミルクを融合させたリベラの自信作である。
「な、なんだそれは……毒か!?」
「まさか。平和的解決のための手土産(賄賂)ですわ。……さあ、一口」
リベラに迫られ、半ば無理やり口に運ばされた支店長。
その瞬間、彼の目が見開かれた。
「――ッ!? な、なんだこの濃厚な甘味は……! カカオの苦味と、とろけるような口溶け……今まで食べた菓子とは次元が違う……!」
未知の味覚体験に、支店長の思考がとろりと緩む。
脳内麻薬(エンドルフィン)が駆け巡り、幸福感に包まれたその隙を、リベラは見逃さない。
「美味しいでしょう? さて、ここに『解決金支払い合意書』があります。……ゴズ氏への治療費、および特別退職金として金貨50枚。こちらにサインを頂ければ、このガトーショコラのホールケーキを置いていきますわ」
「き、金貨50枚だと!? ふざけるな、そんな大金!」
「あら? いいんですの?」
リベラはもう一束の書類――キスケが入手した『裏帳簿』のコピーを机に叩きつけた。
「貴方が本社に内緒で、資材費を横領している証拠です。……これをゴルド商会の本社監査部に送っても?」
「なッ……!? な、なぜそれを……!」
「さあ、どちらになさいます? 甘いケーキを食べて円満解決か、横領がバレて破滅するか」
――飴と鞭。いや、ケーキと脅迫。
逃げ場はない。支店長は脂汗を流し、震える手でペンを取った。
「わ、わかった……払う! 払えばいいんだろう!」
***
事務所に戻ったゴズは、金貨の入った袋を受け取り、再び号泣していた。
今度は嬉し涙だ。
「あ、ありがとうごわす……! これで故郷に帰って、店を開くことができるでごわす……!」
「ええ、お元気で。また何かあれば(お金を持って)ご相談くださいね」
ゴズが何度も頭を下げて去っていく。
リベラは報酬分の金貨をチャリンと鳴らし、満足げに紅茶を一口飲んだ。
「最初の仕事にしては上出来だな」
龍魔呂が、残ったガトーショコラをフォークで突きながら言った。
「だが、ゴルド商会に喧嘩を売った形になるぞ。あいつら、執念深いって噂だ」
「望むところですわ」
リベラは不敵に微笑む。
「私の名前を売るには、相手は大物であればあるほどいい。……それに、法のないこの世界には、まだまだ『裁かれるべき悪』が山積みですからね」
そう語る彼女の瞳は、次の獲物を探すように輝いていた。
だがその数日後、彼女の元に帝国の憲兵が押し寄せ、「国家反逆罪の容疑」を突きつけられることになるのは、まだ少し先の話である。
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