第2話(ああ、わたし、生きてる……?)

前回の第1話で、**「夫は殺人犯、妻は怪異感知サイコパス、愛人はポジティブ怨霊」**という地獄のトライアングルが完成しました。

続く第2話では、いよいよ**「家庭内での共同生活(心霊現象)」**が始まります。妻・佐和子の異常性と、七海の「善意の嫌がらせ」が雄一郎を追い詰めていきます。


---


# 第2話 食卓の調味料は「怨念」


翌朝。

永井家のダイニングは、冷え切った静寂と、焼き魚の香ばしい匂いに包まれていた。


「いただきます」


雄一郎さんは、まるでロボットのようなぎこちない動作で箸を持った。

顔色が悪い。目の下にはくっきりとした隈(くま)がある。

当然だ。昨夜、ベッドに入った彼の耳元で、私が一晩中**「子守唄」**を歌ってあげたから。

(歌詞は、私たちが最初に出会った日の会話のログを、延々とリピート再生したものよ)


「……あなた、顔色が優れないわね」


対面に座る佐和子さんが、湯気の立つ味噌汁を啜(すす)りながら言った。

彼女は今朝も完璧だ。髪の一本も乱れず、肌は陶器のように白い。

そして何より、**私の存在を完全に無視している。**


私は今、雄一郎さんの膝の上に座っている。

もちろん重さはないけれど、冷気はあるはずだ。

雄一郎さんはカタカタと微かに震えながら、白米を口に運んだ。


「あ、ああ……ちょっと寝不足でね。昨夜、変な夢を見て」

「あら、どんな夢?」


佐和子さんが首を傾げる。

その視線が、雄一郎さんの胸元――ちょうど私が頬を寄せているあたりをチラリと掠(かす)めた。


「な、何でもないよ。……それより、この味噌汁」


雄一郎さんがお椀を置いた。眉間に皺が寄っている。


「味が……変じゃないか? なんというか、ジャリジャリするというか」

「あら、そう?」


佐和子さんは表情一つ変えずに答える。

雄一郎さんは知らない。

さっき、彼が新聞を読んでいる隙に、私が味噌汁の中へ**「指」**を突っ込んでかき混ぜたことを。

私の指先から滲み出る「死の味」。

山土のエッセンスと、私の愛情たっぷりの出汁(だし)。


「……砂が入ってるみたいだ。アサリの砂抜き、失敗したんじゃないのか?」

「いいえ。アサリなんて入っていないわ」


佐和子さんはニッコリと微笑んだ。


「**シジミよ。**『死』んだ『身』と書いて、シジミ」


ブッ!!

雄一郎さんが味噌汁を吹き出しそうになった。

咳き込む彼を冷ややかに見つめながら、佐和子さんは続ける。


「肝臓にいいんですって。毒素を排出してくれるから。……あなた、最近身体の中に**『悪いもの』**を溜め込んでるみたいだから」


その言葉の端々に、トゲがある。いや、トゲどころかナイフだ。

雄一郎さんは青ざめた顔で口元を拭った。


「ご、ごちそうさま。もう行くよ」

「あら、もう? まだ卵焼きが残ってるわよ」

「いらない! 食欲がないんだ!」


雄一郎さんは逃げるように席を立った。

椅子がガタリと音を立てる。

私も慌てて彼の膝から降り、背中におんぶする形で飛び乗った。


「行ってらっしゃい、あなた」


玄関へ向かう夫の背中に、佐和子さんが声をかける。

そして、付け加えた。


「――行ってらっしゃい、**七海さん**」


!!!


雄一郎さんが、凍りついたように足を止めた。

ゆっくりと、油の切れた機械のように振り返る。


「……え? いま、なんて?」

「七味(しちみ)。お味噌汁に七味が足りなかったかしらって」


佐和子さんは小首を傾げ、悪魔的に可愛らしく微笑んだ。


「空耳じゃない? 疲れてるのよ、本当に」


雄一郎さんはパクパクと口を開閉させ、何も言い返せずに家を飛び出した。

バタン! とドアが閉まる音。


***


車に乗り込んだ雄一郎さんは、ハンドルに突っ伏して荒い息を吐いていた。

「はぁ、はぁ……なんだ、あいつは……気づいてるのか? いや、まさか……」


震える手でエンジンをかける。

私は助手席に座り、そんな彼の横顔をうっとりと見つめた。


かわいそうな雄一郎さん。

奥さんは全部お見通しよ。

でも安心して。会社に行けば、もっと楽しいことが待ってるわ。


「ねえ、雄一郎さん。今日は私の好きな曲、かけていい?」


私はカーオーディオのスイッチに手を伸ばした。

もちろん指はすり抜ける。でも、念じれば電気信号くらいは操作できる。


ザザッ……プツン。


ラジオが勝手についた。

流れてきたのは、最新のヒット曲――ではなく、ザーザーという不快なノイズ音。

そして、その奥から聞こえる、くぐもった女の声。


『……く、るし……い……あいし、て……』


「ひいっ!?」


雄一郎さんが飛び上がり、慌ててスイッチを切った。

しかし、音は止まらない。ボリュームが勝手に最大になる。


『……ゆう、いちろう……さん……ずっと……いっしょ……』


大音量で響き渡る、私(死に際)の声。

昨日の夜、埋められる直前に心の中で叫んだ言葉が、電波に乗って再生されている。


「止まれ! 止まれええぇぇ!!」


彼はバンバンとコンソールを叩き、ついにはエンジンを切った。

静寂が戻る車内。

彼の荒い息遣いだけが響く。


「……故障だ。ただの故障だ」


自分に言い聞かせるように呟く雄一郎さん。

その額を流れる冷や汗を、私はそっと舐め取った。


しょっぱい。恐怖の味。

でも、これが今の私にとっての最高のご馳走。


さあ、会社へ行きましょう、課長。

今日は大事な会議があるんでしょう?

私が隣で、いーっぱいサポート(妨害)してあげるからね。


(第2話 完)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る