Side Kaji:モノリスの完成形
モノリスについて主要な説明が終わる頃には、すでに午後九時近かった。
玄関まで見送り、ああ、そうだ、と杉本に祝儀袋を差し向けた。
「……なんですか、これ?」
「ん? 結婚しはるんやろ、志穂ちゃんと。せやさかい、結婚祝い」
「ええっ。受け取れないですよ! 第一まだ少し先ですし」
「せやけど、結婚式には出られへんし、気持ちだけやから受け取って。志穂ちゃんにも、ほんまお世話になったし」
杉本は恐縮しながら、祝儀袋を懐に収めた。そのあと、言いにくそうに切り出す。
「あの……さっき、作業部屋でこれを見つけて……」
杉本の手にあるそれは、花の婚約指輪の受取伝票だった。
心臓がどくんと脈打ち、目をそらしたいのにそらせない。淡いブルーの薄紙が持つ引力が、そうすることを赦してくれなかった。
意思の力で、ゆっくりと視線を引き剥がし壁を見る。
「……捨てといて。もう要らんし」
「いやっ。さすがにそういうわけには!」
「なにからなにまで堪忍な、杉本くん。
せやけど……自分で捨てるんは…………無理やし。あんたに捨ててもらえたら助かる」
「あ……はい。……わかりました」
「ん。ありがとお。ほな、達者でな。志穂ちゃんとお幸せに」
杉本が頭を下げて玄関のドアを押し開け、外の冷気が部屋の中に流れ込んでくる。だが彼は、こちらを振り返り、堪えきれないように口を開いた。
「……でもっ。花ちゃんは梶さんのこと、ずっと待ってると思いますよ!」
一際大きな声が、無駄に広い玄関に響く。
だけど、それは、いま、あまりにも聞きたくない言葉だった。
「あかんて……杉本くん」
声が震えるのを、抑えることができない。
「あかんのやって……そんなん言うたら……」
はっとした顔の杉本が、慌てて頭を下げた。
「すみません、余計なことを言って……」
「ええよお。あんたがやさしいお人やって、ようわかっとるし。けど、そろそろ遅いし、これ以上は堪忍な」
「はい。……失礼します。梶さんもどうか、お体に気をつけて」
最後まで礼儀を保ったまま、彼は苦しげに部屋を出て行った。
残されて一人、気持ちのやり場をどこにも投げることができないまま、作業部屋に戻る。
デスクの前に立ち、端末を開いた。
ECHOがこちらに反応するように勝手に起動する。
"Hello, Kaji."
ゴールドマンと会った直後に生じた異変で、ECHOは透明パケットの探索から完全に切り離し、
だが、そのときに作動させたダミー、花のシャドウが、なぜか自由に動き回る。
「お前は……シャドウになってもやりたい放題やな……」
そう呟くと、突然、ECHOダミーがAI音声で応答した。
『──梶くん、どうしたの?』
花によく似た、だけどまったく違う、それなのに花のような喋り方で。
一気に血の気が下がり、言葉に詰まった。
「や……め…………」
『梶くん、きっと大丈夫だよ』
「──……やめろや……」
『ずっとそばにいるよ』
「やめろって言うてるやろ! そんなん…………ほんまにやめてくれ…………」
花じゃない。
そう理解しているのに、声の輪郭が花の形をしているのが耐えられなかった。
──記憶というのは、いつまで保てるものなのだろうか。
自分に残されたものは、唯一、それだけなのに。
「頼むから……上書きせんといてくれ………」
頭の中の花が笑う。怒る。泣く。そのどれもが宝物だった。
もしもこの記憶まで塗り替えられたら、二度と立ち上がることができない。
震える指で端末を操作し、ECHOのシャドウ部分だけをアーカイブにして黙らせる。
「……もう黙っとけ。
お前がノイズになるんは……どうにも赦せへんのや」
◇
深夜0時。
外苑前の並木道は、昼とはまるで別の顔をしていた。
遠くを走るタクシーの光が、雨上がりの舗道に細く溶けていく。
人影の消えたホテルのエントランスだけが、白い光を落としている。
息が白くならない程度の気温だが、空気は張りつめていた。
ホテルの自動ドアが、静かに開く。
そこから、ダークグレーのスーツに身を包んだエリック・ゴールドマンが姿を現した。
靴音をアスファルトに響かせ、歩く速度だけがやけに一定だった。
計算された無駄のない歩幅。
まるで、彼自身が演算機械そのものだ。
小さく息を吐き、深夜の街灯を背負い直すように姿勢を整えた。
ゴールドマンは、停車中の黒いSUVに向かおうとして、道の先に立つこちらの影に気づき、足を止める。
青い目が、夜の光を鈍く反射する。
まったく動揺のない視線は、数値化できない変数を見つけたときの、分析者の目だ。
ゆっくりと、歩幅を詰めて彼に近づく。
深夜の街灯が、こちらの影を長く伸ばしていた。
その影が、ゴールドマンの足元まで静かに触れる。
感情のない目をしているのに、呪い殺されそうなほどの威圧感を同時に感じた。
「こんばんは、ゴールドマンはん。
なんやお顔の色が優れんようやけど、どうかされたんやろか」
その言葉に、彼を取り巻く周囲の空気が怒気を孕む。
"What do you want?"
(何の用だ)
平坦なのに、刃物みたいに鋭い声がアスファルトに落ちる。
無害な笑顔を夜闇と共に纏い、彼に近づきこう尋ねた。
"I’ve got a question for you.
Tell me, is the Chief AI Architect position still yours to give?"
(質問があるんやけど──
チーフAIアーキテクトの椅子、まだ空いてはります?)
ゴールドマンの眉間がわずかに動いた。
その反応を確認してから、静かに続ける。
"Why don’t we build Final Monolith — together?"
(──モノリスの完成形、俺と一緒に作らへん?)
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