鉄蜘蛛

佐口木座九

第0話 怪人

XXXX年――

 科学技術は発展し続け、人体に機械パーツを組み込む改造技術が珍しくもなくなった時代。

かつて誰もが夢見た未来は現実のものとなっていた。しかし、どれだけ技術の発展と反比例するかのように人心は荒廃。

これはそんな時代でも一際発展を遂げた未来都市サイバレイオンで起こる事件の話である。


「はあっ、はあっ、はあっ」


深夜、息を荒げた若い金髪の男が廃墟の多いスラム街の路地を必死に走っていた。夜遅いこともあってひと気はない。科学が高度に発展したとしてもその恩恵の乏しい底辺はいつの時代にも存在した。

 スラムには社会か見捨てられた者、表を歩けない人間が集まる場所で男もまたその一員だった。


(クソぉっ、何でオレがこんな目にぃっ)

 男の名前はレックス。彼は何者かに追われていた。


「うっぅぅ」

 涙を流しながら走っている。


(きっと…きっとミシェルもアイツに殺されたんだ)


 夕方のことを思い出す。昨日、いつもより早く仕事が終わったレックスは彼女を驚かせようと自宅に急いで帰った。しかし彼女、ミシェルの驚く顔を見ることはできなかった。


 自宅のベッドでは原型を留めないほどに身体をバラバラにされた死体が待っていただけだったからだ。それからのことはよく覚えていない、気が付けば放心状態でずっと彷徨っていた。そうしている内にいつの間にか全身を真っ黒なローブに身を包みフードを目深に被った性別不詳の人物が目の前に立っていた。


 そいつを目にした瞬間、全身が危険信号を鳴らした。つい数分前のことだ、それから今まで全力で逃げ続けている。


 治安維持警察に頼ることはできない、社会の底辺を助けるような公共機関はなく殺人事件等珍しくもない未来都市サイバレイオンで警察が真面目に働くのは政治家・大手企業等の社会の上層部に位置する連中が関わる時だけだからだ。


(だから仲間を呼んでるって言うのにっ!!)


 公的機関は頼れなくとも仲間は助けに来てくれるかもしれない、そう思って先ほどから手首に埋め込まれたICチップを連打してTEL場面を表示させ電話をかけ続けているが一向に繋がらない。


 もっとも仲間が困っているから助けるというようなヒューマニズムがあるかは怪しい所だ。この街で弱者を救うような物好きは絶滅危惧種である。実際、レックスが逃げている中ですれ違う人もいたが彼らは一様に遠巻きに眺めるか、そそくさと立ち去る者しかいなかった。


「はあっ、はあっ」


 走りながら後ろを振り返る。そこには誰もいない。

「はあっ……くそ撒けたか?」


 ドンっと何かが叩きつけられたような音が隣の廃家の屋上から聞こえた。


「!?」


 そこにはレックスが逃げていた黒ローブの怪人がいた。フードから中が伺えたが顔に真っ黒の闇のようなホログラムを貼り付けており素顔はようとして知れない。表情の代わりに6つの赤丸が暗闇の中で目のように光っていた。


(隣のビルから飛び降りたのか!?)

 廃家の隣には10階建てはあるだろう古びたビルがあった。


「あ、あんた何なんだよ!」

「………」

 怪人は無言で返事はない。無言のまま右手を出すと何かを掬うように手を動かす。



(何の…真似だ?)

 疑問の答えはすぐにわかった。

 怪人が身にまとっていたローブの背中側が一瞬膨れ上がる。そして音を立てて鋭利なものがローブを突き破り異形な武装が出現した。


「なっ…あっ!?……蜘蛛の…脚?」

 怪人の背中から4本の蜘蛛の脚のような物体が生えている。


しかし、生物でないことは見るだけでわかった。脚には金属質の光沢があり、3か所の関節で分かれた最先端の部位は触れる物を全て切り裂きそうな片刃のブレードになっている。


 蜘蛛脚は各々独立して刃の音を鳴らしながら動く。工場で使われるロボットアームのような機械的な動きだ。もっとも…絶対に工場でつかわれなさそうな攻撃的なデザインだったが。


「…あんた、違法人体改造者<イリーガル・MoD>、それも……異形改造者<サイバー・モンスター>か」


 異様な風体に震えそうになる身体を抑え勇気を振り絞り怪人を見据える。

 人体改造者<サイバー・MoD>

 人体に機械を組み込まれる技術が一般化してから久しい。脳内で考えるだけでできるよう電脳にアクセスできる脳に電脳チップを入れる。肉体を頑丈にするために皮膚下に極薄性の鉄板を仕込む等々といった改造が世には存在し、全く身体をいじっていない人間はほぼ存在しないと言っていい。


 生活を便利にするため、仕事に必要だから、失った手足を補うため、そんな前向きな理由で身体の数パーセントを改造する人間が大多数の一般人だ。


 その中でイリーガル・MoDとは、生活に不要なレベルの危険な違法パーツを人体に組み込む改造を施す者達の総称だった。人間の形状から逸脱しすぎた者が<サイバー・モンスター>と蔑称で呼ばれている。


 そして、そのほとんどは裏社会に属する人間だ。

 数十メートルに落下に耐える肉体、身にまとった異常な雰囲気からしてこいつがサイバー・MoDであることは明らかだった。


(…ミシェルの死体は人間では不可能な程損壊されていた…)


レックスはここに来て怪人がミシェルを殺害した犯人である可能性に気づいた。

元々、異形と呼ばれるレベルで改造する人間は人格破綻者が多い上に、改造後も見た目に引きずられ人格異常を発症、事件を起こすというニュースはよく耳にする。


「………」

無言のまま怪人が屋上からレックスに向けて蜘蛛脚を伸ばしながら飛び掛かって来た。


「っく」

間一髪で避けた。レックスが先ほどまでいた場所に蜘蛛脚のブレードが突き刺さっていた。


「………」

地面に降り立った怪人が首を傾げながらゆっくりとこちらを見る。


「っへ、避けられて不思議か?改造はお前だけじゃないんだよ!!」


 恐怖を押し隠し、こちらの余裕を見せるようこころがけて自慢げに足を見せる。レックスは脚部の内をバネのような仕様に改造し、瞬間的な加速を可能としていた。


(うさんくさい医者だったが、頼んでおいて正解だった…)

高度な改造は金がかかり本来は社会の底辺にいる者にはできない。


 しかし、レックスは先日仲間のツテを使って闇医者に格安で人体改造手術をしてもらっていた。


(こっちの改造は教えるつもりはないけどね)


 わざわざ、脚部改造を教えたのは他の部位から注意を逸らすためだ。レックスは両腕も改造し皮膚下は機械化、肘にエンジンを入れ人間を超えた駆動を可能としていた。


(オレの隠し玉で仕留めてやるよ怪物)

 恋人との日々を思い出す。

(「レックスー、お風呂に先入る?」

「レックスー一緒にお出かけしよ♪」

「……大好きだよ、レックス」)

 いくつもの自分と過ごした彼女の表情を思い出す。彼女との思い出が増えることはもうない。


覚悟は決まった、先ほどまでの怯えはもうない。


「待ってろ、ミシェル。仇は討つ…」


 怪人がゆっくりと歩いてきている。背中の金属でできた蜘蛛脚は出したまま関節同士が軋んで音を立てていた。

 レックスは油断している怪人が攻撃してきた瞬間にカウンターを決めようと拳を固め、その場から動かなかった。


 やがて怪人が立ち止まる。躊躇しているのではないだろう…背中の蜘蛛脚を、それこそ本物の蜘蛛が獲物に飛び掛かる前段階の状態のように広げた。

距離にして10m、恐らく怪人にとっては一瞬で詰められる距離だ。

「………」

「………」

 互いに無言で見つめ合い言葉はなかった。


 沈黙に耐えられず最初に動いたのはレックスだった。強く地面を押し出すように蹴って敵の懐に飛び込む。


(一撃に全てを懸ける!!)

 改造した腕の機械を全力で解放、肘からエンジン全開!火花を散らしながら高速で鋼の拳を怪人の腹に叩き込み………


「な?」

 レックスの肩から先にはさっきまであった腕がない。怪人の動きはレックスに捉えられるレベルではなかった。


 腹にぶち込むはずだった右腕は怪人の右背面から生えていた上部のブレードによって既に斬り取られ、右背面下部のブレードで脇腹を斬りつけられてた。嬲るつもりか比較的腹の傷は浅かった。


 しかし、自分に何をされたかまだ飲み込めないままレックスは地面に倒れてしまう。

「あがっ」

 顔が地面にぶつかって始めて自分が斬りつけられたことに気づく。

(くそっ………がっ…うっ痛い…もう駄目だ…勝てない)

 すぐ死ぬような傷ではないと言え痛みは強い。

(………馬鹿かオレは…田舎を飛び出した時、絶対に!ビッグになって見せるって!ミシェルに誓っただろうがぁ!!)

 だがレックスの心はまだ折れなかった。地面にまだ残っている左手をつくと立ち上がるために力を込める。


「う、うおおおおおおおおおおおおっ」

レックスの気迫に応えるように肉体が震え蒸気が噴き出させながら立ち上がる。皮膚の下で改造パーツが駆動するのを感じた。


(あれ?こんな部位まで改造してたっけ?いや…考えている場合じゃない今は目の前の敵に集中だ!)

頭にわずかに浮かんだ疑問を振り払って怪人に向き合う。


「その身体……どこで手に入れた?」


 突然、声が聞こえた。それまで無言を貫いていた怪人が口を開いたのだ。

 油断なく装備を展開させたままだが、とどめを刺そうとはして来ず。立ったままレックスを観察しながら質問をしてきた。

 合成音声になっていて年代も性別もわからない。顔にかかったホログラムといい徹底的に身元を隠すつもりのようだ。


「はんっ、話せるのかよ、怪物が」

 吐き捨てるように言った、体力を回復させる時間を稼ぐために会話に付き合うためだ。


「……ひどいことを言う奴だ、怪物はお互い様だろう?」

 怪人が肩を竦めている。


「っっ!!てめぇと一緒にするんじゃねぇェ!!」

 時間を稼ぐための会話をするつもりだったが、頭に血が上ってしまっていた。


「このっ!くそっ!お前のせいで………」

「うん?」

「お前がっミシェルを殺したんだろぅがっ!!」

 怒りのまま立ち上がると怪人に指を突き付けた。レックスの右腕はなく、腹からは血が垂れているが怒りのためか気にならなかった。


「?……………ああそうか…そこまで進行しているのか」

 呆れたような悲しんでいるような様子で肩を落としている。


「何だよっ何でっ何でっミシェルを殺したんだああああぁ」

 レックスはその他人事のような態度が許せなかった。今更、真相を知ってもどうにかなるものではないとわかっている。


 だけど、殺される前にどうしても聞きたかった。


「違う…」

 怪人が頭を横に振っている。

「何がだ!」

「違うんだよ……殺したのはオレじゃあない」

「他の誰がっ!誰が殺したって言うんだ!!」

 怪人がレックスを指さす。


 

「君が」

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