第三章 松本さんの場合。

第3-1話 なんですかって、こっちがなんなんですか。


 神木不動産

 本日の業務日報。


 システムのアラート音が、静かな事務所に鳴り響いた。


「……珍しいな」


 PC画面に表示されたのは『家賃滞納―2か月分』の赤文字。


 対象者は、横田 健二 28歳。


 駅徒歩15分、1Kのアパート『メゾン・ド・ヒマワリ』の入居者だ。


 ここ3年、一日たりとも支払いが遅れたことのない「超」がつく優良入居者だ。



「――ま、電話出ないよな」


 登録番号にかけてみるが、留守電にもならない。

 ショートメールも督促状も送ったが反応なし。


 ただのうっかり忘れなら、電話一本で焦って払ってくれる。


 このパターンは、開き直り、夜逃げ、――最悪は自死だ。


 嫌な予感がする。


「由美ちゃん、行くぞ。――現地確認だ」


「はーい!ドライブデートですね!」


 いつも車に乗ると思うんだが、俺的には由美ちゃんが横にいて、普通に話してるだけなんだが、他人から見たら、俺は一人でしゃべってるヤベェヤツなんだろうな。

 ……とは言え、こいつ、見たもの全部口にして喋ってるし、返事ないと催促するし。


 幽霊って普通、無言で柱の陰に立ってるもんじゃねぇのって思うけど、アレか?

 幽霊界隈も、今や多様性ってやつなんかな。


 そんなことを考えながら、愛車ランドローバー・ディスカバリーを走らせた。


 ***


 現地のアパート。

 203号室の前に立った瞬間、俺は眉をひそめた。


「……臭うな」


 生ゴミの臭いではない。

 もっと湿っぽい、空気が澱んで腐っていくような、独特の不快感。

 隣に浮いている由美ちゃんが、鼻(呼吸してないけど)をつまむ仕草をする。


「社長……ここ、すごいです。空気がドロドロしてます」

「ああ。間違いなく、中に『いる』よな」


 ピンポーン。ピンポーン。


 何度チャイムを鳴らしても反応がない。

 俺はドアをドンドンと叩いた。


「横田さーん、神木不動産ですよ~!いらっしゃいますか~!

  安否確認で鍵開けますからね~!」


 鍵穴にマスターキーを差し込もうとした時、カチャリと内側から鍵が外れる音がした。


 ドアが細めに開き、隙間から男が顔を覗かせる。


「……なん、ですか……」


(いや、なんですかって……、こっちが、なんなんですかと問いたいわ。)


 出てきたのは間違いなく、横田だ。


 だが、こいつ、3年前の免許証の写真とあきらかに違う。


 頬はこけ、無精ひげが伸び放題。

 目は虚ろで、焦点が合っていない。

 在りし日の好青年はどこにいってしまったやら。


 今の横田は、まるで幽鬼だ。


「家賃の件で来たんですけどね。横田さん、全然連絡がつかないんで」


「あ……すいません……払います……でも、体が動かなくて……」


「なんか事情ありそうですね、ちょっと中入れてもらっても?」


 部屋に入れてもらう。


 カーテンは閉め切られ、昼間なのに薄暗い。

 床にはコンビニ弁当の空き箱やペットボトルが散乱し始めている。


 セルフネグレクトの初期段階だ。


 ――そして

  俺と由美ちゃんの視線は、一点に釘付けになった。


 横田の背中。


 そこに、古ぼけた灰色の作業着を着た、中年男がのしかかっていた。

 作業着には「松本」のネームプレート。―― 多分、こいつの名前。

 男の顔色は土気色で、痩せ細っている。

 そいつは、横田の首に腕を回し、ずっしりと体重をかけていた。


「……うわぁ、重そう……」

 由美ちゃんが呟く。


「――この空気の正体はこいつか。」


 作業着の男――浮遊霊の松本が、ブツブツと何かを呟いているのが聞こえた。


『……どうせ無駄だ……働く意味なんてねぇ……』


 その声は、横田の思考と同調し、彼を深い沼の底へと引きずり込もうとしていた。



(つづく)


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