第2話 バグ職に、初仕事がやってきた
村の方向から鳴り響く鐘の音に背中を押されるようにして、俺は《リーベル村》へ向かった。
近づいてみると、想像以上に“それっぽい”村だ。
木で組まれた簡素な柵。干された洗濯物。石畳とまではいかないが、土が踏み固められたメインストリート。
道端ではおばちゃんが野菜を並べていて、子どもたちが木の剣を振り回して遊んでいる。
(完全にファンタジーRPGのスタート地点って感じだな……)
そう感心していると、さっきの鐘はどうやら昼前の合図らしく、あちこちの家から人がぞろぞろ出てくる。
その中の一人が、俺に気づいて手を振った。
「おーい、さっきの兄ちゃんじゃないか!」
腰の曲がったおじいさん──さっき草原で声をかけてきた人だ。
「あ、どうも」
「具合はもうええのか? 倒れておったじゃろう」
「はい、おかげさまで」
そう答えると、おじいさんは「ならちょうどよかった」と笑って、俺の背中をぽんと叩いた。
「村長さんのところへ行く用事ができたでな。兄ちゃんもついでに連れてってやろう。迷子じゃろうし」
図星すぎて何も言えない。
そのまま俺は、おじいさんに案内されて村の中央へ歩き出した。
◇
村の中央には、ひときわ大きな家があった。
石造りの基礎に、しっかりとした木の梁。周囲の家より二回りほど大きい。
(こういうの、だいたい村長の家だよな)
予想通り、おじいさんはそこまで来ると立ち止まり、玄関先から声を張り上げた。
「村長ー! 妙な若いのを拾ったでなー!」
「言い方!」
ツッコミを入れる暇もなく、家の中から穏やかな声が返ってくる。
「妙な若いのとはまた物騒な……入ってきなさい」
通された部屋は、いかにも「偉い人の部屋」という雰囲気だった。
木製の大きな机に、壁には古びた地図やら、よく分からない獣の角やらが飾られている。
机の向こう側に座っていたのは、白い髭をたくわえた恰幅のいい老人だった。
いかにも「優しそうだけど怒らせたら怖そうな村長さん」というテンプレに忠実な感じだ。
「さて、君が……ええと」
「黒川悠斗です。ユウトと呼んでください」
反射的に本名を名乗ってしまい、少しだけ後悔する。ゲームならハンドルネームを考えたのにな。
「ユウト、か。聞かない名前じゃな。この辺りの者ではあるまい」
「えーと、その……遠いところから来ました」
異世界から、とはさすがに言えない。
村長は「ふむ」と顎髭をなでると、俺をじっと見つめてきた。
視線が妙に鋭い。何かを見透かしているような、そんな目だ。
「……天恵は、持っているのかね?」
「てん……けい?」
「自分の力を文字で見る術じゃよ。ステータス、というべきか」
心臓が一瞬止まりかけた。
(ステータスって単語、普通に使うのか……)
どう答えるべきか迷っていると、村長は「ああ、すまんすまん」と笑って続けた。
「大抵の者は、子どもの頃に一度だけ神殿で見てもらうだけじゃがな。君の目は、どうにも“見える側”の目に見えての」
「……見えます」
ここで嘘をついても仕方ない。
俺は素直に頷いた。
「自分のステータス、見えます」
「ほう。それは心強い」
村長は満足そうに頷いた。
「なら、話は早い。──ユウト。君、職業はなんと出ておる?」
来た。
避けて通れない質問が、いきなり来た。
(村人A(運営非公開/バグ職)って、正直に言うのはどう考えてもヤバいよな……)
“運営非公開”とか、“バグ職”という単語がこの世界で通じるとは思えない。
下手をすると「呪われた職だ!」とか言われて火あぶりコースもありえる。
俺は一瞬だけステータスウィンドウを確認し、文字列を脳内で書き換えてから口を開いた。
「……村人、です」
最低限だけを抽出した、極めて誠実な答えだ。嘘は言ってない。
「村人、か。ふむ。珍しくはないが、悪い職ではない」
村長は頷きつつも、少しだけ不思議そうに首をかしげた。
「だが、君の目は“ただの村人”というには鋭すぎる。……まあよい。ここは小さな村じゃ。働き手は多いに越したことはない。君さえよければ、しばらくこの村で暮らしてみないかね?」
提案、というよりほとんど既定路線の口調だった。
とはいえ、他に行くあてなんてない。ログアウトできない以上、この世界のどこかで生きるしかないのだ。
「……こちらとしても、助かります。右も左も分からなくて」
「うむうむ。それでこそ若者よ」
村長は満足げにうなずき、机の引き出しから何かを取り出した。
古びた、木の板のようなものだ。片側に金属の輪っかがついている。
「これは、《村人証》じゃ。この村に所属する者である証だ。無くすではないぞ」
「ありがとうございます」
木の板を受け取ると、視界の端で通知ウィンドウがぽんっと弾けた。
**********
【称号:リーベル村の新米村人 を獲得しました】
**********
(称号システムまであるのかよ……)
ゲーム脳的にはテンションが上がるが、冷静に考えると現実感がなさすぎて頭が追いつかない。
「さて。新米村人には、新米なりの仕事をしてもらわねばならん」
村長は、俺の反応などおかまいなしに話を進めた。
「今日のところは簡単なものだ。村の外れの丘に、《薬草》が群生している場所があってな。そこの様子を見てきてほしい」
「様子、ですか」
「最近、魔物が多くてのう。年寄りや子どもをあまり外に出したくはない。かといって、腕利きの者を出すと村が手薄になる」
つまり、使い捨て要員にちょうどいいと思われたわけだ。
(新米村人の初仕事が、完全におつかいクエストなんだが)
とはいえ、さっき草原で薬草を摘んだだけでレアアイテムができたわけで。
俺にとってはむしろ好都合な仕事だ。
「分かりました。行ってきます」
「うむ。無理はするでないぞ。丘の近くに《スライム》が出ることがある。戦えそうになければ、さっさと逃げなさい」
スライム。
RPG世界の最弱モンスター代表が、わりとあっさり名前だけ出てきた。
(本当に出るのか、ここに……)
不安半分、ワクワク半分で、俺は村長の家を後にした。
◇
村の外れの丘までは、それほど遠くなかった。
リーベル村の背後に広がるなだらかな坂道を、村人たちの畑の横をすり抜けながら登っていく。
道中、畑で作業しているおばちゃんたちに何度か「新入りかい?」と声をかけられた。
その度に軽く頭を下げてやり過ごす。人付き合いスキルの経験値が地味に貯まっていく気がする。
やがて、視界が開けた。
小さな丘の頂上付近に、緑のじゅうたんのような一角がある。
近づいてみると、そこは一面の薬草畑だった。
「うわ、マジか。採取ポイントの密度えぐいな……」
さっき摘んだものと同じ葉っぱが、無数に生えている。
これだけあれば、進化薬草を量産できるかもしれない。
俺は思わず、そのうちの一本に手を伸ばす。
「……よし。実験タイムだ」
そっと薬草を摘み取る。
すると、またしても手の中で淡い光が瞬いた。
「きた」
光が収まったあと、手の中には少し色の濃い薬草が残っていた。
ステータスウィンドウを開き、アイテム欄を確認する。
**********
【アイテム】 進化薬草(★1)
【アイテム】 薬草(★0)
**********
「……進化しないやつもあるのか」
さっき摘んだものは一発で進化したが、今回は普通の薬草も手に入っている。
どうやら、一定確率で進化するという説明は本当らしい。
試しに、もう数本摘んでみる。
光るもの、光らないもの、たまにやたらと眩しく光るもの。
インベントリには、どんどんアイテムが追加されていく。
**********
【アイテム】 進化薬草(★1)×5
【アイテム】 高品質薬草(★2)×1
【アイテム】 薬草(★0)×7
**********
「★2とか出たんだけど」
調子に乗っていると、視界の中央に、新たな通知ウィンドウが弾けた。
**********
【条件達成】
職業スキル【アイテム進化】が開放されました。
【スキル】
アイテム進化(パッシブ)
・採取したアイテムが一定確率でランクアップする
・状況により、特殊進化が発生する場合があります
**********
「……スキル、きた」
さっきまで「???」だったスキル欄の一つが、「アイテム進化」に変わっている。
(やっぱりこの“村人A(バグ職)”、採取方面でチートかかってるな)
ただの雑草が勝手にレアアイテムに変わり、しかもスキルまで解放される。
これ、ちゃんと使いこなせば、戦闘以外の部分で相当無双できるんじゃないか。
「問題は、戦闘なんだよな……」
ふと、村長の言葉を思い出す。
丘の近くにスライムが出る、という話だ。
周囲を見渡してみるが、今のところそれらしい姿は見えない。
しかし、だからといって油断していい世界でもなさそうだ。
「ステータス」
改めて自分のステータス画面を確認する。
**********
【レベル】 1
【職業】 村人A(運営非公開/バグ職)
【スキル】
アイテム進化(NEW!)
???(ロック中)
【HP】 10/10
【STR】 3
【VIT】 3
【AGI】 3
【INT】 3
【LUK】 3
**********
見事なまでに平均的。
スキルが一つ増えたとはいえ、これで魔物と戦えと言われたら、かなり心許ない。
「……やっぱ、戦闘用のスキルが欲しいよな」
そう呟いた、その瞬間だった。
ぐにゃり、と視界の端で何かが揺れた気がした。
反射的に振り向く。
丘の斜面の少し下。そこに、半透明のゼリーのようなものが、ぬるりと這い上がってきていた。
直径三十センチほど。
中に小さな核のようなものが浮かんでいる。
「……スライム」
俺の喉から、かすれ声が漏れた。
スライムの方もこちらに気づいたのか、ぷるん、と体を震わせる。
そして──
「ピギュ」
可愛いとも不気味ともつかない鳴き声を上げながら、じわりじわりと近づいてくる。
(あれを、倒せば……)
脳裏に、もう一つのバグ職の特性がよぎった。
──倒した相手のスキル構成をコピーする。
紹介文にあった、あのぶっ壊れ特性だ。
まだステータス画面のどこにも明示されてはいない。
だが、もし本当にそれが発動するなら──
「……試してみる価値は、あるよな」
自分に言い聞かせるように呟き、俺は地面に転がっていた木の枝を一本拾い上げた。
臨時の武器としては心許ない。けれど、素手よりはマシだ。
スライムとの距離が、じわりと縮まっていく。
心臓の鼓動が早まる。
喉が渇く。
手のひらに汗がにじむ。
(ゲームなら、ただの経験値だ。でも、これは──)
もし攻撃を受けたら、本当に痛いのだろう。
さっき自分の頬をつねったときの痛みを思い出し、背筋が冷たくなる。
それでも。
「……来いよ、スライム」
俺は木の枝を握りしめ、迫り来る半透明の影を正面から見据えた。
ログアウトできない村人Aの、初めての戦闘が始まろうとしていた。
──決着がどうなるかは、まだ誰も知らない。
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