第3話 好きでいられる距離

しばらくの間、この町のお巡りさんが不在になることになった。度々居なくなる平和田さんは自由なのか、仕事が多いのか分からない。分かっている事は、何も起こらない平和を願っている事くらいだ。

 そしてこの町はお巡りさんがいなくても、びっくりするほど何も起こらない。

 はずだったのだが、入れ替わる様にやってきたくま子の存在は、みんな興味津々らしかった。びっくりするほど何も起こらなかったこの町に起きた、謎のBIGイベント…略して謎Bなのだ。


 僕たちは今、朝のお散歩ついでに、町で唯一のコンビニへ向かっている。インスタントのコーヒーを切らしている為、コンビニでお金をおろしながら、ついでにコーヒーを買う。という作戦を決行中だ。くま子はこの作戦に、何となくでついて来てくれている。

 正確には、朝の散歩にノリで付いてくるので、その延長だ。旅は道連れ世は情け…、というより、やはり田舎は娯楽が少ないのだ。


「ちょっと待って、ノボル。」

「どうかした?」


 くま子と一緒に行動すると、目的地へ真っ直ぐ辿り着く事が少ない。彼女といると、お喋りに捕まってしまうのもあるが、彼女自身の道草もある。

 近所のアパートの、ゴミ捨て場の蓋を開けて、彼女は慣れた手つきで、ゴミをひっくり返す。

 やめなさいくま子!今日は燃えるゴミの日だぞ…。これ以上有名人になる気か…。


「おはようくま子ちゃん、今日も宝探し?」

「うん。おはよう。」

「おはようございます。すぐに止めさせますので!」

「ノボルくんもおはよう。」


 アパートの一室から、出て来た近所のおばちゃんは、新しい宝を手に持っていた。


「いいんじゃないかしら?捨てている物なんだし…?」


 くま子に宝を手渡しながら。

 そう…なのか…?捨てている人がいいと言えば…確かにいい様な気もしてくる…。


「それじゃあ二人とも、楽しんでね。」


 おばちゃんは笑顔で手を振る。くま子も手を振りかえす。……楽しんで?…二人とも?

 すごい手際でゴミを散らかすくま子は、素人とは思えないほどの手捌きだ。これ程の手際の良さになると、傍から見ると真剣に仕事をしているようにすら見えるだろう。

 無駄の無い無駄な動きとは、不思議と見ていたくなる。動画を撮ってあとで見直そう。

 一通り楽しんだくま子は、ゴミを片付け始める。元々片付いていたゴミを一度散らかして、元通り片付けるのだが…。

 僕も片付けの手伝いを楽しませてもらう事にしよう。

 しかしよく見てみると散らかしている物は、ほとんど汚れない物ばかりだ。無駄な仕事は増やさないというのは、スムーズな仕事に繋がる。無駄な仕事を増やさない、無駄の無い無駄な動き…。

 効率的に散らかすと、これほどあっという間に片付くのか…。


 平和田さんから教えてもらった『凡事徹底』という言葉を思い出す。

 ”普通のことを徹底的にやる”という意味の言葉らしいが、平和田さんが教えてくれたコツは、『普通のことを普通にやる』というやり方だった。

『自分の中の普通』を広げていけば、誰にでも出来る普通だったはずのソレは、いつしか誰も届かない領域に到達するらしい…。

 二刀流で有名なあの野球選手も、最初は誰にでも出来る普通の事からスタートしていたのだろうか?


 ゴミ漁りは普通かと問われると微妙だけれど、誰にでも出来るという点では普通の事だ。

 しかし次の行動の『素早く片付ける』に焦点を置きながら、あの速さで散らかすことは、すでに普通の人が届かない領域に到達しているように見える…。

 誰にでも出来る事の方が意外と、その人の凄さみたいなものが出るのかもしれないな…。

 僕は感心しながら最後のバナナの皮を拾って目の前に掲げて眺める。

 僕はバナナの皮を踏んで滑って転ぶ、というキャラの方が似合いそうだ…。

 これはフリではない。似合いそうとは言ったが、僕は転ぶキャラではないのだ。

 起承転結の”転”で転ぶ、なんて経験は一度味わえば十分だ。

 


 くま子はお宝が見つからなかった様で、心無しか少し残念そうだ。燃えるゴミの日だぞくま子…。

 どこか遠くから、聞き慣れたクラシックが聞こえた。ゴミ収集車のお出ましだ。

 僕はハッとして、くま子の方を振り返ると、彼女は既に走っていた。当然のように、迷いなく、一直線に、”宝船に狙いを定めた海賊”の様に。

 ライバルであろう、野良猫やカラスには真似できない芸当だ。宝探し界隈(?)で、人権を得ているらしい彼女は、宝船の船員たちと取引をしていても、不思議では無い。


 走ってもくま子の足に追いつけるはずもないので、歩いて追いかける。彼女の行き先は分かっている。今頃宝船を襲撃している所だろう。

 僕が襲撃現場に到着する頃には、くま子は宝船の船員のお兄さん達に、手を振っているところだった。彼女の手には鍋とお玉が握られていた。


「約束してたやつ、取っておいてくれてた」


 

 ホントに取り引きをしていた…?彼女はお玉で鍋を叩き、音を鳴らしながら歩き出す。

 …ん?料理用じゃないのか?

 僕が彼女の奇行を見ていると、彼女は手を止めて、僕に説明してくれる。


「熊は臆病なの。大きな音を出すのは効果的。私のテリトリーに熊は近づかない。」


 くま子のくま耳フード姿はてっきり、熊とお近づきになりたいと思っていたが、近づけないための装備なのか…?

 しかしそれは人間も近づいてこないのでは…。

 すれ違う人は、くすくす笑いながら目を逸らす。人間には効果抜群の様だった。

 コンビニの店内では、くま子は大人しく店内をぐるぐると回っていた。

 コンビニ内で音を鳴らしても、効果は無いと判断したのかもしれない。

 コンビニの店員さんは、何か言いたそうで何も言ってこなかった。

 くま子に何かを言っても、効果は無いと判断したのかもしれない。


「ねえ、このアイス、どんな風に白くまなんだろう?」

「白くま?」


 僕はくま子が持ってるアイスと同じアイスを手に取る。『白くまハッピー』に興味を持ったらしい。


「食べる?」

「うん」

「お弁当も買って行こうか」


 くま子は、あの有名なオムライスコンサルタントが監修したらしい『ハッピーオムライス弁当』を選んだので、僕も同じものをカゴに入れる。

 僕たちは、『白くまハッピー』を食べながらお家へ帰る。白くまに一歩近づく事が出来たらしい彼女は、帰りの旅路は心なしか上機嫌だった。

 あ、コーヒー忘れた…。まぁいいか。

 

「ねえくま子」

「なに?」

「熊のこと好きなの?嫌いなの?」

 

 くま子は不思議そうにこちらを見上げた。

 

「ほら、音を出すと近づいてこないって」

 

 くま子が立ち止まったので、僕も立ち止まる。

 

「ノボルは熊のこと好きなの?嫌いなの?」

 

 くま子は僕の質問をそのまま返してきた。

 

「僕は別に…好きでも嫌いでも…。くま耳フードはかわいいと思うよ」

 

 くま耳フードだけはフォローした僕の言葉を無視し、彼女は口を開いた。

 

「私は熊は好き。でも好きでいられる…距離感?みたいなのあるんじゃない?」

「…まぁ確かに、わんちゃんが好き。みたいな距離感とは違うか…」

「うん。わんちゃんは触れる距離、熊はさわれない距離」

 

 くま子は僕の反応を待たずに続ける。その口調はどういう訳か、熊を擁護するかのようで。

 

「熊は人を食べなければ、人を食べ物だと思わない。」

 

 ──あるいは、共生の道を示すかのようで。

 

「人も熊を食べなければ、熊を食べ物だと思わない。」

 

 それは彼女の失われた記憶に関係があるのか?風さえも頷くように、

  

「きっとそれが必要な距離感なの」

 

 ──ふわふわの熊耳を揺らした。

 

 視線を落とすと、小さな影が寄り添っていた。その影は子ぐまの頭みたいだった。

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