三話
「ふふっ、いい鹿が捕れたな」
くわえた鹿を引きずって、ワタシは自分の寝床へ戻ってた。ちょっと辺りを散歩してたら、急に鹿の親子が飛び出して来て、咄嗟にその親のほうに足を出したら、偶然爪がかかってくれたのだ。あとは夢中で仕留めて、予定外の獲物を捕れたってわけだ。本当に運がよかった。おかげで今日は早めに食事ができる。
寝床に戻って来たワタシは、早速新鮮な肉にかぶり付く。……うん、やっぱ捕りたては美味しいな。温かいし、肉も噛みちぎりやすい。止まらないね――肉も骨も内臓も、食べられるところは全部食べた。さすがに太かったり硬すぎる骨は無理だけど、それ以外は平らげてワタシは満足な気分で食事を終えた。
「ふー、美味しかった……あっ!」
鹿を腹に納め切った時に、ワタシはハッと思い出した。またやっちゃったな――お母さんの教えを忘れて、今日も全部食べてしまった。時々忘れてしまうのだ。狩りが上手くできなかった時のために備えて、肉は食べ切らず隠して取っておく――普段はちゃんと頭にあるんだけど、肉を食べ始めると、どうもどこかへ飛んで行っちゃうのだ。新鮮で美味しい肉だから、一気に食べたくて止まらないんだよね。でもそこを我慢して少しでも残さないと、後々苦しい思いをするかもしれないんだ。次は忘れないように注意しないと。せっかくいい隠し場所もあるんだし。
「……あれ? そう言えば、貯蔵庫に何か入れてたような……」
何だったかなとしばらく考えて、ふと閃いた。そうだった! 生きたままアレを隠してたんだった! あんなに食べるのを楽しみにしてたのに……忘れてた自分に呆れてしまう。そうなると途端にアレの様子が気になった。まだちゃんと生きて新鮮なままだろうか。一度確認に行ったほうがいいだろう――ワタシは休む態勢に入ってた身体を起こして、すぐに貯蔵庫へ移動する。
塞いでる石は変わらない位置にあり、特に異変はなさそうだ。それを確かめてからワタシは前足で石をつかむ。そしてゆっくり横へずらし、作った隙間から穴の中を見た。
差し込んだ光が奥に横たわる獲物の姿を照らす。身体を丸めて地面に伏してる。寝てるんだろうか。ここからじゃよくわからないな――石をどけて中に入りかけた時、獲物の頭がゆるりとこっちに向いた。何だ、やっぱり寝てたのか。
「……ア……ウゥ……」
獲物はワタシに気付くと、随分とかすれて苦しそうな声を出した。何だろう、前と様子が違うような……。
獲物は前足を動かすけど、その動きはかなり鈍い。こっちに見せてる表情も、前より元気がなさそうな感じだ。これは……弱ってる? 放っておいたら死んじゃうかな。でも今は満腹で、まだコレを食べるつもりはない。それまで生かして新鮮さを保っておきたいんだけどな。どうしたらいいんだろう――とりあえずワタシは獲物の様子をよく確認するため、一旦穴から出すことにした。
近付いて顔を寄せると、獲物は怯えた目で見上げてきた。でも逃げたり足で抵抗する素振りはない。そんな力もなさそうだった。それだけ弱ってるんだろう。ワタシは胴をくわえて穴から自分の寝床へ向かった。
獲物を下ろして、しばらく弱り具合を観察してみる。獲物はワタシの寝床にうずくまったまま動かない。時々目だけこっちに向けるけど、動かすのはそれだけだ。静かに呼吸をするだけで声も上げない。これは相当弱ってそうだな。
「ねえ、何で元気ないの? どうすれば元気出してくれる?」
原因がわからなくて問いかけてみるけど、当然答えなんて返ってくるわけない。獲物はワタシの声に怯えた目のままでいる。うーん、どうしよう。このまま弱らせて死なれちゃうのは困る。忘れてたとは言え、コレを新鮮な状態で美味しく食べるのを楽しみにしてるんだから。せっかく捕れたコレを不味くはさせたくない。そのためには元気でいてもらわないと。だけどコレを元気にするためには、一体どうすればいいんだろう……。
獲物を眺めながらワタシは考える。コレのことなんてよく知らないからな。どんな暮らしをしてて、どんな物を食べてるかとか想像もできない。……食べる、か。ワタシが元気をなくす時は大抵空腹の時だ。お腹が減ると思うように動けないし力も出にくくなる。コレも、何か食べれば元気を取り戻してくれるだろうか。
思い立ったワタシは寝床を離れて食べ物探しに向かった。何を食べるかさっぱりわからないから、とりあえず自分でも食べる物を探して森の中をウロウロしてみることにした。
「……ん、川だ」
気付くと水飲み場にもしてる川にたどり着いた。気が向いた時は川で魚を捕って食べたりすることもある。だけど魚は小さいから、食べてもあんまり満腹にならないんだよね。だから捕る回数はそんなに多くない。
冷たい水に足を入れて、ワタシはじっとしながら水面下に目を凝らす。透き通った水の底にキラリと光る魚の影を見つける。が、ここで焦ると逃げられる。だから魚がもう少し動いてこっちに近付いて来た時を狙って……今だ! ――前足で勢いよく叩くように、水ごと魚をなぎ払う。すると宙に舞った魚は川べりの地面に打ち揚げられてビチビチのた打ち回る。そこをガブリと捕まえれば狩りは成功だ。この魚もやっぱり小さいな。でもアレが食べるならちょうどいい大きさかもしれない。食べてくれるかな――不安と期待を抱えてワタシは寝床へ戻る。
「……あれ?」
戻ると、さっきまでいた獲物の姿がなかった。ワタシは魚を置いて辺りを見回す。動けなさそうだったのに、逃げちゃったんだろうか。でも怪我してたし、そうだとしてもまだ遠くまで行ってないとは思うけど……。ワタシは匂いを頼りに獲物が移動したであろう方向を探る。
「……あっちか」
濃い匂いは川のあるほうとは逆の森の中へ向かってた。それをたどって進んで行くと、獲物の姿はすぐに見つかった。歩くことができなくて地面を這って逃げたようで、身体にたくさん落ち葉を付けた格好で、ワタシの気配に気付いて振り向くと、何ともがっかりしたように頭をうなだれた。逃げる元気は残ってたらしい。危ない危ない――ワタシは獲物をくわえて寝床へ戻った。
下ろしてもうなだれてる獲物の前に、ワタシは捕って来たばかりの新鮮な魚を置いた。それを見た獲物は一瞬驚いたように身を動かす。食べてくれるかな……ワクワクしながら反応を待つ。獲物は魚とワタシを交互に見てたけど、魚を見つめると表情を歪めてしまった。その様子はいかにも嫌がってるふうに見える……魚は食べれないのかもしれない。これは駄目か。じゃあ他のものだと、やっぱりいつもの肉か? 鹿や熊だと大き過ぎてコレが食べられないだろうから、兎とか狐とかの小さい獲物のがいいだろう――ワタシは再び寝床を離れて狩りに向かった。だけどもう遠くまでは行かない。アレが見える範囲で狩りをする。そうすれば向こうも簡単には逃げようとしないだろう。
時折うずくまってる獲物の姿を遠目に確認しつつ、ワタシは狩りの標的を探す。小さい獲物は比較的見つけやすいけど、逃げられやすい獲物でもある。何せすばしっこくて、こっちが出遅れるとあっという間に見失うこともある。だから見つけたら、できるだけ物音を立てず、慎重に距離を詰めて、一気に捕まえるのがいい。さて、まずは耳を澄まして標的の居場所を探ろう。
「……!」
しばらくそうしてると、すぐ近くの地面でゴソゴソとうごめく音をとらえた。この音は――ワタシは身体の向きをそっちへ向けて、音の出所に忍び足で近付く。そのうち、地面に積もった落ち葉がモコモコと動いてるのを見つけた。あの下に何かいる――そっと忍び寄り、前足を上げたワタシは、うごめく箇所に思いっ切り足を振り下ろした。バフッと土埃が舞う中に獲物の手応えを感じる。捕まえた――ワタシはそろりと足をどけて、落ち葉に隠れた獲物を掘り出した。そこにいたのは――
「……鼠……」
グニャリと横たわった茶色い鼠だった。兎じゃなかったか。想定とは違っちゃったけど、でも鼠だって肉だ。大して腹の足しにはならないけど。まあ一応、持って行ってみるか――鼠の尻尾をくわえてワタシは寝床へ戻る。
逃げずにちゃんといた獲物の前に捕ってきたばかりの鼠を置いてみる。
「ヒッ……!」
見た途端、驚いたような声を短く上げて、獲物は今まで鈍い動きしかできなかったのに、身体を素早く後ろへのけ反らした。……あれ? 鼠も駄目なの? しばらく様子を見るけど、獲物はワタシをチラチラ見てくるだけで、鼠のほうは見ず、近付こうともしない。仕留めたばっかりだから、食べたら美味しいと思うのにな……食べないなら仕方ない。
魚も肉も駄目となると、あとは何だろう。ワタシが他に食べてる物と言ったら……あ、そう言えば、まだ狩りが下手だった頃に、空腹をしのごうと木になった実とか、地面に生えてるキノコを食べてた時期があったな。木の実はたまに甘いのもあったけど、ほとんど酸っぱくて食べる気が失せちゃったんだよね。キノコはいろんなところで見かけるからよく食べてたけど、食べても食べてもお腹が膨らまないから、狩りが上手く行き出した時には自然と食べなくなってたな。正直、どっちもすごく美味しいって感じじゃなかったけど、食べられる物には違いない。また食べてもらえないかもしれないけど……採りに行ってみるか。
さっきと同じように、ワタシは獲物が見える距離内を歩き回って、木の実とキノコを探した。どっちも特徴的な匂いがあるから、見つけるのにはそう時間はかからなかった。頭上になった木の実は、後ろ足で立って前足で枝ごと折って採った。これなら寝床まで運びやすい。そうして採った実をひとまず持ち帰る。
戻ると、捕ってきてあげた魚と鼠が寝床の外へ除かれてた。そんなに嫌いだったのか。コレの言葉がわかればな……なんて思いながら、ワタシは獲物の前に木の実のなった枝を置いた。それを見て一瞬顔を曇らせた獲物だったけど、なった実に気付くと、ワタシを見て、そして実を見てと、少し驚いたような目になった。
「オ――ベラ――エテ――カ?」
弱った声で獲物が何か声を発した。こっちを見てるから、ワタシに話しかけてるのかもしれないけど、当然意味はわからない。
「その実なら、食べられる?」
通じないのを承知でワタシも話しかけた。すると獲物は目をパチパチさせる。ゴミでも入ったんだろうか。そうしてから獲物はゆっくりした動きで木の実に前足を伸ばし、細長い指先で丸い実を一つもぎ取った。顔に近付けて、クンと匂いを嗅いでから、小さな口でかじった――おお、食べた。コレは肉より植物のほうが好きらしい。やっぱりワタシとは好みが全然違うんだな。
獲物は顔をしかめながらも、黙々と実を食べ続けてた。あんまり美味しそうには見えないけど、ワタシが採ってきた物を初めて食べてくれたことは何だか嬉しかった。この木の実だけじゃさすがにお腹は満たされないだろう。キノコも採ってきたら食べてくれるかな――コレをさらに元気にするため、ワタシは踵を返してキノコ採りへ向かう。
匂いを頼りに地面を探すと、木の根元や落ち葉の下にいくつもキノコを見つけた。それを前足の爪で刈り採り、口にくわえて寝床へ運ぶ。それを何往復かして、寝床には山盛りのキノコが集まった。これを見た獲物はやっぱり驚いた目でこっちを見てくる。そして身体を起こし、たくさんあるキノコから一つを選んで取ると、表面の土を払って一口かじる――おお、これも食べてくれた。コレは木の実とキノコを好んで食べるんだな。しっかり憶えておこう。
木の実の時とは違って、キノコを食べても獲物は顔をしかめてなかった。こっちのが美味しいんだろうか。食べる速さも大分違う。一つを食べ終えると、前足はすぐに次のキノコを手に取る。口に頬張ってる姿からは、かなりお腹が減ってたようにも感じられる。元気がなかったのは、やっぱり空腹だったからなんだろう。何か、目の前で食べてるのを見せられると、こっちまで食べたくなってくるな。まだお腹いっぱいのはずなんだけど……あっ、さっき捕ってきた魚と鼠、腐らせるのはもったいないから食べちゃおう――ワタシは寝床の外へ追いやられた二つを一気に口へ入れた。……うん、久しぶりに食べると魚も美味しいな。鼠は小さ過ぎて味はよくわからなかったけど。
さらに満腹になって眠気がまたやってきた。しばらく寝て休もう……と思ったけど、寝床には今、食事中の獲物が居座ってる。ムシャムシャ食べてるのを無理矢理どかしちゃうのも悪い気がする。まだ弱ってるし、元気を取り戻すまでは食べさせてあげるべきだろう。でもここ以外じゃ落ち着いて眠れないからな――考えたワタシは寝床の隅に身体を下ろす。ここなら獲物の邪魔にならないし、ワタシも安心して眠れる。目の前のコレも見張っておけるしね。木の実とキノコを夢中で食べてる獲物を横目にして、ワタシは休みながらウトウトする。そして自分でも知らぬ間にぐっすり眠り込んでしまった。
「……んん……」
身体が休まって自然と目が開く。うーん、よく寝た。大きなあくびをして目の前を見た時、ワタシはその一瞬で頭まで目覚めた。木の実とキノコがまだたくさん置かれてる寝床の真ん中、そこでさっきまで食事をしてた獲物の姿が、ない。どこだと周囲を見回してみるけど、やっぱりどこにも見当たらない。ワタシがどれだけの時間寝てたかわからないけど、その間にまた逃げ出してしまったのか? まったく、面倒くさいな。でもそれだけ元気を取り戻したとも考えられる。新鮮な獲物、逃がすわけにはいかない。また探しに行くか――身体を起こそうと、ワタシは足を動かす。
でもその瞬間、身体に妙な違和感があった。お腹の辺り、若干の圧迫感がある。何か物でものしかかってるような……すぐにお腹に顔を近付けてみる。するとよく知った匂いが漂ってた。え? と思いつつ、鼻先で自分の体毛をかき分けてみると、そこには、ワタシのお腹に寄り添ってスヤスヤ眠る獲物の姿があった。何で? と疑問が浮かぶ。ワタシが寝てる間に食事を終えたのはわかる。元気になってまた逃げるのもわかる。でもそうしないで、怖がってたはずのワタシにくっついて眠るって……理由がさっぱりわからない。眠たかったとしても、こんなに密着して眠る必要はない気がするけど。もしかして寝ぼけて、母親か誰かと間違えてくっついてるんだろうか。コレも仲間とはぐれて、寂しがってるのかな……そんなふうに思うと、無下に起こして突き放すのが何となくためらわれた。ワタシの視線にも気付かず、安心し切った様子で眠り続ける獲物を見てると、気持ちが震えて、不思議な感覚が湧いてきた。何だろう、これ。初めて感じる、得体の知れない気持ち……ただ眠ってる獲物を見てるだけなのに、どうしてか動かしちゃいけない気にさせてくる――そんな自分の気持ちに逆らえず、ワタシは獲物が目を覚まして飛び起きるまで、この場にじっと横たわってた。
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