Thesis.15 凶兆
筒粥壮真を倒した時の、直会雉仁の様子をよく覚えている。
『この野郎!! 真っ先にダウンしやがって!!!! お前が負けたら全部終わりだろぉ!!!!』
髪を振り乱し、唾を吐き散らしながら叫ぶ姿はいかにもみっともない有様だったが、しかし一方で、俺はその気持ちも分かるような気がしていた。
筒粥という伝承師は、直会という個人の世界においては『最強』だったのだ。
筒粥が勝利をおさめることは大前提。その上で、直会という人間の成功と破滅は左右される。つまり、筒粥が勝利をおさめないということは隕石が地球に降り注いで人類が滅亡するのと同じくらい『どうしようもない』出来事というわけである。
そして、そんな『どうしようもない』ことが起きてしまった。だから直会は、ああも絶望し当惑した。
調べによると、ナオライは殆ど筒粥に乗っ取られていたらしい。
だからか、ナオライの中で社長の立場はかなり厳しいものだった。直会からしても、ぶっちゃけ筒粥がやられてくれてほっとしていた部分だってあるはず。そのくらいには、あの会社の状況は歪だった。
それでも、直会の口から出て来た言葉は『お前が負けたら全部終わり』という絶望の発露だった。
良きにつけ悪しきにつけ、それだけ直会は筒粥壮真という彼の世界の『最強』を信じていたということだ。
──なぜ、こんなことを述懐しているか?
それはつまり、俺自身が彼を想起するような状況に追い詰められているから、なのだが。
「長かった。長かったなぁ、フ、フ。だがこれで…………ようやく、ようやくすべてが元通りになった」
一人の男がいた。
小太りの中年で、灰色がかったクリーム色の髪を短く刈り上げている。ポロシャツにチノパンという出で立ちの上から白衣を羽織っており、何か中間管理職然とした雰囲気を無理矢理研究者というラベルで装飾したような風貌だった。
相対しているのは、一人の少女。
黒髪赤目で、全身を覆う漆黒のボディスーツの上に超ミニ丈の赤黒振袖を着ていた。弱冠一八歳でありながら、この島で対怪異専門の探偵事務所を営んでいる。
その正体は、江戸の街を焼き払うほどの大怪異『小袖の手』を封入した『
──そして俺の雇い主にして、ついでに生活の面倒まで見てくれている恩人。
そんな御巫七夕が。
最強の少女が。
「全く、手間をかけさせて」
ぐい……と、男が御巫の顎を無遠慮に掴み、上向かせる。
しかし御巫は、それに対して何も言わない。普段ならば悪態の一つでもつくどころか、そもそもこんな無礼を許さない女だというのに、ぺたんと女の子座りをして、両腕も力なく垂れ下がった状態で、ただ男のされるがままに従っていた。
「だが、これで分かっただろう、〇七七番。おまえはわたしに抗うことなどできない」
言いながら、男は懐から黒い紐を取り出し、そしてその先についた首輪を御巫に取り付ける。
まるで犬か何かにするようなリードを繋いで、男は軽く引いた。ただそれだけの動作で、御巫はゆるゆると立ち上がり、男に付き従う。
「『最強』は楽しかったか? もう十分だろう。おまえには、
「……………………」
御巫は、何も言わない。己の
それを見て、男は小さく呟く。
「…………
そして、この時代を形作った文明の根幹そのものを否定するような忌々しさで、確かに吐き捨てた。
「くだらん茶番だ。怪異も人も、
◆ ◆ ◆
そして、俺の新生活が始まった。
結局、鳴釜を下した後、俺達は枕飾さんを待たずして現場を後にすることにした。曰く、ちょっと派手にやりすぎたので現場で合流すると枕飾さんの立場を悪くしてしまうとかなんとか。挨拶に伺うタイミングを逃したのは残念だが、コインパーキング爆破犯の誹りを受けるのは避けたかったので俺も何も言わなかった。
「ん~~~~っ、おいしい! サイコー!」
──そして翌日。
俺の目の前では、テーブルに座って焼き鮭と味噌汁という典型的和食に舌鼓を打つ御巫の姿があった。
御巫が住んでいるのは、探偵事務所があるビルの三階だ。
このビルは四階建てなのだが、御巫はビル一棟をまるまる所有しており、一階を探偵事務所、二階を資料置き場、三階を居住スペース、四階を物置にしている。居住スペースといっても、御巫は大してプライベートの物を持たない女のようで、三階には空き部屋がいっぱい存在する。俺が引っ越してきたのもそんな空き部屋の一つだ。
そしてそんな新居において、御巫との事前に取り決め通り、俺の役割は家事全般となった。具体的には、家で食事をする際の準備と居住スペースの掃除だ。あとは探偵事務所の事務作業について、少しずつ覚えていく程度。
正直こんなもんでいいの? と思わなくもなかったが、御巫に言ったところ『まずは学生の本分優先でしょ。慣れたら他のも頼むからそのつもりでねー』とのことだった。大変ありがたいのでお言葉に甘えさせていただくことに。
「……めちゃくちゃ高性能なキッチンなのに、ほぼ未使用状態だったんだが……」
朝ごはんを作る為に昨日のうちにキッチンを見た時は、正直かなり驚いた。
何せ、見たこともないようなハイテクキッチン設備が当たり前の様に整っていたのだ。ボタンを押すだけでOKみたいな感じのヤツらしかないし、コンロなんかIHどころか遠赤外線で熱するRH式である。諸般の事情で自炊生活が長い俺としては、これほど恵まれた自炊環境など想像の埒外だった。正直、戦闘のときよりもビビった。
だというのに、その高性能なキッチンはほぼ未使用のまま放置されていた。油汚れの類がないのもそうだが、普通にそこかしこに埃が積もっていたのだ。多分、此処に越してから全く利用も掃除もしてなかったんじゃなかろうか。
「あはは、使う機会なかったもんでさ」
「御巫に自炊してるイメージが全くないから、そこは分からなくもないけど……」
ちなみに、ほぼと付け加えたのにはきちんと理由がある。
というのも、このキッチンにはたった一か所だけ、頻繁に利用されていた──そのくせ掃除はほぼされていなかったのでめちゃくちゃ汚かった──場所があったのだ。
それは────『石窯』。
そう、このハイテクキッチンには、何故か石窯が備え付けられていたのだった。
「あの石窯は一体なんなんだよ」
「ああ、あれね」
御巫はのんびりとお味噌汁を啜ってから、
「わたしの食生活は基本的にピザで賄っててね」
と、謎の証言をのたまいだした。え? ピザ?
「いやー、ピザって凄いんだよ。こう、スーパーで売ってる出来合いのピザ生地を買ったら、あとはその上に野菜を適当にぶち込めば栄養バランスは完璧だからね。洗い物も出ないし」
あー……なるほど……。
……いやでも石窯だぞ? 煤とかヤバくないか?
「それに、火力はわたしの機能でどうにでもできるしね」
「あー……なるほど……」
はっ、しまったつい口に出てしまった。
感情としては納得というよりも呆れの方がデカイ感じのヤツが出てしまった。
でも、正直合理的ではある。
ピザ生地の上にトマトだのキノコだのほうれん草だのを載せていれば栄養バランスはとりあえずなんとかなるし、味も気分でけっこう変えられる。
『
「今までで一番御巫の機能が羨ましくなったわ」
「このタイミングでそう思うのが友悟らしいよね」
適当に言いながら、俺も自分の分の朝食をテーブルに置いて、手を合わせてから食べ始める。
そんな俺の様子を見て御巫は首をかしげて、
「友悟、お行儀いいね」
「え? 何が?」
味噌汁をひと口啜って、自分の味付けの完璧さを確信していると、御巫がそんなことを言い出した。何がというか、どこが……? 強いて言うならメシの途中に普通に喋ってるしお行儀は悪いサイドじゃない?
「いや、ご飯の前にわざわざ長いこと拝んだりしてるから」
「そうか? 普通だろ?」
学校でも食べる前は『いただきます』って挨拶するだろ。そこに個人差とかなかったし、どこもそうだと思ってたが……違うのか?
俺自身も『家庭的な食卓』はかなり記憶が薄いせいで、正直自信がない。施設だとみんなこうしていたんだが……。
「んー、ウチはそういうのなかったからね。オジサンもしてなかったから」
「オジサンね……」
そこで父とか母とかが挙がって来ないあたり、多分けっこう特殊な出自ではあるのだろう。
そういえば御巫のルーツって、本当に謎なんだよな。
荒野に落ちた雷が元でできた炎の中から、このままの姿で出て来ましたと言われても不思議じゃない。そのくらい、底知れない女だ。
まぁ、いい。人のルーツなんて探ってもメシがまずくなることの方が多いんだし。
俺は内心でそう思って、それ以上ツッコミを入れることはしなかった。御巫も別に身の上話がしたくて言ったわけではないらしく、特にそれ以上掘り下げることはせず、
「そういえば、友悟は今日何か予定ある?」
「ん? あー……服屋に行って高校の制服を注文と採寸をしようと思ってた。バタバタしてて忘れてたんだよ。昨日着てたのも留学前の高校の学ランだし」
答えてから、俺は箸を止めて、
「なんだ? 別に必須の用事じゃないから、他に何かあるなら延期するけど」
「ん。延期はいいよ。午前で済む話だし。──いやね、機体の作成についてレクチャーしとこっかなと思って」
御巫の答えに、俺はカチリと自分の意識が切り替わるのが分かった。
──けっこう重要な話だ!
昨日痛感したが、
このあたりは、ダブルスリーナイン社をはじめ色んな企業でプログラム同様機体の『型』──テンプレを提供してくれているが、正直昨日の話を聞いた後使う気もなくなってしまうからな。
……バックドア。企業系のテンプレを使用したら、自分の機体に『穴』が生まれてしまうと考えると、なるべく全ての工程を自作で済ませたくなるというのが人情だ。バックドアなんてものがあったら、たとえどんなに強くなっても謎のコマンド一発で敗北が確定してしまうかもしれないんだし。
「ほい、これ」
食事を一時中断した御巫は、振袖の中から何かを取り出し、それを食卓の上に置く。コトリという音を立てて置かれたのは、中に粉が入れられた瓶だ。砂のような質感ではなく、何かふわふわとした極小の綿という感じだった。
じいっと眺めている俺に対し、御巫はにんまりと笑って、
「これが、
悪戯が成功したような調子で、こう言った。
「ゴミ集めをしてもらいます!!」
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