『『『殺されたので、一緒に帰宅しました。』』』

志乃原七海

第1話# :蜜と毒の記憶# 【改稿版】第1話 ハネムーンは霊柩車で

編集部からの「もっとキャラを立たせて!」「狂気を加速させて!」というテコ入れ案(パワーアップ版)を反映し、**第1話を全面的に改稿(リブート)**しました。


作者である七海の「わたし、そんなに残酷じゃないのに」というメタな無邪気さを、そのまま物語の語り口に落とし込んでいます。


---




「お疲れ様、雄一郎さん。いい汗かいたね」


私は、運転席の彼にタオルを差し出した。

もちろん、私の手は空を切るし、タオルなんて持っていない。

だって私の肉体は、たった今、あの杉林の奥深く、地下1.5メートルに「定住」が決まったばかりだもの。


ブルルン、と高級セダンのエンジンが唸る。

私にとっては、それが新しい人生(死後)のファンファーレに聞こえた。


「……くそっ、爪の間に入り込んでやがる」


雄一郎さんはハンドルを握りながら、赤信号のたびにイライラと爪を噛んでいた。

私の墓標代わりの土が、彼の爪に残っている。

まるで、私の一部を連れて帰ろうとしてくれているみたい。愛おしい。


「ねえ、見て。月が綺麗だよ」


私は後部座席から身を乗り出し、彼の耳元に唇を寄せた。

生きている時なら「近すぎる」って怒られた距離。

でも今は平気。私の体温はマイナスだから、彼には少し冷たい風が吹いたくらいにしか感じないはず。


「……なんだ? 急に冷房が」


雄一郎さんは不思議そうにエアコンのパネルを叩いた。

ふふ、違うのよ。私が抱きついてるの。


彼はダッシュボードから除菌用のウェットティッシュを取り出すと、ハンドル、シフトレバー、そして自分の首筋を、皮膚が赤くなるまでゴシゴシと拭き始めた。

証拠隠滅。

その手際があまりに事務的で、完璧で、惚れ直してしまう。

人を一人殺して埋めた直後に、こんなに冷静に「掃除」ができる男性、世界中探しても彼くらいだわ。


「これで、きれいさっぱりだ」


彼は独り言を漏らし、満足げにバックミラーで髪型を直した。

ミラー越しに、彼と目が合う。

映っているのは彼だけ。私の姿はない。


「さようなら、面倒な女」


彼はミラーに向かって、ニヒルに笑ってウインカーを出した。

ああん、もう!

「面倒な女」だなんて、照れ隠しが過ぎるわ雄一郎さん。

口ではそう言いながら、霊(わたし)を背負って帰宅してくれるなんて。


車は夜の街を滑るように走る。

これはデートじゃない。ハネムーンだ。

行き先はホテルじゃない。彼の家――私の、新しい「職場」兼「自宅」。


***


「ただいま」


雄一郎さんが、わざとらしいほど明るい声で玄関を開けた。

私も彼の背広の裾を掴んで、一緒に入場する。

新居の匂い。高級なルームフレグランスの香り。


「おかえりなさい」


廊下の奥から、妻の佐和子さんが現れた。

能面のように白く、整った顔立ち。

彼女は夫の顔を見るより先に、雄一郎さんの足元――泥で汚れた革靴に視線を釘付けにした。


「……遅かったのね。山の方へドライブ?」


佐和子さんの声は、鈴が鳴るように綺麗で、氷のように冷たかった。

雄一郎さんの肩がビクリと跳ねる。


「あ、ああ。ちょっと気分転換にね。途中で工事現場があって、足元が汚れちゃって」

「へえ、工事現場」


佐和子さんはゆっくりと近づいてきた。

そして、跪(ひざまず)く。

甲斐甲斐しく靴を脱がせるのかと思いきや、彼女は雄一郎さんの靴に顔を近づけた。


スゥー……。


深く、長く、息を吸い込む音。

まるで麻薬探知犬のように。あるいは、獲物の匂いを嗅ぐ捕食者のように。


「……おかしな匂い。腐葉土と、鉄の錆びたような匂い……それと、」


佐和子さんが顔を上げ、雄一郎さんを見上げる。

その瞳孔が、興奮したように開いていた。


「**女の、脂(あぶら)の匂いがするわ**」


ヒッ、と雄一郎さんが短い悲鳴を上げて後ずさる。

私も思わず、自分の匂いを嗅いでしまった。

え? 私、臭う? 失礼ね、今日はおろしたての香水をつけてきたのに。


「じょ、冗談はやめてくれよ佐和子! 風呂に入ってくる!」


雄一郎さんは逃げるように洗面所へ駆け込んだ。

バタン! とドアが閉まる。


残されたのは、玄関の佐和子さんと、透明な私。


佐和子さんは、雄一郎さんが脱ぎ捨てた泥だらけの靴を、愛おしそうに両手で持ち上げた。

そして、靴底についた泥を人差し指ですくい取り――


ペロリ。


長い舌が、私の墓場の土を舐め取った。


「……んッ」


佐和子さんの頬が紅潮する。

恍惚(こうこつ)とした表情で、彼女は口の中で土の味を転がした。


「若い女の味。……愚かな夫が、また『おイタ』をした味ね」


ゾワリ。

死んで感覚がないはずの私の背筋に、冷たいものが走った。

この奥さん、知ってる。

浮気も、殺人も、全部察知してる。


「でも、残念」


佐和子さんは靴を放り出し、誰もいないはずの虚空――つまり、私が立っている場所をピタリと見据えた。


「死体(ブツ)は持ち帰らなかったけど……**生ゴミ(オマケ)**がついてきちゃったみたい」


彼女はニッコリと笑った。

その笑顔は、雄一郎さんが私を絞め殺した時の顔よりも、ずっとずっと楽しそうで、邪悪だった。


「ようこそ、我が家へ。泥棒猫さん」


見えてる。

絶対、見えてる。


私は戦慄した。でも同時に、胸の奥から熱いものがこみ上げてきた。

すごい。雄一郎さんも素敵だけど、奥さんも最高に狂ってる。


「お邪魔します、お姉様」


私は見えない唇で、彼女に挑戦的なキスを送った。

負けない。

だって私は、雄一郎さんに命がけで選ばれた(殺された)女なんだから。


バスルームからはシャワーの音が聞こえてくる。

リビングからは、奥さんのハミングが聞こえる。

そして私は、ゆっくりとリビングのソファに腰を下ろした。


ああ、なんて素敵な家庭だろう。

これからの生活が、楽しみで仕方がない。


(第1話 完)

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