第8話
「そうだな。手袋していてもあんまり寄りかかるなよ。余計な繊維とか付着するとあとが面倒だから」
神崎は磐田に対して言ったのだが、同じように柵に寄りかかって下を見ようとした譲は手前でびくっとなる。慌てて柵に体が触れないように気をつけながらさっきまでいた場所をのぞき込もうとするが角度的にうまく見えない。
「ここからじゃ、うまく下が見えないですね」
「ああ、柵から屋上の縁までは約二メートルある。普通に考えるといったん柵を乗り越えないと転落することはない」
「確かにこれなら少しぐらい身を乗り出していても、後ろから当たられたぐらいなら下まで落ちることはないかも」
「それはどうかな? ちゃんと実証してみる必要はあるんじゃないか?」
二人の会話に横から磐田が入ってくる。柵のてすり部分を指でトントンとつつきながら不敵な笑みを見せる。
「神崎、外を向いてここに寄りかかってみろ。一度、後ろから思い切り蹴飛ばしてみる」
「あほか! 万が一、本当に落ちたら殺人事件の発生だ」
ちゃんとつっこむ神崎に「冗談だ」と返す磐田の目がちょっと本気だったのが恐ろしい。
普段の磐田の狂気を見ていると真実を求めるためならやりかねない。
「……ただ、これはありえないという先入観は捨てておくべきだ」
それらしいことを言っているがさっきのは完全に悪ふざけだ。
「それで警察が事故として処理しようとしているのはこのバッテンと何か関係があるのか?」
手すりを乗り越えた奥の地面に着けられているバツ印を磐田が指さした。警察が何かの記録を残そうとしたのかチョークなようなもので印がつけられている。
「さすがにめざといな。これは南朋子のスマホが落ちていた場所だ」
「スマホ? 南さんの?」
磐田に変わって譲が聞き返す。それに神崎が答えるより先に、その印を一点に見ていた磐田が口を開いた。
「……なるほどな。筋としては通っている。南からアルコール反応は出たのか?」
磐田の言葉に驚いた顔をした神崎は首を振る。
「いや、まだだ。ただその可能性はかなり高いと思う。直前まで電話で話をしていた荒川からはそういった話が出ている」
「そうか、彼女と話した印象は?」
「話には一貫性があるし特に疑う箇所はない。ただ……」
「さっきと同じ可能性の高い推測という訳か……それが本当に真実という証拠はどこにもない。お前がこだわるわけだ」
神崎は静かに口元だけ微笑を浮かべている。譲には全く二人の会話の意味が分からなかった。磐田の方を見て説明を求める顔をするが相手にしてもらえそうにない。しかたなく神崎の方に聞いてみる。
「すみません、どういうことか教えてもらっていいですか?」
神崎が「ああ、ええっと……」と説明しようとするのを磐田が手を差し出して制する。
「何でもすぐ答えを知りたがるのは最近の学生の悪いところだ。自分の頭を使って考えなくてはな。ちょっとスマホを出してみろ」
磐田は譲の前で手を差し出す。勝手に連れてこられてこの言い様に軽い反発を覚えたが、逆らっても話が進まない。結局、素直に自分のスマホを差し出した。
譲からスマホを受け取った磐田はぐるっと一周そのスマホを眺める。スマホにはカードケースタイプの折り畳み式のカバーがされている。薄いブラウンのシックなものだ。
「最近はこういうタイプのスマホケースが多いな。南さんのケースもこれだったか?」
「どうだったかな? 鑑識に問い合わせてみないと……あ、その前に現場で撮った画像があったかも」
神崎が自分のスマホを取り出して、調べようとする。
「確か同じタイプだったと思います! 土曜の懇親会の時に南さんがスマホを触っているところを見ました」
懇親会の前半、南が自分の前の席に座っている時の場面を思い出した譲が二人に伝えた。
「なるほど……好都合だ」
磐田が薄っすらと笑みを見せて、つまむように譲のスマホを目の高さまで持ち上げる。次の瞬間、磐田の手からすり抜けたスマホが柵の向こうに落下して、先ほどのバツ印のあたりに転げていった。
「⁉ 何するんですか!」
譲が磐田に向かって叫ぶ。慌てて譲はスマホを取ろうと柵の間から手を伸ばすが届かない。何か棒のようなものがあれば引き寄せることができるかもしれないと思い。周囲を探すがそんなものは見当たらない。柵を乗り越えて取りに行くしか仕方がなさそうだ……そこまで思考が巡って譲は合点がいった。
「そうか……南さんもスマホを落として」
「ああ、南朋子はあの夜このあたりで電話をかけていた。相手は荒川綾菜。最初に説明した通り南の方から荒川に電話をかけた通信記録が残っている」
「確か荒川さんの話によると、南さんと電話で話していたら途中で通話が切れて、荒川さんの方からかけ直したんだったな?」
「そうだ。荒川からの事情聴取によると南は酔っぱらっている様子だったという」
ここまでの情報を得てやっと譲の思考が磐田たちに追いついた。なるほど、確かにつじつまはあっている。
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