第4話 弟・弥太郎
夜が深まるにつれ、家の中は静けさに包まれていった。
囲炉裏の火は小さくなり、赤く光る炭がかすかに明滅している。
おっかさんは疲れ果てて早々に横になり、浅い寝息を立てていた。
だが、カイは眠れなかった。
弥太郎の容態は、相変わらずだった。
熱は高く、咳は止まらない。
それでも、薬師から教わった薬草を煎じ、少しずつ口に含ませると、わずかに呼吸が落ち着いたように見えた。
「……頼む、持ちこたえてくれ」
思わず、そう口にしていた。
誰に向けた言葉だったのか、自分でもわからない。
弟にか。
それとも、あの“案内人”にか。
あるいは、どこかにいるかもしれない神にか。
カイは、弥太郎の手を握った。
小さくて、細くて、熱い手。
その手が、かすかに握り返してきた。
「……姉ちゃん」
弥太郎が、うわごとのように呟いた。
その声は、かすれていたが、確かに生きていた。
「ここにいるよ」
カイは、自然にそう答えていた。
その瞬間、自分の中で何かが変わった気がした。
——これは、ただの観察ではない。
この子は、ただの“転生先の設定”ではない。
彼は、確かにここに生きていて、苦しんでいて、そして——自分を“姉”として信じている。
「……俺は、姉なのか」
科学者・神代カイとしての自我が、少しずつ溶けていく。
代わりに、“おしの”としての感情が、静かに芽吹いていた。
その夜、カイは眠らなかった。
何度も薬を煎じ、冷たい布を取り替え、弥太郎の額に当て続けた。
夜明け前、ようやく弟の熱が少し下がった。
「……よかった」
その言葉と同時に、カイの身体は限界を迎えた。
気づけば、弟の枕元でうたた寝をしていた。
* * *
朝日が差し込む頃、弥太郎の咳が止まっていた。
顔色も、少しだけ良くなっている。
おっかさんが目を覚まし、弟の額に手を当てて、ほっと息をついた。
「熱が……下がってる。おしの、よく看てくれたねぇ」
「……うん」
カイは、ぼんやりとした頭でうなずいた。
疲労と安堵が、心と身体を包んでいた。
「この子がいなくなったら、あたしゃもう……」
おっかさんが、ぽつりと呟いた。
その言葉に、カイの胸が締めつけられた。
この世界では、命が簡単に失われる。
それは、科学の届かない場所で生きるということ。
だが、だからこそ——命は、重い。
「……俺は、間違っていたのかもしれない」
科学で命を制御しようとした自分。
魂をデータに変え、永遠の存在になろうとした自分。
だが、今目の前にあるこの命の重さは、数字では測れない。
「姉ちゃん……ありがとう」
弥太郎が、かすかに笑った。
その笑顔は、どんな理論よりも、どんな実験結果よりも、確かな“答え”だった。
カイは、そっと弟の手を握り返した。
「……うん。大丈夫。もう、安心していいよ」
その言葉は、姉としての“おしの”の声だった。
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