Thesis.20 揺籃

「御巫の…………過去」


「そ。あの子は、あんたのことをいたく気に入ってるの。そしてあんたはあの子のことを受け入れることができる。最強のあの子に小言を言えるヤツなんて、この世にそう何人もいないからね。……少なくとも、あたしは見たことがないわ」



 それは…………。



「けど今、あの子は悪意に晒されている。……下手人は分かってるわよ。でも、尻尾は掴めない。だからこのまま行けば、きっとあんたはあの子の過去を知ることになる。あたしとしては、それをどうしても避けたくてね」



 ……まぁ、それは分からなくもない。

 同じ情報でも、伝え方っていうのは印象に関係する。悪し様に伝えられるのと擁護調で伝えられるのとではイメージは大幅に変わるし、最初の印象によってその後の関わり方もまるで違うかもしれない。

 だったら、状況をよりコントロールできる状態で情報を伝えておいた方がいいっていうのは正論だ。御巫の意思がそこに介在していないのは気になるが。



「…………名乗る資格はないけど、それでも恥を忍んであの子との関係性を言うなら……あたしはあの子の乳母みたいなモンでさ」



 その表情は。

 まるで中年に差し掛かった女性のような、疲れ切った表情だった。

 もしかすると、人工タンパク質による義体技術で若々しさを人工的に維持しているだけで、実年齢はそのくらいなのかもしれない。



「あたしはあの子が赤ん坊のころから、あの子のことを見て来た人間だ。そして、程度の人間でもある。そんなあたしに、あの子のことを真に救うことはできない。でも、友悟くんになら……」


「待てよ」



 そこで、俺はついに我慢ができなくなった。

 御厨さんの言葉を止めたくて遮る様に言ったら、自分でも驚くくらい声が怒気を孕んでいて、一瞬、自分自身の感情にたじろいでしまった。

 でも、もう止めることもできなかった。



「俺は、アンタが抱えている事情は知らねぇ。御厨さんがどんなことを御巫にしてきたのか、それでアイツがどれだけ不利益を被って来たのかも知らない。でも、たった一つだけ言えることはある。……現在のアイツはアンタのことを、きちんと信頼してるだろ」



 たった一日の付き合いで、態度がどうとかなんて知った風な口を利くことはできないが……少なくともアイツはプロだ。プロとして、緊張感と警戒心を持って裏社会の荒波を潜っている。

 そんな御巫が、御厨さんについては全幅の信頼を置いていた。己の生命線である反駁伝承ATリノヴェーションの開発用ソフトは御厨さんのものだし、人工タンパク質の材料についてもわざわざ御厨さんを訪ねて取りに来た。プロだからこそ、自分の仕事道具は徹底して厳選しているはず。その御巫がそこにあてている時点で、その信頼はもう特別な代物だろうが。

 そのアンタが、御巫のことを救えない? なんでハナっから、アンタがアイツを諦めてんだよ。



「俺にできることがあるならやってやるよ。まだ出会って一日しか経ってないが、そのくらいの積み重ねはあるつもりだ。でもな。その前にアイツを救うことを諦めてんじゃねぇ。恥知らずだろうがなんだろうが、その前提を崩すのは筋が通らねーだろ」


「…………、」



 そもそも、俺はまだアイツの人生にとっては出会って二日目のサブキャラだろ。乳母っていうからには生まれた頃から関わって来たアンタが早々に脱落宣言してちゃ、救えるものも救えないに決まってるじゃねーか。

 偉そうな口を叩いている自覚はある。俺はまだ、御巫達の事情なんて全く知らないのだから。きちんと事情を聞けば、御厨さんがこう言うのも納得なのかもしれない。

 でも……信頼している人に裏でこんなこと言われて、どこの馬の骨とも知らない男に自分を託されちまうんじゃあ……あんなに御厨さんのことを信頼してる御巫が報われねーだろ。



「そんで」



 畳みかけるように、俺は続ける。



「悪いけど、アンタから御巫の身の上話は聞かない。アンタがどうとかじゃなくて、こういうのは本人の口から本人の意思で聞きたいからな。裏で聞いてましたってなったら、いざ向こうから話してくれた時に合わせる顏がないじゃん」



 乳母の話は聞いちゃったけど、これは御巫が戻ってきたらすぐ話題に出すつもりだ。その流れで御巫の口から自分の過去の話が聞けるならそれでよし、話したがらないなら無理に聞くもんじゃない。

 俺にとっての御巫は、飄々としていて調子がよくて最強でダメ女なだけでも、別に問題ないわけだし。



「そっか。悪かったよ、分かった。あの子の過去の話はしない。その代わり、あの子のことを知るあたしの今に関する助言だけは聞いてくれ」


「……分かった」



 今の話を聞いてなお話したいっていうなら、それは聞くしかないか。

 また変な話に接続されたら流石に俺も怒るが……まずは聞こう。



「あの子はね、本質的に孤独なんだよ」


「…………、」


「なまじ『最強』だからね。周りはあの子を警戒するし、あの子もそれを当然のものとして受け止めている。……むしろ、『最強』を振り撒いている節すらある」



 それはまるで、御巫がいろんな人たちを遠ざけているように聞こえるが……本当にそうかぁ? 少なくとも、俺には遠ざけるような素振りは見せたことがないというか、むしろ敬語を使ったらめちゃくちゃ神経質に咎められるような……。



「あたしでは、その孤独は埋められないわ。……あたし達は、心のどこかであの子を絶対の『最強』として見てしまうから」



 御厨さんは、目を伏せてそんなことを言った。



「でも、あんたはあの子を絶対の『最強』として見てないでしょ? そういう馬鹿しか、あの子の隣には並び立てない。……あの子の孤独は埋めてあげられない。あたしはそう思ってるんだ」



 なるほど、言いたいことは分かった。

 つまり御厨さんは、俺に御巫のメンタルケアをしてほしいと思ってるわけだ。『最強』ゆえに孤独な御巫の心は、御巫を絶対の『最強』とは認めない俺にしか癒せない、と。



「いや、そんな義務感で付き合ってたら上手くいくもんもいかないでしょう」



 その心意気をすべて理解した上で、俺はばっさりと切り捨てることにした。それはもう、口裂け女のようにばっさりと。



「一〇歳やそこらのガキじゃあるまいし、御巫は一八ですよ。俺から見れば立派な大人です。俺なんかが変に気遣ったところで、空回りする自信しかないっすね」



 何なら、今のところコミュニケーション面ではずっとヤツにイニシアチブを握られているのだ。今更俺がメンタルケアみたいなことをしたって、絶対におかしな空気になるに決まってる。



「それに、そもそも」



 大前提としてだな……。



「その程度なら、言われなくてもやりますよ。これまでだってそうだったし、これからも変わりません。呼吸と同じで、変に意識した方がおかしくなります」


「………………そうね、ごめん。あんたの言う通りだわ。さっきの話は忘れてちょうだい」


「うっす」



 思うに、御厨さんがダメなのは御巫のことを『最強』だと思ってるとか云々っていうより、ガキ扱いしすぎなんじゃないだろうか? あの人、けっこう大人だと思うよ。確かにガキっぽいとこもあるといえばあるけど。

 まぁ、話が本当なら赤ん坊のころからずっと見て来たんだろうし、ガキ扱いしすぎちゃうのも分からなくはない心境だが。


 …………って言うか、今更だけどこんなに説教垂れちゃって大丈夫かな? 御巫の手前材料渡さないとかはないと思うけど、これから多分長い付き合いになるんだし、気まずい関係になるのは御免だぞ……。めちゃくちゃ啖呵切っといて今更だけど。



「いやーありがとうね! おばさんになると色々気を回し過ぎちゃうのよ! 若い子の考え方を聞けて本当に助かっちゃうわー!」


「うっす、それならよかったっすけど」


「あ、そろそろ本体が戻って来るからあたしは消えるね」


「本体の移動とかも感知できるんだ」



 便利だなぁ。どういう『怪異』かは分からないが……ドッペルゲンガーとか猫又とか、そのあたりか? いや、義体技術で見た目の完全再現ができるだけなら、あの見た目の秘密自体は案外反駁伝承ATリノヴェーションですらないのかも。

 ぼやぼや考えているうちに、御厨さん(分身)は扉を開けて、そそくさと退散してしまった。


 ………………そういえば、下手人に当たりはついてるって話は聞いておくべきだったか?

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