王家を追放された落ちこぼれ聖女は、小さな村で鍛冶屋の妻候補になります

@cotonoha-garden

第1話


「聖女失格です。──本日をもって、第三王女リーネの聖女候補および王太子殿下の婚約者の身分は剥奪といたします。」


その言葉を聞いた瞬間、世界から足場がすっと消えた気がした。




白い大理石の床に、冷たい声がよく響く。

王宮の大広間は、凍てつくような沈黙に包まれていた。


祭壇の前に立つのは、何人もの聖女候補たち。

ひとりに手をかざすたびに、まぶしい聖なる光があふれ、周囲からは安堵と歓声が上がっていた。


……ただ、私の番だけが、違った。


「本当に……これだけ、なのですか?」


儀式を執り行う大神官が、呆れたようにため息をつき、私の目の前で杖をひとつ鳴らす。

小さな光が、かろうじて指先に揺れるだけだった。

かつて「補助聖女」と呼ばれていた、頼りない光。


「他の候補は王都の結界を維持できるほどの力を示しました。

それに比べてあなたの力では……」


言葉を濁しながらも、その視線ははっきりと「足りない」と告げている。


「陛下、これでは──」


「分かっておる。もうよい、リーネ」


玉座に座る父王が、つまらなそうに片手を振った。

王としての威厳に満ちた顔。その目に宿るのは、娘を見つめる優しさではなく、役に立たなかった駒を見下ろす冷えた諦め。


「第三王女リーネ。そなたに期待していた聖女としての務めは果たされなかった。

王家の名誉のためにも、このまま聖女候補に置いておくわけにはいかぬ」


「……お父様」


思わず呼びかけてしまったけれど、その声はかき消される。


「父上のおっしゃる通りです」


すぐそば、王太子席から聞こえたのは、私の婚約者であるはずの第一王子──レオネル殿下の声だった。


「リーネ。君を責めるつもりはない。生まれ持った力は、誰にも選べないものだからね。

けれど、王太子妃となる者には相応の力が必要だ。これは国のためなんだよ」


柔らかい笑み。

昔は優しいと思ったその微笑みが、今はひどく空虚に見えた。


「……殿下、私は──」


「これまでありがとう。君との婚約は、ここでなかったことにしよう」


私の言葉を遮るように、レオネルは立ち上がる。

まるで、使い終えた装飾品を棚に戻すような、軽い仕草で。


周囲から、ひそひそとささやき声が聞こえる。


「やっぱり第三王女様は駄目だったのね」

「聖女の資質が薄いと噂されていたもの」

「王家にとっても良かったわ。もっと相応しい方がいるでしょう」


耳を塞ぎたくても、耳は勝手に言葉を拾ってしまう。


胸の奥が、じわじわと痛くなった。


……ああ、やっぱり。

私は本当に、役立たずなんだ。




◇ ◇ ◇


その日のうちに、私は王宮を追い出された。


といっても、形式上は「静養を兼ねた辺境への移住」ということになっている。

王家としても、聖女失格の王女をそのまま王都に置いておくのは体裁が悪いのだろう。


「リーネ様、本当に……申し訳ございません」


荷物をまとめる私のそばで、侍女のマリアが今にも泣き出しそうな顔をしていた。


「どうしてマリアが謝るの? 悪いのは、私の力よ」


「でも……ずっと、お側でお仕えしてきて……何も、お守りできなくて……」


「守るって、何から? 私は王女で、あなたは侍女でしょう?」


冗談めかして笑ってみせると、マリアは余計に涙目になる。


本当は、分かっている。

彼女が言いたいのは、王宮の噂や心ない視線から私を守れなかった、ということだ。


「大丈夫よ、マリア。私、意外と丈夫だから」


「リーネ様……」


「それに、ほら。私は王女失格かもしれないけれど、生きてはいけるもの」


そう言って微笑んでみせると、マリアは唇をきゅっと結び、深く頭を下げた。


「ご武運を……いえ、どうか、リーネ様に……新しいお幸せがありますように」


その言葉だけが、ほんの少し胸に沁みた。




用意された馬車は、王宮のはずれの小さな門から出ていった。

見送りに出てくれたのは、マリアと、数人の下働きの者たちだけ。


姉たちも、父も、婚約者も──誰ひとりとして、姿を見せなかった。


カタン、と車輪が石畳を離れ、土の道に入る。


窓から見える王宮の塔が、ゆっくりと遠ざかっていく。

あの中で過ごした日々。

試験に落第して叱られた日も、ほんの少し褒められた日も、全部まとめて、かすんで見えた。


「……さようなら」


小さく呟いて、私はカーテンを閉じた。




◇ ◇ ◇


「リーネ様、この先は馬車を走らせるのが難しゅうございます」


どれくらい走った頃だろう。

御者の老人が、申し訳なさそうに振り返ってきた。


窓の外には、雪の残る森が広がっている。

王都を離れるにつれて、舗装された道は細くなり、やがてぬかるんだ獣道のようになっていた。


「この先に、村がひとつございます。

領主様のご指示では、そこまでお送りするようにと……」


「分かりました。ここからは歩きます」


そう答えると、御者はぎょっと目を見開いた。


「い、いえ、とんでもない! せめて村の入り口までは──」


「ここまででも、十分ですわ。

王家にとって厄介者の私を、ここまで運んでくださっただけでもありがたいくらいですもの」


冗談めかして言うと、老人の顔がしゅんと曇る。


「……どうか、ご無事で。

村の方々は、きっとお優しいでしょうから」


そう言って、彼は私の荷物を降ろしてくれた。

小さなトランクひとつと、身体を覆うケープだけ。

王女として生きてきたはずなのに、手元に残ったものは驚くほど少ない。


馬車が去っていく音が遠ざかっていく。

森の中に、静寂が降りた。


ひゅう、と冷たい風が頬を撫でる。

雪解け前の空気はまだ鋭く、吐く息が白い。


「……さむ」


思わず小さく呟いた声は、誰にも届かない。

当たり前だ。もう、私の周りには、誰もいないのだから。




森の中の細い道を、とぼとぼと歩く。


足元はぬかるんでいて、時おり靴が泥にはまりそうになる。

慣れない道に、すぐに息が上がった。


聖女の力は弱くても、もう少し体力くらいあってもよかったのではないだろうか。

そんなくだらないことを考えてしまうあたり、まだ私には余裕が残っているのかもしれない。


「……でも、怖いな」


木々の間から時おり、獣の遠吠えのようなものが聞こえてくる。

日が傾き始め、森の影が長く伸びるにつれて、心細さは増していった。


王宮では、いつも誰かがそばにいた。

侍女、護衛、側仕え……ひとりで歩くなんて、ほとんどしたことがなかった。


今、私は完全に独りだ。


「私、一人で……生きていけるのかしら」


思わず漏れた独り言は、かすかに震えていた。


その瞬間、足元の小さな石に気づかず、踏み外してしまう。


「きゃっ──」


ぐに、といやな感触。

次の瞬間、足首に鋭い痛みが走った。


バランスを崩して、ぬかるんだ地面に膝をつく。


「いった……」


湿った土の冷たさが、スカート越しに伝わってくる。

立ち上がろうと足に力を込めると、ずきん、と痛みがさらに増した。


ひねってしまったらしい。


「こんなところで、何してるの、私……」


笑おうとして、うまく笑えなかった。

視界がにじんでいく。

涙なんて見せたくないのに、こぼれそうになる。


「せめて、村まで……あとどれくらい……」


どれほど歩けばいいのかも分からない。

王宮地図のどこにも載っていなかった、小さな村だ。


心細さと痛みで、胸がいっぱいになった、そのとき――


カン、カン、と遠くから規則的な音が聞こえてきた。


鉄を打つような、硬い音。

森の奥から、低く響いてくる。


「……誰か、いる……?」


顔を上げたときだった。


がさり、と近くの茂みが揺れ、人影が現れた。




背の高い男だった。


肩までの黒髪を無造作に後ろで束ね、分厚い革のエプロンのようなものを身につけている。

手には、使い込まれた大きなハンマー。

その全身から、鉄と火の匂いがふわりと漂った。


「……人か。獣じゃなくてよかった」


低く落ち着いた声。

男は私を一瞥し、少し眉をひそめる。


「こんなところで何をしている。道に迷ったのか」


「え、と……」


突然現れた男に戸惑いながらも、私は慌てて泥だらけのスカートを払った。


「す、すみません。通りがかっただけで……すぐ行きますから」


立ち上がろうとして、足に力を込める。

ずきん、と鋭い痛みが走り、思わず顔をしかめた。


「っ……!」


「待て」


短くそう言うと、男は数歩で距離を詰め、私の足元に視線を落とした。


「ひねっているな。歩ける足じゃない」


「い、いえ、大丈夫です。少しくらいなら、歩けますから──」


「……見栄を張るな。転べば余計に悪化する」


ぶっきらぼうな言い方だけれど、その手は驚くほど手早く、慎重だった。

男はしゃがみ込み、私の足首にそっと触れる。


温かい。


鍛えられた大きな手のひらから、じんわりと熱が伝わってきて、冷え切っていた足先が少しだけ楽になる。


「冷えている。こんな薄着で森を歩くものじゃない」


「……すみません」


叱られているのに、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。

王宮で浴びてきた「役立たず」とか「期待外れ」といった言葉とは、まるで違う。


これは、ただの心配だ。


「俺はユリウス。この先の村で鍛冶屋をしている。

……立てるか?」


「り、リーネです。第三──」


危うく「第三王女」と言いかけて、慌てて口をつぐんだ。


今の私は、もう王女ではない。

その肩書きは、さっきあの大広間に置いてきてしまった。


「……リーネ、と申します。ただの旅人です」


「そうか。じゃあ、リーネ」


ユリウスと名乗った男は、特に詮索する様子もなく、あっさりと頷いた。


「ここで倒れられても困る。村まで運ぶ。……乗れ」


「え?」


顔を上げると、彼はもう背を向けて、膝を折っていた。

どう見ても「おぶるから乗れ」という体勢だ。


「い、いえ、そんな、ご迷惑です──」


「うるさい」


短くそう言って振り返ると、わずかに口元が動いた。


「手間が増えるのは嫌いなんだ。放っておいてあとで担ぐくらいなら、今運んだ方が楽だ」


それはきっと、彼なりの優しさなのだろう。


胸の奥で、何かがじんと温かくなる。


「……では、お言葉に甘えます」


おそるおそる背に手を回すと、ユリウスの身体は驚くほどしっかりとしていた。

鉄を扱う人の筋肉。

安定した温もり。


軽々と持ち上げられた瞬間、ふわりと視界が高くなる。


「落ちるなよ」


「はい……」


森の中を、彼の足音が一定のリズムで進んでいく。

その揺れに身を預けながら、私はふと気づいた。


――ああ、私を「ここにいていい」と言ってくれた人は、王宮の誰でもなく。


この無愛想な鍛冶屋なのかもしれない、と。




その背中の温もりは、

追放されたばかりの私には、痛いほど優しかった。


「もし、ここが新しい居場所になるのなら」


そんなありえない願いを、胸の奥でそっと握りしめたことを、

あの時の私は、まだ誰にも言えずにいた。

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