小雪 あの人の最後の置き土産

 兄上殿は何も言わない。今までこういう場面は何度かあってそのたびに兄上殿は無表情で無言のままだ。何を考えているのかよくわからなかったけど。今だったら少しだけわかる気がする。

 ぞろぞろと兄上殿一人を残して歩いて行ってしまう人々。ずっとこの場を取り仕切っていた大柄な男の人が真剣な顔で兄上殿に言った。


「仲間に入れてくれとか、助けてくれとか、そういう言葉を一切言えないんだなお前は。矜持ばかりが強くなって、大局を見ようとしない」


 強いことが全てだと思っている人は、誰かを頼りにするのは弱いと、恥だと考えてしまうんだ。みっともないことができないと自分の感情を押し殺している。黙り込んでいる時は、我慢している時だ。喚き散らしたいのを必死にこらえている。


「ひとりでいることを望むのなら、お望み通りこの先ずっと一人でいるがいい。それがせめてもの、お前に殺された者たちへの弔いになる」


 大柄な男の人は踵を返した。そして兄上殿を睨み付けてとても冷たい声で言い放つ。


「一人で寂しく無様に死ね」


 そのまま歩き出した。そして全ての人が見えなくなった頃。


「うがああああ!!! 畜生畜生畜生おおおお!!」


 いつぞやの時みたいに暴れまわる。そこら中を殴りつけ、刀で斬りつけて、全てをめちゃくちゃにする。

 人々が歩き始めた時から僕は急いで隠れていた。この後の彼の行動は想像がつくから。


「どこだ化け物! 出てこい! どこだああ!」


 絶対に僕に襲い掛かるだろうなと思ったから、逃げて正解だった。あれはもうただの八つ当たりだ。人々を守るために戦っているのではなくあくまで自分は立派だと他者に示すために刀を振っている。神力がない事がかわいそうなことを差し引いても、もう救いようがない。

 村人はもういない。あいつの暇つぶしとやらも一区切りがついたから……今度は。


「今度は、お前と遊ぼうかな。塵みたいに弱いけど、どうあがいてくれるのか楽しみだよ」


 あいつは他の人ならざる者たちを従えている。そいつらが今こちらに向かっているんだろう。山に行った方が多分隠れる場所が多い。でも山を荒したくないし、何よりハク様の眠る場所めちゃくちゃにされたくない。


「お前のことだからどうせ山には行かないだろう。お前が別に山に来なくても、他の化け物たちが山に行くよ。山を通って来いって言ってあるから」


……こいつ。


 僕は考える、僕が山に行ったところで倒せるわけはないんだけど。こいつは絶対に僕を山に誘き寄せるために化け物たちを暴れさせるはずだ。僕が走りまわって山を降りたところで多分みんな追いかけてこない。あくまで戦場を山にするつもりなんだ。


「ほらほら急げ、火を使う奴もいるから山が丸焦げになるぞ」


 全部あいつの思惑通りに進んでいるのは癪なんだけど。僕がここにいても山を荒されることには間違いない。覚悟を決めて山に走ろうとした時だった。

 全身が泡立つような、凄まじい何かを感じ取って僕は飛び跳ねた。あいつがまた何かしたのかと思ったけれど。


「なんだ!?」


 焦ったようなあいつの声。僕の頭上を凄まじい速度で飛んでいく黒い何かが見えた。慌てて飛びのいたってところか、すぐ近くの木の上にいたんだ。

 晴れているのに雷のような音が響いた。急に辺りが暗くなって本当に稲妻がそこら中に走っているのが見える。ただの雷じゃない、嵐がきたわけでもないのに。


ドゴォ!!


 凄まじい稲妻が、僕の見えた限りで五本山に落ちた。山火事になってしまうかと思ったけど雷が落ちた後に凄まじい悲鳴が山中から聞こえた。


あれは、人ならざる者たちの叫び。


 何が起きているのか分からずにいたけど、遠くの方で兄上殿の怒り狂った声が聞こえる。


「また貴様か、死してなお余計なことをしやがる! ふざけるなあ! 暁明!!」


 もしかして、ハク様? 亡くなった後でも発動する術を仕掛けていたということか!

 そっか、あの人が山に来ていたのは僕に会うためと、気分転換と、術の仕込みをしていたんだ。きっと山を守るため、そして僕を守ろうとしてくれていた。


 おそらくあの術、発動したら山の中にいる化け物が全て滅ぼされる仕組みになっている。そうしたら僕も死んでしまうかもしれないけれど、きっとこういうことを考えていたに違いない。

 化け物が徒党を組んでいる時点で軍勢となって攻めてくるのはわかる。そしたら僕はきっと山から逃げ出すから。僕にいつも戦ったり挑んだりせずに逃げなさいと言っていたのはそういうことだったんだ。僕の足がものすごく速いのはあの人も知っていた。


 山を覆う霧のようなものが見える。あれは、結界だ。永久に続くわけではないと思うけど、しばらくは人ならざる者はあの山に近づくことができない。僕はもちろんそうだけど、あいつも。よかった、これで山を荒されないしあの人のご遺体も見つかる事は無い。


「……やってくれる、死者の分際で」


 今まで聞いたことのないような怒りを含んだ声。アイツは頭がいいみたいだから自分の想定外のことが起きるのが許せないみたいだ。


「これで一対一になったね」

「雑魚が、調子に乗――」

「うるさいな。今僕がしゃべってるんだから黙ってて」


 煽ろうとしているわけではなく、心の底から本当にそう思った。気がついたらそう言葉に出していた。雑魚に口答えされたのは相当頭にきたのだろう。禍々しい気配が消えたのでどこかに行ってしまったみたいだ。ここで言い返したら自分の負けのようなものだと思ったのかもしれない。


 山を見つめる。しばらく帰れないのは寂しいけれど、今僕はすごく嬉しい。ありがとうございます、ハク様。貴方は本当に先の先までいろいろなことを考えていたのですね。僕が帰る場所はやっぱり山だと思うから、僕の居場所を守ってくれたんだ。奢りじゃなくて本当にそう思う。

 ここまでされたらあいつは軍勢を連れてくることをしない。一応人ならざる者にも自分の考えはあるから、大勢の同胞を死なせた奴に付き従う奴なんていないと思う。それもまたあいつの高い矜持を傷つけただろうな。なんだか、あいつと兄上殿ってちょっと似てる。仲良くすればいいのに。そんなことを考えて僕は苦笑いした。

 ふと地面を見ると血の跡があった。これはあいつが飛びのいた時に落ちたのか。そっか、少しだけ攻撃が当たってしまったんだ。


 神力による力、怪我の治りが遅いはずだ。少しだけ時間が稼げる。今のうちに僕も体力を回復させないと。

 迷ったけれど僕はハク様の家に行くことにした。兄上殿が来たらさすがに逃げるけど、嫌っているみたいだし近づかないと思う。なんやかんやあそこが一番落ち着く。山もよく見えるし、それにこの辺りは大雪が降る。籠っている方が体力も回復しやすい。雪下ろしはさすがにできないから家がつぶれない事を願うばかりだ。

 

 辺りを見渡しても静まり返っている。人の声はしないし生き物の気配もない。山の中にいる動物たちは結界関係なく行き来ができると思うからあの山はしばらく動物たちのものだ。そろそろ冬ごもりの準備を始めているはず。

 僕にもう少し戦う力があったら今のうちにもっと色々とやるんだろうけれど。今の僕には本当に何もない。傷を癒すこと以外は貴方との思い出を振り返ってどんなケリの付け方をするのか考えるだけだ。

 改めて考えてみても仇をうちたい、復讐したいとかそういう気持ちは無い。ただこれだけ大きな騒ぎになった、たくさんの人が死んだ。人ならざる者もたくさん死んでいる、村人たちは一方的に強い力に酔いしれて弱いものを虐げてきた。

 誰が悪いのかと言えばみんなが悪い。それがこういう形で終わりを迎えようとしている。

僕にできるのは。


小雪

雪がいよいよ降りつもってくる

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