処暑 ひたひたと忍び寄る

僕は後悔していない、あの日の決断を。

昨日の事のように覚えている。

全身を巡った体の熱さは、まるで灼熱のようだった。

でもそんな熱さも一時、いずれ冷めていく。

まるで季節が巡るように。




 蝉の鳴き声がだいぶ少なくなった。もう、死んでいっているのだろう。それは人間も同じだ、この村が全盛期の時に比べると村人は半分にも満たない。戦で死に、女はいなくなった。それでもこの村で生きている者たちがいる。


 結局女たちは何人か戻ってきた。男たちが必死に探して周辺の村にいた者たちを見つけて連れ戻したのだ。ただし無理矢理連れ戻されたのではなく必死に説得をしたようだ。帰ってきたのは本当に少し、何かあればすぐに出て行くからとあまり優しい態度ではないけれど。すべての男と女の仲が悪かったわけでは無いからギスギスしたまま一緒に暮らしていると言う感じだ。

 戻ってきた女は男や子供たちに生活の術を教えている。自分でできるようになれ、戦いだけが全てではないと。これができるようになったら女がまた出て行ってしまうのではないかと子供たちは心配そうにしているが、戦い以外の生き方を探しなさいと女たちは強く説得している。


「外に出てわかった。化け物どもはそんなに数がいない。化け物を倒していかないと生きている意味がないなんてばかばかしいんだ。食べ物を作って子供を作って家族を守りながら生きていく。それだけで充分なんだよ」


 戦うことでしか自分の存在価値を見出せなかった大人の男たちはなかなか受け入れられないみたいだけど、子供たちが今必死に田畑の世話のやり方を覚えている。刀を振るう練習もしなくなった。

 もともとあまり強くない男と気の弱い男はそれに賛同してせっせと田んぼの世話をしていた。そうすると女たちにも笑顔が増える。

 たまに雨が降ってくれるおかげで何とか米は育っているみたいだ。雑草を抜いて大切に育てている。育ちが早いものはもうしっかりと穂をつけ始めている。全体的には背が低くて成長が悪そうだけどどうやら米は無事実っているようだ。


 数は少ないけど少しだけ穏やかに過ごす人たちが増えた。それだけでも僕は嬉しい。でもそれも時おり聞こえる怒鳴り声やいざこざにかき消されてしまいそうになる。

 農作に参加しない男たちはと言うと兄上殿とヒャクドウ殿、この二人を支持する者たちできれいに真っ二つに割れた。

 僕から見れば二人ともどっちもどっちなんだけれど……自分の力が一番だと信じて疑わない、戦うことがこの世で一番偉いと思っている。似たり寄ったりなのにどうして仲良くできないんだろう。動物もそうだけど群の中心となる雄は一匹だ、二匹いるのが許せないのかもしれない。

 前は強い者の言うことを聞いていた男たちも今は米作りをする人と、戦いに重きを置く人に別れる。米作りしてる男たちは兄上たちのいがみあいに勝手にやってくれ、という雰囲気だ。

みんな気づきはじめている。長などいなくても生きていけるのだと。ただしそれはあの人が結界を張っているからだ。

 

あの人は無事だろうか。暑くて倒れていないだろうか。心配になって、最近は少しあの人の家に近づく。結界が張られているから一定の場所から先には行けないけど。

 あたりはとっくに日が落ちてもうすぐ夜更けだ。騒がしいカラスの鳴き声。カラスは嫌いだ、頭がいいから勝てると思った相手にいつまでも攻撃してくる。僕も昔はしょっちゅう追い回されていた。


 カラス。カラスか……。


 カラス? おかしい、どうしてカラスが夜中に鳴いているんだ。鳥だって夜は寝る、夜に鳴く鳥なんていない。

 胸騒ぎがした。なんだかすごく、とても嫌な予感がして僕は慌ててあの人の家のそばまで走る。どうせ結界があるから僕は入ることができない……そう思っていたのに。


!? どうして……結界がない!


 昼に近づいた時は確かに見えない何かがあって近寄れなかったのだけれど今は何もなかった。村に入ることができる、あの人の家にも行けるかもしれない。


ぎゃあぎゃあと喚くカラス。嫌だ。

僕はあの人の家まで走った。


 夜もあまり眠らず食事もほとんどとっていない。結界を張り続ける事は命を削るのと同じだ。これが直接原因で死ぬわけではないが、集中力が途切れないようにしているとどうしてもその他のことが疎かになってしまう。

 結界を張る時は傍仕えの者が身の回りの世話をして初めて長い期間結界を張り続けることができるのだが、今すべてのことを自分でやらなければいけない。体に負担にかかりに決まっている。それをわかっていて、それを承知でやっているのだから別にいい。


 村は随分と様変わりした。女たちからは見捨てられ自分の頭で考えて生きてこなかった男たちは右往左往だ。兄上やヒャクドウなど、都合の良い者を自分の主と決めつけていまだについていこうとしている。どちらについていってもあまり結末は変わらない気がするのだが。

 あの二人こそ兄弟だと言われれば納得できる位には考え方がそっくりだ。昔馴染みで仲が悪かったらしいが。似たり寄ったりというかどんぐりの背比べというか、目くそ鼻くそといったところだ。


 子供の頃から兄上が羨ましかった。彼は神力がないからだ。兄上に知られたら文字通り殺されそうなことだが。こればかりはわかりあえない。神力がないから生きる価値も戦う力もないと思いがちなこの村では屈辱的なことだろう。だが神力を持っている者からしたらこれがあるせいでまっとうな人の暮らしができないのだ。


 かたん、と奥から音がして女が酒と簡単なツマミを持ってきた。

 人ならざるものに自分の村を滅ぼされてこの村に転がり込んできたという女。美しく気立てが良く男であればこの女に夢中にならないわけがない。きっとそれをこの女は骨の髄まで心得ている。

 一度は追い払ったが他の男たちから命を狙われていると数日前転がり込んできた。家の世話をする、落ち着いたらここには近づかないからどうか匿ってほしいと泣きながら訴える女。何もしなくていいから好きにしろと言ったらこの二、三日は本当におとなしくしていた。

 どうやら炊事が下手なようで食事がまともに作れない。女であれば幼い頃から家の手伝いをして炊事も家事もできて当たり前なのだがこの女はできなかった。それが一体何を意味するのか、村の男たちは全く考えなかったようだ。


「愚かなことだ」


 別に話しかけたわけではないと言うのに私の言った意味がわからないらしく女は首をかしげる。持ってきた酒は人がいなくなってしまった家の厨から持ってきたようだ。漬物や干し肉など手を加えなくてもそのまま食べられるものも持ってきている。


「山でこれを見つけました」


 そう言って差し出してきたのは木苺だった。確かに夏でも涼しい所にはたくさん生えている。

 あの子と会ったのも気分転換に山を散歩していた時だ。気配を感じてそっと見てみたらあの子が木苺を必死に食べ漁っていた時だった。あの子は私の気配に気づいていなくて腹が減っていたのだろう、夢中で木苺を食べていた。

 その様子がなんだかおかしくて切り株に腰をかけてじっと見ていると、お腹いっぱいになって、一息ついて、少し日向ぼっこをして。ようやく私の存在に気づいて目をまん丸くして固まってしまった。わたわたと慌てて挙動不審になり、逃げ出すかと思ったらしばらく考え込んで私に木苺をそっと差し出してきた。

 あれには度肝を抜かれたし、座っていたけど腰が抜けそうだった。

 あの子にとって私は命を奪いとる存在だとわかっていたはずだ。それなのに自分の食べていたものを差し出した。命乞いではない、私が腹を空かせて動けないのではないかと思ったからだ。独り占めもできただろうに、私のことを先に考えてくれた。


 あんなに優しい子に会った事はなかった。涙が出そうだった。

 懐かしいな、そう思いながら木苺を一つつまんでじっと見つめる。


 なるほど、確かに木苺だ。今一番食べたかった。美味い酒でもなく、猪肉でもなく、神に捧げるような上質な食べ物などいらない。私は冷たい井戸の水とよく冷えた夏野菜と、そして山の恵みがあればそれで良い。

 そろそろ潮時だ。どちらにしろ私の命ももう長くはないのなら、私が決めていいはずだ。どう生きるのか、どう終わるのか。


 私は木苺を全て食べた。思っていた通り、すごくまずい。


 あの子が分けてくれた木苺が懐かしい。甘酸っぱくてとても美味しかったな。美味しいと笑う私を見て、あの子は目をきらきらさせていた。食べ物を分け合えた事を、私が喜んでくれた事に幸せを感じてくれる……本当に、本当に優しい子。

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