第7-3話 俺の不動産屋魂に火をつけたヤツ


深夜の国道を外れ、住宅街の路地裏へと滑り込む。

ワイパーが払いのける雨粒が、街灯のオレンジ色の光を浴びて宝石のように散っては消えた。

俺の愛車、ランドローバー・ディスカバリー3のV8エンジンが、深夜の静寂に低く唸る。

無骨なボディは、これから向かう「常識外れ」な現場に似つかわしい気がした。


目的地は、親父が遺した自社物件『メゾン・ド・カミキ』。

築三十年を超える鉄筋コンクリート造のマンションだ。

自慢じゃないが、俺が管理している物件は市内で一番管理が行き届いてる自負がある。

いつ来ても完璧なはずが、所々で痛みが出ているのに気付いた。

なにか、いつもと違う。直感的にそう思った。


「しゃ、社長……本当に降りるんですか?」

助手席で由美ちゃんがシートベルトを両手で握りしめ、涙目で俺を見ている。

頭上の天使の輪が、心細げにチカチカと点滅していた。

――それ、ご機嫌バロメーターかよ。


「当たり前だろ。ここまで来てドライブで終わるわけないだろ」


「だってぇ……ここ、雰囲気がヤバすぎますよ! 私、霊感強いんですからね!

 あそこ見てくださいよ、3階のベランダ! なんか白いのがブラブラしてます!」


「あれは洗濯物のシャツだ。……たぶんな」


「『たぶん』って言った! 今『たぶん』って言いましたよね!?」


ギャーギャー喚く幽霊事務員を無視して、俺はドアを開けた。

アスファルトを打つ雨音が、急に大きく鼓膜を叩く。

俺は襟を立て、懐中電灯と鞄を抱えて車を降りた。


深夜2時過ぎ。

住民たちは皆、深い眠りについている時間だ。

ただ、今の俺は「生きている住民」がどれだけいるのかすらも疑いたくなってきた。


エントランスの自動ドア前で立ち止まる。


「……ん?」

いくら待てど、自動ドアが開く様子はない。


「チッ、どうなってんだ。毎月、費用かけてメンテナンスしてんだぞ」

手動で重たいガラス戸を押し開ける。


カビと埃、そして古いコンクリート特有の冷たい匂いが鼻をついた。


「ううぅ……怖いよう、暗いよう……」

由美ちゃんが俺の背中にへばりつくようにして付いてくる。


「やめろって、まるで背後霊みたいじゃねーか」


「うぅ……、今日は元・地縛霊、現・背後霊でいいですぅ……」


実体のない彼女に掴まれても重さは感じない。

だが、その「冷気」だけは背筋に伝わってくるからタチが悪い。


「お前なぁ、新人オバケの割にはガチで強めのオバケだって自覚を持った方がよくねぇか?」


その言葉に、由美ちゃんは俺を覗き込み、頬を膨らます。


「オバケじゃありません! 属性自認的には元地縛霊の天使です! エンジェルガールです!」


「すげぇ、肩書だな。元銀行強盗の総理大臣くらいの違和感だな」

 俺は肩をすくめた。


「それに、ここの気配は私の知ってる健全な霊魂とは違うんです。

 もっとこう、ドロドロしてて、重たくて……」


「まるで黒鉄の性格と見た目を言ってるようなセリフだな」


軽口を叩きながらも、俺の神経は研ぎ澄まされていた。


1階の廊下を進む。

頭上の蛍光灯が寿命を迎えかけているのか、ジジッ、ジジッと不快な音を立てて明滅している。そのたびに、俺たちの影が廊下の壁に伸びたり縮んだりして、まるで生き物のように蠢いた。


「やっぱどう考えてもおかしい。」

「な、何がです?」

「俺がマンションをこんな雑な扱うわけないだろ?それが来てみたら、なんだ。

 自動ドアは壊れてるわ、電球は切れかかってるわ、変な虫はそこら中で死んでるわ。

 こんなことはありえん。」

 

 俺のポリシーとして管理物件は常に綺麗に維持しておきたい。

 それが資産価値を上げると信じているからだ。

 だからこそ、シルバーさんに高い費用を払って全物件の清掃業務を委託しているんだが、こんなことは初めてだった。


101号室、102号室……。

表札には名前が入っている部屋もあれば、空室の部屋もある。

そして、俺たちは目的の場所にたどり着いた。


103号室と105号室の間。


俺は足を止め、図面を広げた。

懐中電灯の光が、図面上の空白を照らす。


やはり、おかしい。


建築基準法上も、物理的にも、ここには部屋など存在し得ない。

目の前にあるのは、塗装されたコンクリートの冷たい壁だけだ。

ドアもない。表札もない。インターホンもない。

図面通りなら、この壁の向こうは建物を支える太い構造柱と、上下水道を通すためのわずかな配管スペース(PS)だ。


人間が入る隙間など、ネズミ一匹分もありはしない。


俺は壁をノックしてみた。


コツ、コツ。


返ってくるのは、中身が詰まった硬質で鈍い音だけ。空洞の反響音ではない。


「……由美ちゃん。何か感じるか?」


俺が尋ねると、由美ちゃんは恐る恐る壁に近づいた。

先ほどまでの怯えた表情が少し消え、真剣な眼差しになる。

彼女は壁に耳を当てるようにして顔を寄せ、そっと目を閉じた。


廊下に、雨音だけが響く静寂が落ちる。


数秒後。


カッ、と由美ちゃんが目を見開いた。


「……います」


「何がだ?」


「壁の向こう……すごく賑やかです」


「……は? 賑やか?」


予想外の言葉に、思考が停止しかけた。


怨嗟の声や叫び声ならまだ分かる。それがホラーの定番だ。

この後、その壁から苦悶の顔が浮かび出て、「出たな!悪霊め!!」的な展開になるものだと思っていたのに……


賑やかだと?


「はい。まるで宴会でもしてるみたいに。たくさんの気配がします。

笑い声とか、杯を交わす音とか……。パリピのパーリナイッ!って感じです!」


「パーリナイッ?」

 俺は少しだけ考えてみたが、どうにも変なイメージしか出ない。


「えーと……、由美さん? それはネズミ的な、運動会的な、アレですかね?」


 由美ちゃんは、人差し指を振って答える。

「全然違います! パリピのパーリナイッです!!

 これは……霊気ですね! それも、すごく濃い!パパパ・パーリナイッです!」


「Yo!Hey Men !……とりあえず、あれだな。

 不法占有、深夜(22時以降)の騒音……。

 こりゃ、全力での『分からせ』必要案件だな」


 相手が誰だか知らないが、俺の不動産屋魂に火が付いた。

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