第2-4話 有能で悪かったな。
—翌日。
俺は事務所に佐々木を呼び出し、買付証明書を見せた。
「はあ? なんですか、この金額。安すぎでしょ!」
金額を見た佐々木が声を荒げる。
提示したのは、相場の半値以下の金額だ。
「隣の阿久津さんが、庭を広げるために買い取りたいそうです。
ただし、建物を取り壊す費用もかかりますからね。これが限界ですよ」
「ふざけないでくださいよ。更地にすればもっと高く売れるって言ったじゃないですか!」
「ええ。ですが、それには時間がかかります。
……それに、もし、この話を断るなら、佐々木さんには別の請求書が届くことになりますが」
「請求書?」
「ええ。隣の阿久津さんからです」
俺は机の引き出しから、あらかじめ作成しておいた書類のコピーを取り出した。
そこには、過去数年間にわたるチャッピーの高級ドッグフード代、医療費、そして世話にかかった人件費が、事細かに試算されている。
「民法上の『事務管理』に基づく費用償還請求です。
阿久津さんは長年、本来、吉田さんがすべき飼育管理を代行していた。
その費用、ざっと300万円。相続人の佐々木さんには支払う義務があります」
「な、さんびゃく……!?」 佐々木の顔から血の気が引いていく。
「この買付の話を断るなら、阿久津さんは法的手段に出ると言っています。
弁護士費用もかさむでしょうし、会社にも連絡が行くかもしれませんね。
『遺産争いで揉めてる』なんて噂が立てば……」
「ま、待ってくれ!」
佐々木が身を乗り出した。
「わ、分かった。売る! その金額でいいから!」
「おや、いいんですか? 安すぎるとおっしゃってましたが」
「いいんだよ! その代わり、その請求書とかいうのは無しだ!
あと、犬も! 犬もそっちで何とかしてくれ!」
かかった。
俺は心の中でほくそ笑み、買付証明書の特約事項を指さした。
『売主は、物件内に存在する一切の残置物を撤去せず、買主がこれを引き受けるものとする』
「ええ、もちろんです。家も、中のゴミも、そして『犬』も。全部セットで現状有姿で引き渡す。これが条件ですから」
佐々木は額の汗を拭いながら、安堵のため息をついた。
「助かった……。処分費も浮くし、借金もチャラになるなら、願ったり叶ったりだ。……神木さん、あんた有能ですね!」
有能で悪かったな、クソ野郎。
俺は心の中で毒づきながら、心なんて1ミリもこもらない営業スマイルを佐々木に向けた。
「では、契約成立ということで」
それから、諸々の準備を済ませて、契約締結、決済、所有権の移転を済ませた。
契約完了から数日後。
元・ 吉田さんの家の庭。
「ほら、座れ! ……ったく、躾のなってない犬だ」
阿久津さんが、戻ってきたチャッピーにさっそく首輪をつけている。
口では文句を言いながらも、その首輪は新品の革製で、庭には立派な新しい犬小屋が建てられていた。
チャッピーは阿久津さんに飛びつき、顔中を舐め回している。
「わん! わんわん!」
その様子を、庭の隅で吉田さんと由美ちゃんが見守っていた。
『……よかった。阿久津さんなら、安心だわ』
吉田さんの顔から、黒い靄は完全に消えていた。
穏やかな、仏のような表情だ。
『ねえ、チャッピー。長生きするのよ』
吉田さんがそっと手を振ると、チャッピーが何もない空中に向かって、「わん!」と一声吠えた。
それが最期の別れだった。
吉田さんの体は光の粒子となり、冬の空へと溶けていった。
「うぅ……ぐすっ……よかったですねぇ……」
由美ちゃんが俺の横で号泣している。
(居座り幽霊が、他人の成仏を喜ぶってどういう心境だ?)
「……へいへい。一件落着っと」
俺はタバコを取り出し、深く吸い込んだ。
今回の報酬は、古家の仲介手数料。
手間賃を考えたら赤字ギリギリだが、まあ、悪くない取引だ。
—その夜。
神木不動産
「――しかし、一番最初のチャッピーの鳴き声って、なんだったんだろうな。」
デスクの椅子に深く沈みながら、俺は、ふと気になった事を呟いた。
「……多分、吉田さんが死んじゃった事を分かってたチャッピーは、阿久津さんに助けを求めてたんじゃないですかね。――それを阿久津さんだけが察したとか」
由美ちゃんはデスクでボールペンを転がしながら呟く。
「……お前がいるくらいだしな、この世は何でもありに思えてくるわ」
事務所の電話が鳴った。
「はい、神木不動産ですー」
由美ちゃんが応対する。
『おい、神木いるか! 神木に代われ!』
また阿久津さんだ。
「あー、今日はどうも。どうしました? また苦情ですか?」
『チャッピーの奴、俺の言うこと全然聞きやがらねぇ!
飯の好みもうるせぇし、散歩のコースも決まってやがる!
あのババア、甘やかしすぎだ!』
「ははは。まあ、長い付き合いになりそうですから、気長にやってくださいよ」
『ふん! ……まあ、夜鳴きだけは止まったみたいだがな』
阿久津さんの声は、どこか弾んでいた。
『……あとな、神木』
「はい?」
『……いい仕事しやがって』
プツン。 電話が切れた。
俺は受話器を置き、頭を掻きながら苦笑する。
由美ちゃんがニヤニヤしながら浮いている。
「社長、ツンデレじじい攻略完了ですね!」
「まったくこんなんばっかだよ。
――さて、俺は帰るぞ。契約祝いで肉食いに行く」
「あ、社長、私も行きたい!」
「お前、食わねぇし、皿、浮かすから来んなって」
「いいじゃないですかぁ~、あれ?
もしかして社長もツンデレ~?」
俺は無視してオフィスの電気を消す。
暗闇の中、線香の赤い火だけが、優しく揺れていた。
(第2章吉田さんの場合編・完)
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