Thesis.21 零落
その後は、特に滞りなく。
俺は御厨さん(本体)と連絡先を交換し、人工タンパク質のもととなる生ゴミたちを回収して、帰路についていた。
御厨さんは
ちなみに生ゴミはクーラーボックスの中に『酵母』ごと入れてある。帰りの時間の間に発酵を済ませるという時短術だ。
「いやー、大漁大漁。これだけあれば、よっぽど巨大じゃない限り友悟の作りたいものは何でも作れるんじゃないかな?」
「そりゃ有難い。まぁ、そんなに使わないと思うけど…………そういえば、使わない人工タンパク質ってどうするんだ?」
「ん? あーけっこう保存きくよ。常温保存で一年とか二年とか」
「へー便利」
無駄にならないのはいいな。こういうリーズナブルなところも
「この機体も、スペア含めて一〇着あるけど、半年に一度は新調してるんだよね。
「……ってことは、新調コストが高い機体も考え物ってことか」
「そそ。プロは簡潔な造りでかつ応用が利く構造の機体を作るものだね。まぁ友悟は初めてだしインスピレーションの思うがままにすればいいよ」
「精々最善を尽くすわ」
俺は努めて軽い調子で答えて、
「そういえば、御巫がいない間に、御厨さんが分身で俺に接触してきたよ」
と、さっきあったことを話した。御巫はぴくりと眉を動かして、
「そう。何て言ってた?」
「自分が、御巫の乳母みたいなもんだって」
御厨さんが御巫に抱えている負い目についての話は、此処では伏せることにした。あの分じゃ、御厨さんは直接御巫に負い目についての話はしていなさそうだ。俺の口から言ったら、それはそれでなんか拗れそうな気がするし。
果たして、御巫の方はあまり感情の読めない表情で、
「他には?」
「……御巫は『最強』で孤独だから、メンケア頑張ってって言われたわ」
ちょっと悩んだが、こっちの方は素直に伝えることにした。
御巫はというと、ぱんと顔に掌を当てて天を仰いでいた。……思ったよりコミカルな動作だ。
「もぉー、そういうのやめてほしいんだよなー。わたしが自立できてない人みたいじゃん」
「ドンマイ」
まぁ恥ずかしいわな。自分の乳母みたいな人が裏でメンケアお願いしてたら、俺だって恥ずかしい。至極真っ当な反応である。
「んー、なんていうかな。わたし、施設生まれでね。英姫はもともとそこの職員だったわけ。色々あってわたしは四歳のころに施設を出て、英姫も退職したんだけど、その時の関係が抜けてなくてね~」
「ほーん」
軽く話されたので、俺は内心驚きつつも表面上は平坦なテンションで頷いた。なんだよ、意外とあっさり話すじゃん。やっぱ御厨さんの気にしすぎって部分は少なからずあると思うよ……。
…………『オジサン』が話に出てきてない以上、全部は話してないんだろうけど、この分だと自分で負い目に思って隠してるとか、そういう感じではなさそうだ。多分、向こうもきちんと話す機会を伺っているんだと思う。それは分かる。お互い様だ。
「なんか変な圧かけられたりしてない? ごめんね、あとでわたしの方からやめてって言っておくから」
「いいって。別に気にしてないし。っていうか変に揉めて御厨さんと気まずくなる方が嫌だ」
「そう? ならいいけど……」
心配そうに俺の目を覗き込む御巫。
深紅の瞳に覗き込まれるのが耐えられなくて、俺は目を逸らし──
「────友悟。これから首筋に手刀を叩き込むから、気絶したふりをして。応答はしないこと」
…………!
突然の言葉に動揺しつつ、俺は表情を呑気なそれのまま固定する。一秒後だった。とっ、と首筋に軽い衝撃が伝わる。俺は言われた通り、かくんと首の力を抜いて気絶したふりをした。
「……襲撃。これはちょっと分が悪いかもしれないから、友悟はこのままここにいて。端末ドローンごしに音声と映像を伝えるから、もしものときは……まぁ、友悟に任せる」
…………は? 何言ってんだコイツ?
まるで自分が負けることを覚悟しているかのような物言いに、俺は何か言い返したかったが……今の俺は『気絶した振り』だ。顔を上げることもできずに、ただ流れに身を任せていると──御巫は、さっさと車から降りた。
「…………ごめんね。迷惑かけるよ」
それどういう意味だ──と、問い返す間もなく。
スインという音を立てて、車の扉が自動で閉じる。続いて、端末ドローンの着信音が短く鳴った。御巫の方からビデオ通話が届いたらしい。
……俺は、顔を真下に向けながらおそるおそる薄目を開けた。車内の床に、俺の端末ドローンが転がり落ちるように移動する。端末ドローンはホログラムのウインドウを出して、そこから御巫のドローンからの映像を伝えていた。
どうやら、御巫の端末ドローンは振袖の中に潜んでいるらしい。薄暗いところから、御巫の足元が映っている。
その様子を見ていると、やがてぐぐ……と、モニタの中の景色が歪む。
これは…………蜃気楼? 景色の歪みが徐々に整理され──まるで鏡面のように、振袖の中から真下の地面を映しているはずのカメラ映像が、御巫の目の前に立つ一人の男を映し出した。
おそらく、『
『久しぶりだ。もう一四年ぶりくらいになるか』
御巫の目の前に立っていたのは、灰色がかったクリーム色の髪を短く刈り上げた、小太りの中年だった。
ポロシャツにチノパンというどこにでもいそうなおじさん然とした出で立ちに、柔和な表情。落ち着いた物腰といい、どこまでも人畜無害そうな印象を覚える男だった。
男はその上から白衣を羽織り、白衣のポケットに手を突っ込んでいた。警戒する御巫を前に、不遜な態度。その一点が柔和そうな印象を塗り潰して余りある不穏さを醸し出している。
総じて──中間管理職然とした雰囲気を無理矢理研究者というラベルで装飾したような、ちぐはぐな印象の男だった。
『久しぶり。何の用かな? 「主任」』
男の挨拶に対し、御巫の声が端末ドローン越しに届く。
それは、意外にも親し気な声色だった。鳴釜にかけたような酷薄なそれではない。確かな関係性を感じさせる────だからこその、絶望的な断絶を理解させる声色だった。
それに対し、『主任』と呼ばれた男は軽い調子で、
『何を白々しい。迎えに来ただけだ。おまえが本来いるべき場所にな』
『……調子に乗るようになったじゃん』
……いや、これは親しみじゃない。
御巫の声色に宿っている感情、それは…………嘲りだ。
『あの頃、わたしの力に怯えて防護服なしじゃ対面することもできなかった人と同じ人物とは思えないね』
『……怯懦と思われるのは心外だが。あれこそが研究者と実験体の正しい向き合い方だったというだけだ。当時の、な』
『随分思い上がるねぇ』
『主任』は言い返すが、御巫の嘲りは止まらない。
『あの研究所の中心にいたのはわたしだよ。あんたはわたしという恒星の周りで文字通り惑っていた惑星にすぎない。忘れているなら思い出させてあげようか? ゾウにたかるハエにすぎなかった男の身の程ってヤツをさ』
『思いの外よく吠えるな、今日は』
御巫の挑発に、『主任』は動じない。それどころか、踏み込むように言う。
『わたしを排除したいのなら、その身に宿る炎を振るえばいい。実力行使もせずに小娘の様に喚き立てるのは、恐怖しているからではないのかな? 「最強」』
直後、会話の応酬を断絶して、炎の大渦が『主任』を呑み込んだ。
『攻撃を誘ってるのが丸分かりだから様子を見てただけだっての。カウンター系? 誘導系? 何にしてもドヤ顏一回分なら付き合ってあげるよ、面倒だし』
平然と人を炭に変える一撃を叩き込んでおきながら、御巫は軽い調子で言う。まるでその炎の中で、『主任』が無傷で佇んでいることを確信しているかのように。
果たして──数秒後、炎が跡形もなく消え去ったところには、やはり無傷の主任が棒立ちしていた。
御巫とは違う、お世辞にも戦闘者とはいえない佇まい。何なら、殴り合いでなら俺でも勝てるだろうと思えてしまうほど、その男に『脅威』は感じられなかった。
……なのに。
……なぜか。
『ふーん。最低限の対策はできているみたいだね』
一言、ぼやくように御巫が呟くと同時、四方八方から雷撃が轟いた。
それだけではない。雷光は集約されて空中で束ねられ、一条の光線として『主任』へと突き刺さる。雷は周辺の磁場を歪め、街を形作っていた鉄骨部品がコンクリートごと引きはがして『主任』を圧殺するように殺到する。
炎熱、電撃、光線、質量。さらにおそらく、目に見えない電磁波による内蔵への直接攻撃や磁力による金属部品への干渉。
およそ人間を殺しうる要因のフルコース。多分、御巫はこれの防がれ方で向こうの手札を読み取ろうというハラなのだろう。そしてそれを俺にも見せてくれている。
ゆるぎない、最強ゆえの攻略。鳴釜を倒した時と同じ、王者の歩みだ。
…………なのに。
…………なぜか。
『……凄まじいな。特等席で見せられると、やはり来るものがある』
がらがらと全てが崩れ落ちたその先には、やはり無傷の『主任』の姿があった。
『…………どういうこと? 機能、使ってないよね。「怪異」も持っていない。なのに……』
『分からないか? わたしは、おまえを開発した研究者だぞ』
怪訝そうにする御巫に、『主任』は呆れたように断言した。
『お前は、生まれながらの実験兵器。自分の胸に何が備えられているか、忘れたとは言わせないぞ』
『…………忘れるわけないでしょ。不愉快なんだけど』
眉を顰めながら、御巫が手を掲げる。それに応じて、地面に崩れ落ちた瓦礫たちが浮かび上がり────
──そして、力なく崩れ落ちた。
『…………!? これは、ジャミングじゃ、ない……!? 機能そのものが……!?』
『ようやく気付いたな。だがもう遅いよ、「最強」。長く頂点に立ちすぎたせいで、バックドアの恐ろしさは忘れたか?』
『…………』
その瞬間、御巫の背後に、炎の意匠を帯びた十字架の紋様が浮かびあがる。
──臨界稼働。
伝承師の、奥義。御巫が有する最強の一撃。いかなる防御も小細工も許さない、冷徹な物理の極致が、振るわれる。
………………なのに。
………………なぜか。
『………………「
………………御巫七夕が勝てるヴィジョンが、見えてこない…………!!
『どうした。臨界稼働だろ? やれよ。最強の一撃とやらを撃ってみろ』
『……「
何も、起こらない。
電子の奔流も、それを集約した光の渦も、そこから放たれる破滅の光芒も。
彼女を最強たらしめる現象は、何一つ、起こらない。
『「
──必然、そこにいるのはただの少女だった。
『さて、これで分かっただろう』
『………………っ!!』
そこに至り、御巫の眼の色が変わる。
戦闘し、相手を屈服させることを意図したものではなく──敵わない相手から逃走するときのそれへ。
『動くな』
しかし。
そんな御巫の最後の抵抗も、『主任』の一声で中断されてしまう。
『跪け。全ての抵抗を諦めろ。わたしに従え。……こんなところか』
たった、それだけ。
それだけの言葉の応酬で、全ての決着はついた。ついてしまった。
…………最強は、零落した。
定説は、一つの終わりを迎えた。
目の前の少女が完全に沈黙したのを確認して、『主任』は満足そうな笑みを浮かべる。
『長かった。長かったなぁ、フ、フ。だがこれで…………ようやく、ようやくすべてが元通りになった』
『主任』の目の前で、御巫はぺたんと女の子座りをしたまま、微塵も動かない。光を失った眼差しで虚空を眺め、両腕を力なく垂れさせている。
そんな御巫へ、『主任』は一ミリも警戒せずに歩み寄っていく。
「全く、手間をかけさせて」
ぐい、と。『主任』は御巫の顎を掴み、乱暴に持ち上げさせる。
御巫はそんな粗雑な扱いを受けても、何も言わない。普段ならば文句を言うどころか、そんな無礼な真似は絶対に許さないような女が、今だけは噓みたいに従順に、その行為を受け入れていた。
脂ぎった視線で御巫の身体を舐めまわすように見てから、『主任』は勝ち誇る様に言う。
『だが、これで分かっただろう、〇七七番。おまえはわたしに抗うことなどできない』
言いながら、『主任』は懐から一本の紐を取り出した。
それは、リードだ。黒革製のリードの先端には、金属質な輝きを帯びた仰々しい首輪がつけられている。『主任』はカチャカチャともたつきながら、その首輪を御巫の首に取り付ける。その細い首が、無骨なそれで握るように覆われた。
『ほれ』
飼い犬にそうするように、『主任』は軽くリードを引く。ただそれだけの動作で、御巫はゆるゆると立ち上がり、男に付き従った。まるで、よく躾けられた犬のように。
自身に付き従う『最強』だった少女を横目に、『主任』は嘲るように言った。
『「最強」は楽しかったか? もう十分だろう。おまえには、
『……………………』
御巫は、答えない。
答える能力すらも奪われた少女は、ただ男に詰られるだけに甘んじていた。
『…………
最後に吐き捨てるように、男はこう続ける。
『くだらん茶番だ。怪異も人も、
………………『A2Tリノヴェーション』?
……なんだ、それ。
こつん、という音と共に、画面が急に移り変わる。先程までの蜃気楼が完全に失われて、地面からの映像になっていた。…………蜃気楼や端末ドローンに割くだけの意識領域すらも、完全に奪われてしまったのか。
『なんだそれは。誰かに助けを求めていたのか? ……仕様がよく分からんな。さっきまでのプロンプトで防止できないのか』
『主任』はぶつぶつと呟く。
『だが……無駄な足掻きだ。頼みの綱を己の「最強」で焼き尽くすだけだというのにな。…………同意しろ』
『はい、その通りです』
『……制御プロンプトについては要調整だな。このままでは単なる木偶だ。「最強」を駒にした意味がない』
映像の中の『主任』は、そう言って端末ドローンから完全に注意を外したようだった。どこかへ歩き始める前に、『主任』は思い出したように言う。
『それは破壊しておきなさい。言いなりになるお前を見て、その通話の先にいる相手もお前を助ける気を失うだろう』
そう言われて、御巫はゆっくりと端末ドローンへ歩み寄る。
それから、ゆっくりと足を持ち上げ──端末ドローンを踏み潰した。
通話が途切れる。
音と光が、失われる。
だが、その刹那──カメラの映像は、御巫の口元の動きを確かに映していた。
最後の瞬間、御巫はこう言っていた。
声はない。口の動きだけで──俺に向けて告げていた。
『た、す、け、て』
全てを奪われ、表情すらも動かない状況で。
それでも御巫七夕は、俺に……出会って一日しか経っていない俺に、そう言った。
『主任』がどこかへ去っていったあと、俺はゆっくりと顔を上げた。
戦争の跡みたいな破壊の只中に、あの女はいない。脂ぎった中年野郎が、悪趣味満載の手綱を引いて連れ去っていった。
そして多分、ヤツは『
日本に一二人しかいない『規格外』の中でも、さらに特級の『規格外』。江戸の街を焼き尽くすほどの煉獄の大火力を素粒子レベルで精密に操る怪物。
────そしてたった一人の女の子を、モノみてぇに扱いやがった。
「…………やってやるよ……」
不思議と、恐怖はなかった。
代わりに、怒りが満ち溢れていた。
確かに、たった一日半の付き合いだ。
色々と教えてもらったし、一宿一飯の恩義もある。でも、命を張るかといったらそこまでじゃない。相手はぶっちぎりの最強で、こっちは未だ
そもそも、ここから機体を作らないことには、話にすらならないのだ。
だが、そんなことは問題じゃない。
そんな些事は、助けを求める一人の少女を諦める理由になんかならねぇ。
「やってやる。テメェがどんな反則を使って『
バックドアだの実験動物だの、下らない理屈なんざ眼中にもねぇ。
精々今のうちに、ニヤニヤ笑いで寄りかかっていろ。
そのつまらねぇ
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