第7話:勇者様、枕の匂いを嗅いで後悔中
(アレク視点:崩壊の序曲)
一方その頃。 公爵邸でティアが幸せなカオスに包まれていたのとは対照的に、ダンジョンの奥深くでは、重苦しい空気が
「くそっ、なんでこんなに体が重いんだ……!」
勇者アレクは、大剣を地面に叩きつけ、忌々しげに吐き捨てた。 目の前には、討伐したばかりのオークの死体が転がっている。Aランク冒険者である彼らにとっては、本来なら雑魚敵のはずだった。 それなのに、息が上がっている。肩が鉛のように重く、剣を振るうたびに筋肉が悲鳴を上げていた。
「おい、ヒールはまだか! 擦り傷が痛むんだよ!」
アレクは背後にいる新しい聖女(臨時雇い)に向かって怒鳴った。
「も、申し訳ありません勇者様! 今すぐに……ああっ、MPが足りませんわ!?」
「はぁ? たかが数回魔法を使っただけでガス欠かよ!?」
聖女が青ざめた顔で杖を握りしめている。 彼女は名門神殿出身のエリートだが、実戦経験は浅い。それでも、世間一般の基準で言えば十分に優秀な部類だ。 だが、アレクの感覚は狂っていた。
(ティアがいた時は、上級魔法を連発しても息切れしなかった。『微風のミント』によるMP自動回復(リジェネ)が常に効いていたからだ。 なのに今はどうだ? たかが中級魔法を三発撃っただけでガス欠かよ!?)
アレクは舌打ちをした。 彼は気づいていなかったのだ。ティアが戦闘中、絶えず焚いていた『
さらに言えば、ティアが独自に調合していたポーションは、即効性と回復量に特化した特注品だった。
「ちっ、使えねぇな。ほら、ポーションだ」
アレクは腰のベルトから、市販のポーションを取り出して聖女に投げ渡した。 そして自分も一本、
「ぐぇ……まっず……」
舌を刺すような苦味と、鼻に抜ける薬臭さ。 思わず顔をしかめる。
(なんだこの泥水みたいな味は。ティアが作っていたやつは、もっと果実のような甘い香りがして、喉越しも良かったぞ)
それに、効きが遅い。 飲んでから数分経っても、痛みが引く気配がない。ティアのポーションなら、飲んだ瞬間に体が軽くなったというのに。
「……あいつ、無駄に味にこだわりやがって。おかげで俺たちの舌が贅沢になっちまったじゃねぇか」
アレクは空になった瓶を地面に叩きつけた。 全てはティアのせいだ。あいつが変な甘やかし方をするから、俺たちは調子が狂っているんだ。 そう自分に言い聞かせなければ、胸の奥に湧き上がる焦燥感に押しつぶされそうだった。
「今日はもう引き上げるぞ。これ以上潜るのはリスクが高すぎる」
「えっ? まだ予定の半分も進んでいませんが……」
魔法使いの男が不満そうに言ったが、アレクは睨みつけて黙らせた。
「うるせぇ! リーダーは俺だ! 体調管理もできない無能共を連れて深層に行けるか!」
パーティの空気が凍りつく。 誰も何も言えなかった。かつて、ティアがオドオドしながらも笑顔でお茶を配り、殺伐とした空気を和ませていたあの時間は、もうどこにもなかった。
◇◆◇
街に戻り、安宿の硬いベッドに体を投げ出した。 全身が軋むように痛い。 ティアがいた頃は、寝る前に『
だが今は、目を閉じても戦闘の興奮が冷めず、古傷が
ティアが整えていた「快適な環境」が消えた途端、ダンジョンの野営がこれほど過酷なものだと思い知らされる。
「……クソッ、寝れねぇ」
アレクは苛立ちながら寝返りを打った。 その時。 枕元から、ふわりと微かな香りが漂ってきた。
「ん……?」
それは、枕の下に押し込まれていた小さな布袋だった。 ティアが追放される前日、「予備です」と言って渡してきた香袋だ。 捨てようと思って忘れていたものが、偶然出てきたのだ。
「……ちっ、あいつの匂いかよ」
アレクは忌々しげに香袋を摘まみ上げた。 捨ててやる。こんなゴミ、今すぐに窓から投げ捨ててやる。 そう思ったのに、手は動かなかった。
無意識のうちに、香袋を鼻先に近づけていた。
「…………」
スゥッ、と息を吸い込む。 どこか懐かしい、陽だまりのような甘い香り。 その瞬間、ガンガンと痛んでいた頭痛が、嘘のように和らいだ。張り詰めていた神経が解け、強張っていた筋肉から力が抜けていく。
「……はぁ」
思わず、安堵の溜息が漏れた。 悔しいが、認めざるを得ない。この香りを嗅いでいる時だけは、体が楽になる。
(……いや、違う。これは俺が弱いんじゃない。あいつの香りが、俺たちを依存症にさせていただけだ)
アレクは香袋を強く握りしめた。 ティアは役立たずの荷物持ちだった。臆病で、戦闘の役には立たず、俺の後ろで震えているだけの存在だった。 あんな奴がいなくなったところで、俺たちの戦力に影響はないはずだ。 代わりなんていくらでもいる。
「……すぐに新しい調香師を見つけてやる。もっと優秀で、もっと勇敢で、俺の役に立つ奴をな」
そう呟いて、香袋を放り投げようとした。 だが、指が離れない。 どうしても、捨てられない。
「……代わりが見つかるまでの辛抱だ。それまでは、こいつを使ってやる」
アレクは言い訳のように独り言ちると、香袋を枕元に戻し、顔を埋めるようにして目を閉じた。 その姿は、お気に入りの毛布がないと眠れない子供のように、情けなく、惨めだった。
(あんな無能、どうせ野垂れ死んでるさ。……精々、後悔して泣き叫べばいい)
自分自身の後悔に気づかないフリをして、アレクはティアの残り香に縋りながら、浅い眠りについた。 それが、勇者パーティ崩壊の序曲であることにも気づかずに。
――――――――――――――――――――
★★あとがき★★
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
勇者アレク、絶賛「ざまぁ」進行中です。
ティアの「見えない支援」がいかに偉大だったか、失って初めて気づく……というのはお約束ですが、アレクの場合はプライドが高すぎて「あいつのせいだ」と逆恨みする方向にいってしまいました。
香袋を捨てられない姿が、なんとも哀れですね。
「アレクざまぁみろ!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、ぜひ画面下の★評価や作品のフォローで応援していただけると嬉しいです。
それでは、また次のお話でお会いしましょう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます