第2話


 わたしの名前は小波雫こなみしずく。取り立てて特徴のない十六歳の高校生だ。髪は肩に掛かる程度の長さで、先日美容室で切ったばかり。化粧は覚えたてで、まだそんなに上手くやれている自信はなかった。

 成績は中の上。偏差値高めの高校に通っているので、なかなか頑張っている方だと自負している。


 たぶん、わたしは平凡な生徒として見られていると思う。

 その認識はおおむね正しいが、わたしにはある特性があった。

 その特性とは、女性の体に関心を持ってしまうというものだ。

 ……不本意なことに。


 今は委員長である峰岸さんの胸に関心を持っているが、こういうことは初めてじゃなかった。別の女性の体に興味を持ったこともある。

 きっかけは中二の秋だった。わたしのクラスに転校生がやってきた。とても美人な子で、すぐに人気者になった。隣同士の席になったことから仲良くなったのだが、それがよくなかったのかもしれない。わたしは彼女の胸を盗み見るようになった。なぜそういう衝動に駆られたのか、いまだによくわかっていない。気づけば彼女の体を隅々まで見るようになっていた。


 結果、わたしは彼女を傷つけた。だからもう二度としない。そう誓ったのだが、同じ過ちを繰り返そうとしている。

 しかし、今のわたしはもうあの頃とは違うのだ。


「よし!」


 駅から徒歩十分の書店に足を踏み入れ、店内を見回す。知り合いの姿は見当たらなかった。目的のコーナーに足を運ぶと、煽情的な格好の女性たちが表紙でポーズを決めていた。

 彼女たちは自分の体を売りにしているグラビアアイドルたちだ。

 身近な人間に衝動を感じたら、自分とは遠く離れた人間で発散する――それがわたしの導き出した対処法だった。


 インターネットでそういう画像を見ることもできる。だが、どうせならプロの仕事の方がいいと思った。本を購入すれば彼女たちにお金が入る。罪悪感を覚えずに済むわけだ。

 最初は電子版での購入を検討していたが、紙で買うことにした。その方がグラビアアイドルの体をリアルに感じられると思ったからだ。


 周囲の気配に神経を尖らせながら、写真集を一冊ずつ選別していく。

 わたしは一冊の本の前で立ち止まった。強気な雰囲気のグラビアアイドルが抜けるような青空をバックに水着姿で立っている。ほとんど無表情に近い顔がわたしの琴線に触れた。


 むらむらと性欲の高まりを感じる。

 よし、これでいこう。


 わたしは別のコーナーでファッション誌を手に取り写真集の上に重ねると、慎重に持ち上げ、周囲の目を気にしながらレジへと運んだ。緊張を悟られてはいけないので表情を作り、茶髪のお兄さんに雑誌を差し出す。


「袋はどうしますか?」


 お願いします、とわたしは小声で答えた。

 若い女がグラビア写真集を買おうとしているにもかかわらず、店員さんは動じなかった。プロの接客だと感動する。

 会計を済ませて外に出ると、十月の風に煽られた。プリーツスカートの裾が乱れる。


 わたしは近道をしようと狭い路地に入った。室外機がキュルキュルと音を立てている。わたしは袋の中を確認しながら狭い路地を突っ切ろうとした。その瞬間、肩に衝撃を受け、足がよろめく。体勢を立て直すことができず、尻もちをついてしまった。


「い、いたぁ……」


 わたしは顔を顰めながら状況を確認した。

 眼鏡を掛けた女性が同じように尻もちをついていた。年齢はわたしと一緒くらいか。彼女は痛そうに片目を瞑っている。わたしは彼女の着ている英字の入ったTシャツに目を向けた。胸が大きい。

 しばらく凝視して――ハッとする。


「峰岸さん?」


 彼女はわずかに眉根を寄せてキャップを被り直すと、鬱陶しそうに前髪を手で直し始めた。 

 やはり峰岸さんだ。

 同じ色をした二つの袋が地面に落ちている。峰岸さんは手近な方を掴んで自分の方に引き寄せた。


「急いでいたにせよ、飛び出してくるのはどうかと思いますよ」

「ご、ごめんなさい……」


 申し訳なさで顔が熱くなる。袋の中身に気を取られてぶつかったのだから、悪いのは完全にわたしだ。

 峰岸さんは立ち上がり、服についた砂埃を軽く払った。


 彼女の私服を見るのは初めてだが、驚くほどカジュアルだ。けれど、とても似合っている。手足の長い美人だから、きっとどんな服でも着こなすのだろう。普段は掛けていない眼鏡も、いいアクセントになっていた。


 いつまでも見惚れている場合じゃない。

 わたしは地面に落ちていた袋を拾い上げて立ち上がった。

 まさか、こんな最悪のタイミングで会うなんて……。神様の悪意を感じた。


「何を買われたんですか?」


 峰岸さんに訊かれ、わたしは絡まりそうになる舌を何とか動かして答えた。


「別に大したものは……そっちこそ何を買ったの?」

「つまらないものですよ」


 そこで会話が途切れた。遠くで車の走行音だけが響いている。

 状況が状況だ。楽しくお喋りする気にはなれない。


「急いでいたところだからもう行くね」


 わたしはカサカサと音を立てる袋にうんざりしながら足を進めた。通りに出て振り返ると、峰岸さんがわたしを追いかけていた。


 な、なんで……?


「待ってください! その袋は――」


 わたしは最後まで聞かず反射的に駆け出した。

 体力が底をついたところで思わず立ち止まる。心臓が早鐘を打っていた。

 振り返ると、峰岸さんの姿はなかった。


「な、なんだったんだろう……」


 人目を気にしながら帰路に就いた。家に入り、後ろ手で扉を閉め、しっかりと施錠する。

 これでもう安心だ。


「おかえりなさい」

「ひゃうっ!」


 いきなり声を掛けられ、わたしは情けない声を上げてしまった。

 エプロン姿のお母さんが掃除用のゴム手袋をつけて立っていた。


「どうしたの、汗ダラダラだけど?」

「運動不足だったからね。ちょっと走ってきたんだ」

「袋を持ったまま?」


 わたしは急いで靴を脱ぎ、廊下を走った。ドタドタうるさい、とお母さんが声を上げる。わたしは気にしなかった。とにかく今は誰もいない空間で落ち着きたかった。

 自分の部屋に入ってカーディガンを脱ぎ、ふぅと息をつく。

 例の袋を引き出しの奥にしまった。


「いや……」


 不安になってベッドの下に移す。ここなら安全だろう。たぶん。

 今すぐ読みたいところだが、喉を潤すのが先決だ。それから、シャワーで体も清めたい。お腹もすいた。

 後ろ髪を引かれたが、わたしは誘惑を断ち切り、部屋を後にした。


「……峰岸さん、何を言い掛けたんだろう?」


 階段を降りながら独りごちる。

 しかし、すぐに頭から疑問を振り払う。危機は去ったのだ。何かあるなら学校で声を掛けてくるだろう。

 わたしはキッチンの蛇口を捻り、コップに水を注いだ。疲れた時に飲む水は、いつもより美味しく感じられた。

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