立秋 初めての会話と、別れ

 その言葉に、叔父上殿は目を細める。いろいろな事を思い出しているのだろう。幼いころより関わって来た甥っ子、大切に思っているのは間違いない。それはあの人も同じはずだ。


「兄様が作ったから絶対に大丈夫だ、悪いモノは近寄ってこない」


 お守り。神力を込めて作った、ということだろうか。僕は離れているせいか何も影響はないけれど、人ならざるものを遠ざける力があるようだ。


「やはり、一芝居うったか」


え……。


「……。もう、あの連中のために生きる必要はないだろ。女たちはこの村を捨てた。そんな事さえわからないあんな奴等を庇っていても誰も助けてくれない。あなたが一番わかっていたはずじゃないか、俺達の親父がそういう奴だったのだから」


 そうか。叔父上殿は強い、例え神力があまりなくても。だから村に戻れば絶対に無理難題を押し付けられる役割を背負わされる。それを救うには、役立たずだと突き放して追い出すしかない。しかもあの言い方、強い者こそ上だという考えはお父上が最も強かったのかもしれない。今の男たちの風習を強くしてしまったのは彼らの父上なのか。

 この村を出ることが、叔父上を救う手段なんだ。あの人もカイキ殿もそれをわかっていた。カイキ殿やあの人みたいに寄り添える相手がいたらこの村で暮らしていく理由の一つになってしまう。だから徹底的に、絶対の孤独にするしかなかったんだ。

 ……なんて、辛い役目をまっとうしたのだろうか、彼は。僕はなんて勘違いをしていたんだ。彼が村人に冷たいのもすべてこのためだったのか。神力がないと嘘をついているのも村人たちの縋る相手をなくすため。神力を持つ者はいないと言う為だ。

 カイキ殿は懐からもう一つ何かを取り出した。あれもお守りだ。


「兄様のお守りもあるからいらないかと思ったけど……兄様のは邪を払うものだったから、こっちは安全の願掛けをしておいた。きくかどうかはわからないけど」


 最後まで聞かずに叔父上は手のひらを差し出す。その顔には笑顔が浮かんでいた。カイキ殿はそっと、お守りを置いた。


「ありがとう、カイキ。兄を超える神力を持つお前の願掛けだ、必ず儂を守ってくれるだろう」


 叔父上の言葉にカイキ殿は小さく頷く。


「片腕では大変だろうけど、それは一人じゃ大変ってだけで誰かと一緒なら大したことない。さっさと嫁をもらってくれ。片腕あれば子を抱っこできるだろ」

「はっはっは、まさか甥から所帯の心配をされるとは。……お前は、残るのだな」

「残る」


 一緒に行かないのか。そう思っていたら木苺を葉っぱごと地面に落としてしまった。ほんの小さなドサっという音。カイキ殿がこちらを振り返ると近寄って来る。

 ま、まずい隠れないと! 茂みの中に急いで隠れた。地面に落ちた木苺を拾っている暇はない。カイキ殿は丁寧に木苺を集めると、葉で丁寧に包み草を紐代わりにして縛った。


「はて、こんなに木苺が落ちている。鳥か?」


 鳥、えっと、鳥か。


「ちゅっ ちゅっ」


 一応鳥の真似してみたけど、ごまかせたかな? 口の形が違うから鳥っぽい声でないんだけど。


「いや、鳥はこんなに木苺を集めないか。果物が好きな猿だろうか」


 猿……いや確かにいるなこの山にも、あんまり見たことないけどすっごい威嚇されたっけ。


「キーキー」


 あってるかな? 猿ってもっとすごい声あげてくるからだいぶおとなしめにしたんだけど。


「もしかしたら狸が我らを化かそうとしているかもな」


 た、狸!? ちょっと待って、狸の鳴き声聞いたことないよ! 狸鳴かないし。えーっと狸たぬきたぬき……


「チュー……」


 間違えたこれは鼠だ! だって狸の鳴き声わかんないよ。たぬ、ってなくのかな?

 カイキ殿はぶっふうと吹きだして笑っている。叔父上殿は目を丸くしていた。あ、もうこれ気付かれてる。そりゃそうか、カイキ殿の方が力が強いのだから僕の気配はわかっているだろう。


「あっははは! たぬ、か。そんな風になく狸は初めてだ!」


 ああそうか、あの人と同じ神力なんだ。人ならざる者の腹の声を聞ける。そっか、僕の考えは筒抜けなんだ。腹を抱えて笑うカイキ殿はひとしきり笑うと、叔父上殿を見た。その顔は……優しく微笑んだ時のあの人そっくりだった。


「大丈夫だ叔父上、ここには狸しかいない」


 そう言いながら木苺を叔父上の懐へとしまう。叔父上も穏やかに笑った。


「そうか。ではありがたく頂くとするか。山の幸をわけてもらったことに感謝したい」


 その言葉を最後に、二人は少し見つめ合うと叔父上殿は歩き出した。カイキ殿は追わない、見つめるだけだ。そして後ろ姿に深々と頭を下げる。叔父上殿が見えなくなったころ、カイキ殿が空を仰いだ。


「もう、秋の気配だ。早いな、命の巡りは」


 枯れた植物が緑となり、虫や動物が戻り繁殖をする。そしてもうすぐ植物は実をつけ、動物はそれを食べて冬ごもりの準備を始める。本当に早い、あっという間だ。見た目が十にも満たないというのに、物の言い方があの人そっくりだ。この先の行く末を見定めている。


「これは俺の独り言だ」


 僕への伝言、という事か。あくまで僕を「見てない」と言ってくれているんだ。あの人のように。


「俺はこの村に残る。連中の手助けはしないが最後を見届ける。勝手に人ならざるものを敵だと決めつけ、それを殺すことで自分たちは選ばれし者だと勘違いする愚か者ども。一方的に力無きものたちを虐げてきた愚かな一族。その最後の長として」


 自分の生き方をすでに決めている。もしかしたら人ならざる者たちがここを攻めて来るかもしれないのに、それでも。いや、だからこそか。それはきっとあの人も同じなんだ。

 例え命を落とすとわかっていても、中途半端に投げ出して生きる事なんてできない。叔父上殿のように誰かが見送って新たな門出をしてほしい人もいる。でも、それは直系の彼らはできないんだ。誰も咎めない。咎めるのは己だけ。


 カイキ殿は山を下りて行く。それを見送るとザアっと風が吹いた。まだ少しだけ風も暑い。これがもう少しすれば夏の暑さがおさまり、だんだん秋風になってくるはずだ。


 僕は、見届けると決めた。カイキ殿は村の中から。僕は村の外から。


 夕暮れは紫色だ。秋は真っ赤だけど夏の夕暮れは夜と昼が混ざって紫に見えることがある。雲に反射して美しいのだけれど、僕はこの空がちょっと苦手だった。一人でいると、怖く感じる。そんな時あの人との会話がふと蘇る。


「逢魔が時、という。昼と夜が混じり、辺りが明るくもあり暗くもある時に目に見えぬ者達が動き始める。あちらとこちらが繋がる魔の時、と言われて来た。要ははやく家に帰りなさいということだ。これを怖いと思うか、美しいと思うか。その人次第なんだよ。怖いと思ったら何もかも怖いだろう、あそこに何かいるかもしれない、誰か隠れているかもしれない。疑心暗鬼、といってね。疑う心はそこに居もしない鬼まで見えてしまう」


 全部自分の心持次第なのだ。疑えばきりがない、結局自分の保身に走って見聞きをやめてしまう。それではだめなんだ。怖くても目を見開いて、しっかり辺りを見渡せば鬼なんていないとわかる。

 ヒグラシがたくさん鳴いている。少しずつ近づく秋の気配は、心に風が吹き抜ける感じがした。叔父上の旅立ちが、どうか、鬼のいない歩みとなりますように。カイキ殿の決意が、居もしない鬼に邪魔されませんように。

その為に、僕ができることは。



立秋

秋の気配が感じられる




懐かしいな、あの時は暑さが和らいで過ごしやすくなったと嬉しかったっけ。

今は、身を切るように寒い。

痛いのか寒いのか、わからない。

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