第十一章:帝国の設計図
リヒトハーフェン領の書斎は、静かな興奮に包まれていた。
エリザベートが、壁に貼られた王国地図を前に、その壮大な構想を語り終えた時、レオンハルトと、急遽呼び出された父ダリウスは、ただ、言葉を失って立ち尽くしていた。
「…待ってくれ、エリザベート」
最初に沈黙を破ったのは、レオンハルトだった。彼の、常に冷静な頭脳が、目の前の少女が語った、あまりにも常識外れな計画を、必死に理解しようと試みていた。
「『経営する権利』を、売る…?そんな、目に見えないものを、一体、誰が買うというのですか!それに、品質管理はどうするのです?下手に看板だけを貸し与えれば、各地で粗悪な模倣品が作られ、我々が築き上げた『海鮮御膳』のブランドは、一瞬で地に落ちますぞ!」
「うむ…」
父ダリウスも、腕を組み、唸った。「娘よ。その考えは、面白い。面白いが…リヒトハーフェン秘伝の味を、そこらの商人に、やすやすと分け与えるなど、貴族のやり方ではない」
二人の反対意見は、もっともだった。それは、この世界の常識に照らし合わせれば、当然の反応。
しかし、エリザベートの瞳には、微塵の揺らぎもなかった。
「お父様。レオンハルト。二人の懸念は、どちらも正しいわ。だからこそ、私の計画は、それを乗り越えるための仕組み(システム)を、既に内包しているの」
彼女は、二人を手招きし、テーブルの上に広げた羊皮紙を指し示した。
「まず、品質管理について。我々が彼らに提供するのは、ただの看板とレシピではないわ。見て。この事業のバリューチェーン(価値連鎖)の中で、最も重要で、そして、誰にも模倣できない部分は、どこかしら?」
彼女が指し示したのは、図に描かれた二つの要素だった。
「『魔法で鮮度保持された、リヒトハーフェン領独占の魚介』と、『青の工房が生み出す、特殊な魔法のコンテナ』。この二つよ。フランチャイズ加盟店は、必ず、この二つを、我々からのみ購入することを、契約で義務付ける。つまり、事業の心臓部を、我々が完全に掌握し続ける限り、品質が劣化することはないわ」
「なんと…」
レオンハルトが、息をのむ。
「では、貴族のやり方ではない、という点について。お父様、考えてみてください。国王陛下は、このアステル王国の全てを、ご自身で直接、統治しておいでですか?」
「いや…?各地の統治は、我々のような諸侯に任せておられるが…」
「それと同じですわ」
エリザベートは、鮮やかなアナロジーで、父の理解を促した。
「我々が、この新しい食文化における『王家』となるのです。そして、フランチャイズ加盟店は、我々に忠誠と、使用料(ロイヤリティ)という名の税を納める、忠実な『諸侯』となる。我々は、自らの手を汚さずして、王国全土に、我々の経済圏という名の『帝国』を築き上げるのです」
その、あまりにも壮大で、しかし、完璧にロジカルな構想。
ダリウスとレオンハルトは、もはや、反論の言葉を見つけられなかった。彼らは、目の前の少女が描く、未来の地図の、その圧倒的なまでの説得力に、ただ、打ちのめされていた。
それからの数週間。リヒトハーフェン邸は、王国初のフランチャイズ・パッケージを開発するための、一大プロジェクトチームと化した。
「いいこと、レオンハルト。契約書には、品質基準を破った場合の、厳しい罰則規定を必ず盛り込んで。ブランドの一貫性こそ、全てよ」
(――長谷川梓の記憶が、警鐘を鳴らす。かつて、あるファストフードチェーンが、ずさんなフランチャイズ管理のせいで、ブランドイメージを毀損し、倒産したケーススタディがあった。『ブランドの一貫性こそ、全てよ』と。同じ轍は、決して踏まない)
エリザベートは、時に、前世の記憶から学び、時に、この世界の常識に合わせて応用しながら、そのパッケージを磨き上げていった。
百ページに及ぶ、詳細な調理マニュアル。従業員のための、接客作法教本。店舗デザインの統一規格書。
それは、誰が、どこで開業しても、リヒトハーフェン本店と寸分違わぬ「体験」を、顧客に提供するための、完璧な設計図だった。
そして、全ての準備が整った日。
エリザベートは、その栄えある「フランチャイズ加盟店第一号」の候補者を、王都に召喚した。
マルタン商会の、主人マルタン。その人だった。
「…お嬢様。こ、この私が、本当に…フランチャイズ加盟店、第一号に…?」
マルタンは、エリザベートから提示された契約書を、震える手で握りしめていた。
「あなた以外に、考えられないわ、マルタン。あなたは、私が誰からも見捨てられていた時に、私を信じてくれた、最初のビジネスパートナーなのだから」
エリザベートは、まっすぐに彼の目を見て言った。
「この契約は、あなたを、王都一の商人へと押し上げるでしょう。その代わり、あなたに要求するのは、ただ一つ。完璧さ、よ。あなたの店が、これから王国中に広がる、我々の帝国の、輝ける模範(モデル)となるのです」
「…もったいのう、ございます…」
マルタンは、その場に深く膝をつくと、涙で声を詰ませながら、エリザベートの手に、忠誠の口づけを捧げた。
最初の駒は、完璧な形で、盤上に置かれた。
未来への、確かな手応え。エリザベートの心は、晴れやかな高揚感に満たされていた。
その、帰り道。
王都の宿舎で彼女を待っていたのは、二通の、リヒトハーフェン領からの手紙だった。
一通は、老執事セバスチャンから。
『お嬢様。申し上げにくいのですが、先日抗議に参られた、伝統ギルドの者たちが、より組織的な動きを見せ始めております。ヴァレリウス殿が、辺境伯様に対し、公式な聴聞会を開くよう、要求してきたとのこと…』
そして、もう一通。それは、イザベラが、彼女自身の情報網を使って、密かに送ってくれた、暗号化された警告書だった。
『エリザベートへ。警戒なさい。アルフレッドと名乗る男が、王都の裏通りで、あなたの過去を語り、民衆を扇動しています。彼は、あなたの学園時代のことを、詳しく知っている。その言葉は、毒のように、人々の心に染み渡っています』
エリザベートは、その二通の手紙を、静かにテーブルの上に置いた。
フランチャイズという、壮大で、華やかな未来図。
その足元で、伝統ギルドという『過去の軋轢』と、アルフレッドという『過去の罪』が、まるで亡霊のように、じわりと、しかし、確実に、その姿を現し始めていた。
彼女の顔から、高揚感は、すっと消えていた。
その瞳に宿っていたのは、複数の戦線を同時に見据える、指揮官の、冷徹な光だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます