第5話:リリアの地雷

 出て行ったのはカエレン巡査や課長も含めて四~五人。


 それだけで、こんなにも部屋って静かになるんだ……。


 パトロールの感想を書きながら、チラッと、ドアを見る。


 胸の奥がざわついて、落ち着かない。会話に出て来た「転移者」のことを考えると、呼吸が浅くなる。


 ドアは沈黙したまま。


 友達の転移者が、何かをした――その可能性が頭から離れない。


 職選びの時、警察のブースに迷わず向かうあたしに笑って手を振ってくれたあの優しい顔の記憶が、濁ってしまいそうで怖い。


 そのワードに、思った以上に動揺してる自分がいる。


 みんな……いい人ばかりだもんね。


 犯罪を犯すような人は、いないもんね?


 自分で考えておきながら、その「いないもんね」が不安を煽る。


 背後から不意に声が飛んできた。


「どれだけ見てたってドアは開かないよ」


 声と同時に肩を叩かれて、反射的にビクゥッ! と竦み上がる。


「気が張ってるね~ミツキ巡査見習い。肩もガチガチだし」


 肩に置かれた手は、ぐにぐにと筋肉を解してくれる。


「フェリシア巡査、勤務中」


 聞き覚えのある、もう一つの声。


「カエレン巡査に様子見を頼まれたんだから、これも仕事だって」


「リリア巡査……フェリシア巡査……」


 金髪ポニテと狼耳ショートの二人組に、慌てて敬礼する。


「敬礼いらない。階級もいらない」


 え。仕事中にそんなフランクでいいの?


 狼耳を真っ直ぐこちらに向けてたてているフェリシアさ……じゃなくてフェリシア。


「あたしらと同年代なんだろ? 敬語もいらないよ。改めて、フェリシア・ノールズ。よろしく」


「リリアです」


 あれ? ファミリーネームを名乗らないんだ。


 こっちの警察は「血統に頼らずここにいる」ことが誇りなので、基本的に姓は名乗らない。でも最初に会った時は名乗ってたはず。えーと、確か――。


「……グランフォード、だっけ?」


 言った途端、空気が「凍った」。


 あ。ヤバい。触れちゃいけないヤツだ――。


 リリアの周りの空気が、すぅっと引いていく。


 だから、それが地雷って気付いた。


 でも何で姓が地雷なんだろう。実はどっかのお偉いさんの娘とか?


 こつん、とお腹の辺りを突かれて見ると、フェリシアがリリアの方を向いたまま肘であたしを小突いていた。


 リリアの表情が、一瞬揺れて――。


 それから、ふっとあたしに微笑んだ。


 固まっていた周囲がまた動き始めた。


「ミツキ……そう呼ばせてもらうわ……、巡査見習いは厳しいわよ。推薦スカウトされたというだけで特別扱いなんだから、その分成果が求められる」


「……覚悟してます」


「いい


 ニコッと笑うリリア。


「じゃあ、サブデスク島で仕事の手伝いをしてくれる? 人手が足りないの」


 仕事の手伝い? 何でもやります。黙ってるとろくなこと考えないから。


 サブデスク島は、数席集まったデスク、通称「島」のある所。


 カエレン巡査、リリアやフェリシアと言った巡査が仕事をこなす場所。


 あたしもカエレン巡査の隣に席をもらっているんだけど、ここで仕事を本格的にやるっていうのは初めて。


「巡回記録の写本を作って」


 巡回記録を魔導コピー機で冊子にするだけ、と説明されたけど。


 ……その「魔導コピー機」が問題なんだよ!


 魔導機は全て魔力で動く。


 これまで機械を使う時はカエレン巡査の監督があったんですけど……壊れない?


 ……あたしの魔力は機械を壊しやすいって言われたのに。


 爆発……炎上。


 嫌な考えしか浮かんでこない。


 こんな怖い機械、触れるわけないでしょ!


 あたしは完全に固まった。


「どったの」


「……壊すかも……」


 ヤバい。声まで喉に詰まってる。


「大袈裟ね。動かした程度でコピー機が壊れるわけ……」


「あ~、そういやカエレン巡査、言ってたっけ。魔力制御が全然できてないって」


 そうなんです。信号火でもあの騒ぎだったのに、それよりもっと複雑で繊細な機械を触るのが怖いんです!


 あの時を思い出して、呼吸が勝手に浅くなる。


 こんな機械壊したら、周りにも被害が出るし、怒られるなんてものじゃすまない……!


「よし」


 フェリシアが顔をあげる。


 その目が「やってみな」と言っていた。


 どくん、とあたしの心臓が一回、大きく跳ねた。


 いやその普通ができないんですが! という反論も聞かず、フェリシアは、冷たくなったあたしの手を軽くつかんで、スイッチへと導く。冷えていた指先には、フェリシアの指の感触が熱く感じられた。


「ほら。案外何とかなるもんだって。狼の勘だ、信じろ」


 狼? 何言ってんの? その耳?


 指先が震える。お願いだから、壊れないで……!


 フェリシアの温かい手が、ゆっくりとあたしの手をスイッチに導く。


 少しだけ! ちょっと! 流してすぐ止める!


 練習で教わったことを何とか再現しようと自分に言い聞かせる。


 握られた手がそっと押し出されるようにスイッチへ導かれた瞬間――。


 ボタンに触れた指先が、ほんの一拍だけ魔力を漏らした。


 そのまま、すいと腕が引かれる。


  うぃぃぃぃ……。


 動いてる。


 ほんとに、動いてる……!


 一瞬、静寂が入って、次の瞬間、胸が跳ねた。


 ……できた。ほんとに、できた!


「魔力流したのが一瞬だったら、そんなたくさんは流れないだろ?」


 そっか、触るのが一瞬なら、魔力漏れもあんまり関係ない!


 あたしの魔力、こんな風に使えるんだ……!


 ……あたしの迷惑な魔力が誰かの役に立ったのは初めてだ。


「そうねえ、でもミツキ、それは反則技だからね。ちゃんと制御できるようになりなさい。ほら指先。魔力流れたまま」


 ハッと気付く。指先からこぼれたオパールのような魔力の粒が、床に米粒ほどの浅く真っ黒い焼け跡を作っていた。


 慌てて深呼吸、集中して流れる魔力を止める。


 ……分かってます。


 魔力制御は絶対に逃げられない課題です。


 ちゃんと、向き合わないと。

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