Thesis.2 御巫七夕
年の頃は、一八、九くらい……いや、二〇代くらいだろうか。
少女と呼ぶにはあまりにも大人びた印象を纏ったその女は、路地裏の日陰の中でも妖しく輝く紅い瞳で俺のことを見据えていた。
──現実感がない……いや、幻想的な光景だった。
第三種怪異の『口裂け女』をいとも容易く叩き潰しているその威容もそうだが、それ以上にその容貌が。
まず最初に目を惹いたのは、その虹彩。
血の様に真っ赤な紅に染まった瞳は、高層ビルの陰で出来た暗闇の中にあって、まるで光を放つように鮮烈に見えた。
燃えるように長い睫毛の、切れ長の眼。たった今第三種怪異を叩き潰したというのに、その瞳からは一切の高揚も動揺も感じられない。完全な平常心。この程度は日常茶飯事と言いたげな、静かな自信が見て取れた。
そして次に目についたのは、艶やかな黒髪。
いわゆる姫カット? 的な髪型に切り揃えられた長髪に、後ろ髪を高い位置でまとめて、ポニーテールのように後ろに流している。まるで古代日本の高貴な家柄みたいな雰囲気のする髪型だった。多分、戦闘で邪魔にならないようにとかそういう意味合いもあるんだろうが。
最後に目についたのがその服装だ。
股下ギリギリくらいの短い丈の赤黒の振袖の下に、首の半ばまで覆う真っ黒いライダースーツのような全身スーツを身に纏っている。袖の丈は裾とは対照的に長く、手首くらいまで覆い隠す大きな作り。中に暗器とか隠せそうな勢いだ。
一目見て分かる通り、日常生活ではまずお目にかからない奇抜な格好。──が、満更、異常というほど突飛な服装ではない。今の時代、怪異と苦も無く戦える人間ならば、このくらいの格好は装備の都合上あり得るといったところである。
端的に言って、美女。
『古風』という意味のパーツを徹底的に
「えー、絶句しないでくれない? 確かに性質の悪いブラックジョークだったけどさぁ」
応答できずにいると、女は肩を竦めて軽く笑った。
「い、いや……。別に……」
人間だってことは分かってる、と言いたかったが、言葉が続かなかった。
緊張とか恐怖とかというよりは、シンプルに目の前の現実に脳の処理が追いついていなかったのだ。ゆえに。
「……綺麗かと言われたら、そりゃ綺麗だと思いますけど」
俺は、直前に問われた言葉に対して、めちゃくちゃ素直に答えていた。
答えてから、しまったと思った。本人がブラックジョークって言ってるのに真顔で返してしまった! 一番恥ずかしいヤツである。どう言い繕おうかと考えていると、女は耐えきれないといった調子で噴き出した。
「……きみ、面白いね! わたしは
女──御巫は、そう言って地面を蹴り払う。
叩き潰されていた『口裂け女』の残滓は、たったそれだけで風に溶け込むようにして消え去ってしまった。後には、何も残らない。
その様子に見惚れかけて、俺ははっとした。
「あっ、俺は
「……へえ。っていうと……『怪進法』の派遣留学か」
「そうっすね」
怪異文明社会の実現は、どこの国家にとっても急務だ。
ここ自凝県の他にも世界各国で実験都市の試みは行われているが、やはりまだ怪異に対する苦手意識は根強い。そのため、その苦手意識を緩和する為に、日本では『県外』から留学生を引き入れて技術教育を行い、技術者として確立させたうえで『県外』に放出するという施策が行われている。
怪進法……『怪異教育推進法』では、全国の高校または大学で、都道府県単位での派遣留学枠の創設を義務付けている。選抜を通過した希望者は最大で七年間、自凝県で専門教育を受けることができるのだ。俺がこの街にやってきたのは、『それ』である。
俺が頷くのを見て、御巫は感心したように笑みを深め、
「敬語は要らないよ。高校生ならどう若く見積もっても三つしか離れてないでしょ。わたしは堅苦しいのが嫌いでね」
「う、うっす」
「………………」
「……分かった、分かったよ」
真っ赤な瞳でじいっと見つめられて、俺は根負けした。
どう若く見積もっても三歳……ってことは、一八か? 普通に高三じゃん。二歳差ってめちゃくちゃデカいと思うんだが。そういえば冗談だか分からないが、探偵とか言ってたか……。……社会に出ると二歳差なんて微々たるものになるのか? イメージが全然できん。
俺が折れたのを認めた御巫は、ふいに視線を横に逸らして世間話を継続する。
「にしても、怪進法の派遣留学かぁ。制度は知っていたけど、実際にそれで来た生徒は初めて見たね。とすると、目指すは伝承師かな?」
「そうだな」
──伝承師。
新技術の発明によって、『神憑き』に代わって台頭した新たな職業だ。
今や対怪異──もとい怪異運用になくてはならない職種であり、これからの時代を牽引していく次世代の旗手である。
富だけでなく、名誉もついてくる職業。長者番付のトップ10が全て伝承師で塗り替えられてから久しいと言えば、この職業がどれだけハイリターンなものか分かるだろう。有体に言えば、億万長者への近道という訳だ。
「諸事情で、保険の少ない人生でな。順当に行ってじり貧になるより、一発逆転を狙いにこの島に来た」
「潔いね。……でも、派遣留学生ってことは、新学期は九月からでしょ? なんでこんな時期に?」
御巫に問われて、俺は少し押し黙った。
その疑問に答えるには、少しばかり俺の中のパーソナルな事情を開陳する必要があったからだ。だが……、いや、怪異に襲われてるのを見られてる時点で今更か。此処は話そう。
「体質だ」
俺は、まず端的に答えた。
「さっきも見てたろ? 俺には、『神憑き』の素質が宿ってる。そのせいで、怪異に襲われやすいんだよ。怪異をコントロールしてるって触れ込みのこの街なら少しは安全かと思って来たら、あの有様だ」
「あー、そういうこと。きみも大変だねぇ」
「自分で聞いておいて他人事だなコイツ……」
俺からしたら死活問題なんだよ。比喩表現じゃなくてマジで生命に関わるタイプの。
「一応言っておくと、本当にこの街の中なら怪異被害は少ないんだよ。誘導が効いてるからね」
憮然とする俺を宥めるように、御巫は語る。
……誘導か。確かに、街行く人々は『口裂け女』に対して全く対応していなかった気がする。ある意味怪異慣れしている俺はすぐさま気付けたが、あの感じは『「怪異」が実際に現れる』という事態を一切想定していない雰囲気だった。
とすると……。
「ただ、きみの体質がその誘導を貫通しちゃったんだろうね。いや、凄いことだよこれ。『神憑き』でも此処まで濃いことは滅多にないんじゃないかな?」
「嬉しくねぇ…………」
「そこについては、素直に同情するよ」
それで、さっき『珍しいものを見せてもらった』って言ってたのか。
全ての疑問が氷解して、俺は全体の盤面を見る余裕を手に入れる。そしてほどなくして、気付く。この女──御巫はいったいどういう意図で俺のことを助けて、そしてこうやって会話を続けているんだろうか?
助けたこと自体は、そこまで気にすることでもない。怪異を倒す力があって怪異に襲われている人を見かけたら、俺だって助ける。多分誰だって同じだろう。
ただ、こう長いこと世間話を続ける意図は分からない。聞かれたことに対して答えるような流れで会話を続けているが、そもそもただ助けただけの人間に名乗って世間話を始めた『最初の理由』はないだろう。考えられるのは知的好奇心という線だが……にしては、やけにフレンドリーな気がするんだよな。
俺の思考がようやく状況に追いついたことを悟ったのか、そこで御巫は改めて俺の目を見据えた。紅い視線が、俺を射抜く。いよいよ俺が疑問を口に出そうとしたタイミングで、御巫は機先を制した。
「つまり、友悟は九月まで暇ってことだよね?」
「あ、うん」
思ってもみなかった方向からの問いかけに、俺は何も考えずに頷いてしまった。
実際、今日──七月一九日から八月いっぱいにかけて、用事はほぼないに等しかった。自宅は派遣留学制度で提供された学生寮があるし、生活資金についても奨学金がある。個人的には新学期に向けた準備をするつもりではあったが、『確定した用事がない』という意味では暇だ。
思わず頷いた俺を見て、御巫はにんまりと、先ほどと同じような笑み──それが悪戯っぽいと形容できることに、今更気付いた──を浮かべ、こう続けた。
「ならさ。ちょっと
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