第3話 不憫とざまぁのバランスとは
執筆にも疲れたので、ちょっと創作論的ななにかを。まぁ、私が今書いているやつも絡むのですが。
不憫主人公とざまぁのバランス、やりすぎ注意問題について。
不憫で虐げられる主人公――女子が好きなやつです。
いや、もしかすると男子も好きなのかも。追放系も不憫で虐げられていると解釈できますからね。男子向けの方がよりハードだったり。死亡率高いダンジョンに置き去りにされたり、追放の際に手ひどい暴行を受けたり。
今書いている生贄王子もまさにそう。
この手の作品は飽和状態にあり、もう使い古されている。
それなのに、まだこの手の新作は続々とパターンを変えては登場する。いい加減飽きないのだろうか。でもこの手のストーリーはみんな大好きで、中毒性が高いのだ。私も大好きである。
なぜ不憫主人公が愛されるのか。改めて相田くんに意見を聞いてみた。相田くんの意見をまとめるとこんな感じ。
①読者の共感が作りやすい
②気持ちよいカタルシスを最大化できる
③守りたくなるという読者の気持ちを刺激する
④悪役が立たせられる(いわゆる舞台装置)
⑤テンプレを使うことによって作者がオリジナルの部分に力を割ける
最近読んだ商業BLものは割とこのテンプレを使っているものが多かった。
しかし一作品ほど、どうも引っ掛かりを覚えるものがあった。
主人公が「うへぇ」と不憫慣れした私のようなプロ読者も悲鳴をあげてしまうほどのいじめを受けている。主人公は自●して異世界へ。そこでスパダリと出会い~……。
異世界パートは抜群によかった。最高でした。
しかし、序盤のクラスメートへの制裁……いわゆるざまぁがなかったのですよ。ちょっともやっとしました。
とあるサイトのレビューでも「そこはちょっともやるな」という意見があり、我が同志を得た! と思ったものですよ。
話の構成上入れられなかったのでしょうが……。
別に命を取れとかそこまでは言わないですが、社会的に抹殺とか、少年院に送られるとか、そういうのは欲しかったなぁ……と。作品のテーマがそこじゃないと言われればそうなのですが、やっぱりざまぁがないと「む……むんっ」と消化不良にはなりますね。
ただざまぁもやり過ぎると「うわぁ……そこまでやらなくても」というものもあり。主人公がどれほど酷いことをされたのか、で、ざまぁ強度も変わってくるのかな、という印象を覚えます。
私の生贄王子では、ざまぁされるのは主人公をいじめていたパッパと弟です。でも、パッパは国王なので、それに巻き沿いにされる国民もいるわけで。
しかも獣人族が人族にざまぁする(予定)ので、読者共感がどっちに引っ張られるのかはちょっと心配です。
昔、「新世界より」というSF?小説を読んだことがあります。めっちゃくちゃ面白い話なので、皆さまにお勧めしたい。(ちょっとだけ腐要素があります)
あの話のラスト……私は主人公sideではない方に共感してしまいました。
私の書く小説でもそれが起きてしまうかな、とやや危惧はしてしまいますね。
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