第12話 お姫様、コンドームを用意する

 ある日の学校終わり。

 家に帰ろうとターミナル駅に向かっていた俺は、往来の中に見知った少女を見つけた。


「姫野さん」


 少し前なら、こうして見かけても、話し掛けるなんて選択肢、絶対になかった。俺も随分と出世したねぇ。


「あ、伊東君」

「これから帰宅?」


 隣に並んでそう聞くと、姫野さんはいいえと首を振る。


「お買い物に行きます」

「買い物? 何買うの?」

「それはまだ決めていませんっ」

「ウインドウショッピング的な? 洋服でも見に行くの?」

「いえ、行くのはスーパーです」

「スーパーって、肉とか魚が売ってるあのスーパー?」

「他にあります?」

「銭湯、とか」

「スーパー銭湯では、お買い物はできないと思います」

「うわ、完璧に論破されたっ」


 姫野さんは、俺の敗北宣言に笑顔を見せる。負けても、ある意味勝ちだな、これは。


「で、なんでスーパー?」

「お料理に挑戦しようと思いまして」

「料理? 今日、親いないの?」

「……伊東君がアドバイスをしてくれたのですよ?」

「ん、どゆこと?」

「普段、やらないような事をやれば、小説のネタが浮かぶかも、って」


 確かに、そう言った記憶はある。つまり、あれか?


「小説のために、いつもはしない料理をしてみようと」

「その通りです」


 ちょっと意外だな。姫野さん、家でめっちゃ料理とかしてそうなのに。


「普通に、全くしませんよ?」

「心を読むなよ」

「(普通に、全くしませんよ?)」

「こいつ……脳内に直接……」

「ふふっ」「ははっ」


 未だに慣れないが、姫野さんは自分で小説を書いてしまうくらいのオタクなんだよな。

 ……今みたいなやり取りが通じると、再認識させられる。


「日常的に料理をしている高校生なんて、二次元にしか存在しないと思います」

「そんな事はないよ」


 少なくとも、ほぼ毎日料理をしている「らしい」JKを、俺は知っているからね。


「ってか、何買うか決めてないって事は、何を作るかも決めてない系?」

「はい、食材を見て決めようかと」

「ほー」

「最初から決めておいたほうが、やっぱりいいでしょうか?」

「そう、思うよ」

「……何、作りましょう?」


 初心者でも失敗せず、かつ家族みんなで食える物がいいよな。

 安ければ、そのほうがいいだろうし……ド定番だけど……。


「人参、玉ねぎ、ジャガイモ、肉を煮込んでいます。さぁ、何を作っている? 生姜焼きor肉じゃが」

「肉じゃがですねっ」

「正解はカレーでした」

「ずるいです! 選択肢にないじゃないですかっ!」

「選べる中に答えがあるとは限らないのさ。肉じゃがには白滝が必須だしな」

「……そこは議論の余地があると思いますよ?」

「いやぁ、白滝は必須でしょ」

「わたしはインゲンが好きですっ」

「それはない。入れるとしてもさやえんどうだな」


 俺達は、なぜこんな街中で肉じゃが談義を……。


「それでは、伊東君の助言通り、カレーを作ってみる事にしますっ」

「福神漬け、忘れないようにな」

「はい!」


 完全に、ここで解散の流れだったのだが。


「あー、もしよければ、俺も行こうか?」

「え、伊東君も?」

「うん。ほら、俺がカレーとか言ったからカレーになったじゃん?」

「はい?」

「芋とか人参って結構重いし、荷物くらい持とうかと」



 と、いうわけで姫野さんと二人、スーパーマーケットの敷居を跨いだ。

 入り口付近に重ねられた買い物カゴを手に取る。


「果物は、いらないよな?」


 最初に広がっているのが果物コーナーだったのでそう切り出した。


「リンゴ、入れたりしますよね?」


 姫野さんと同じく、俺も料理は初心者だ。聞かれてもわからない。


「……まず、ルーを買おう。箱に必要な物が書いてあるはずだ」

「伊東君、賢いですっ。そうしましょうっ」


 売り場をスキップして、お目当てのカレールー(CMでよく見るやつ)をゲット。

 早速、箱の裏を見ると、材料は……えーと。


「人参、玉ねぎ、ジャガイモに肉があればいけそうだな」

「カレーにして正解でした。シンプルで助かりますっ」

「よし、野菜のとこ、行こう」


 はいっ、と元気に返事をした姫野さんと、野菜コーナーに。

 初心者料理人は、まず人参を選び始める。


「やっぱり、多く入っている物を選んだほうがいいですよね?」

「見ただけで良し悪しなんてわかんないし、まぁそれでいいんじゃない?」

「では、これにしますっ」

「ほい、どーぞ」

「ありがとうございますっ」


 三本入りの人参がカゴに放り込まれるが……その内の一本が少々傷んでいるように見える。それを指摘すると、


「あ、本当です。申し訳ないですが、これはごめんなさいしますね」


 人参アウト。そして、新しい人参がイン。


「優秀な助手さんが付いていて安心ですっ」

「はは、メインは運送業なんだけどね」

「……いいですね、その言い回し。ちょっとオシャレです」


 何か褒められた。ほんのちょっと、いや、結構嬉しい。


「次は玉ねぎだな」

「はい。今度はしっかり選びますっ」


 姫野さんのすぐ隣で、玉ねぎと睨めっこしている様子を眺める。

 何か、こうしてると……同棲してるカップルみたいだな、なんて思う。

 俺ごときが何を言ってんねん、って話だけど、雰囲気を味わうのは自由だろ?

 あぁ~、いいわぁ。なんつーか……いいわぁ。



「お肉は、何がいいと思いますか?」


 野菜の入荷を終え、精肉売り場に来ると姫野さんが言った。


「個人的には、やっぱり牛肉がいいな」

「そうですよねっ」


 俺達の意見は一致したようだ。最も手前に展開されている、牛肉のコーナーへ。

 牛が一番最初にあるのって、やっぱり単価が高いから、だろうか。ラーメン屋とかでも、お店が儲かるメニューが一番見やすいところにあるって聞いた事があるし……何の話だよ。


「見てくださいっ、このお肉っ。とっても美味しそうですっ」


 姫野さんの視線の先には、見事なサシのステーキ肉。お値段、何と三千円越えである。


「美味そうだけど、たっけぇなぁ。さすがは和牛だね」

「一体、どんな人が買うのでしょう」

「お祝いの時とかに、奮発するんでしょ」

「わたしが夢の書籍化を果たしたら、是非ご馳走してください」

「あはは、いいよ」


 嬉しそうに笑うと、姫野さんはお手頃感のある、外国産の牛肉を手に取る。


「さて、後は福神漬けですねっ」

「ちょっと待って、姫野さん」


 俺は少女を制すると「大特価! タイムセール!」というシールの張られた肉を指差す。

 さっきのステーキ肉とは勝負にならないが……適度にサシの入った切り落とし和牛だ。

 この牛肉を使えば、溶け出した和牛の上品な油によって、ワンランク上のカレーが出来上がるだろう。


「外国産よりも、ちょっとだけ高いですけど……かなり安い、ですよね?」

「和牛カレーにしちゃえば?」

「……そうしましょうっ」


 俺の後押しを受け、姫野さんは肉のパックを交換する。


「こんな掘り出し物に気付くなんて、さすがですっ!」

「ははは、メインは運送業なんだけどね」

「……二回目は、あまりよろしくないです」

「うん、俺もそう思う」


 小説家志望じゃないんだ。レパートリーの少なさには目を瞑って欲しい。


「ともあれ、伊東君のおかげで和牛カレーを食べられます。感謝ですっ」


 満面の笑みを浮かべたお姫様は、


「和牛っ、和牛っ、和牛っ♪」


 幸せそうで何より、である。うーん、誰かの役に立つって気持ちいいねぇ。ふふふ。


「ママ、ママァー」


 そんな声に振り返ると、少し離れた場所で、小学生くらいの子供が母親の袖を引いていた。


「ママァ、見て、あの人……」

「しっ、見ちゃいけませんっ」


 そりゃ、スーパーで謎の和牛ソングを歌ってたらそうなるわな。


「ニタニタしてて、気持ち悪いよ……あのお兄ちゃん」

「いや俺かよっ!」



「あ、そういえば絆創膏が無くなっていたのでした」


 お肉売り場を抜けると、姫野さんは思い出したようにそう言った。


「衛生用品は……どこだろうね」

「わたし、ちょっと探してきますね」

「あー、うん。じゃあ、俺は適当にジュースでも見てくる」

「はい、ではまた後で」

「うーい」


 それぞれ逆方向に歩き出し……俺は冷ケースの前で立ち止まる。

 今すぐ飲みたいのは炭酸だけど、基本的にはカフェオレを買うんだよな。

 ……たまには、シンプルにお茶とか?


「(カフェオレだな、やっぱ)」


 いつものやつを手にすると、周囲を見渡す。

 ……姫野さんの姿は確認できない。まだ、衛生品のところかね?


「あ、すいませーん」「はーい?」


 近くにいた店員さんに絆創膏の売り場を聞き、直行する。


「(……いないやん)」


 絆創膏が陳列された棚の前に、尋ね人の姿はなかった。ひょっとしたら、入れ違いになってしまったのかもな。

 ……そうして、俺はあてもない旅路に出る覚悟を決めたのだが……最初の角を曲がった先に、商品棚の前でしゃがみ込む格好の姫野さんを発見する。

 一体、そんなにじっくりと、何を見ているんだろうか?


「姫野さ……」


 脳みそが言語中枢を停止させた。

 姫野さんのいる場所が……俗に言う「ゴム」の売り場だったからだ。


「あ、伊東君。ジュースは選べましたか?」

「え、えぇ……カフェオレにしました」

「伊東君って、本当にカフェオレが好きですねっ」

「うん、そうだね……」

「様子がおかしいですよ? どうかしましたか?」

「「………………」」


 揃って精子……いや、静止する事約一〇秒。

 俺が何を考えているのか、姫野さんに伝わったようだ。


「ち、ち、ち、違いますよっ!? 小銭を落としてしまって、拾っていただけでっ!」


「ほ、本当に本当ですよっ!?」


「け、決してこ、こ、コンド…………避妊具を選んでいたわけじゃっ!」


「ほ、本当に本当ですからねっ! 信じてくださいっ、わたしは無実ですっ!」



 いやぁ、むしろ避妊具を使わないほうが有罪でしょう。

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