一章 来島の赤

この島に棲みついた

 私は睡眠を必要としない。夜は潮騒しおさいの音を聞きながら空が白むまでを過ごし、日が昇れば蛍露草ほたるつゆくさの咲く野へと足を向ける。それが私の日課だった。

 小さな青い花弁の花は、広がる大地のどこにでも生えるありふれたものだ。メルイーシャにもよく咲いていた。

『この花はね、僕と君にとっていわれのある花なんだよ』

 我が主の好きだった花。

 私との謂れとは、一体何だったのだろう。我が主は私にそれを語らなかった。


 青い空の下、穏やかな野の景色が広がる。その中に、普段はない人影を見つけて私は足を止めた。

 若い女のようだった。身にまとった派手な赤色の服が青と緑の中で一段と目立って見える。背負っている大きな荷物は旅荷だろうか。

 私に気づいた女は足早にこちらへと駆け寄ってきた。両肩にかけた荷と、緩く結わえられた金の髪が女の背中で大きく揺れる。

 見開かれた薄青色の瞳。その色に軽く既視感きしかんを覚えた。

 何だろうかと考えて、すぐに気づく。辺りに咲いた蛍露草の花色と良く似ているのだ。

「お主、こんなところで何をしておるのじゃ?」

 女が聞き慣れない口調で私に問いかけた。我が主よりもやや低めの、りんとした声だった。

 私は軽く首をかしげる。

「君の方こそ、ここへ何をしに来たのだ?」

 この島はずいぶんと前から人が寄りつかなくなった。理由はおそらく私のせいだろう。だからこそ、誰かと言葉を交わしたのは本当に久々のことだった。

「ワシか、ええと、ワシはじゃな……」

 女は少し戸惑った表情をする。その目がちらりと右腕につけられた篭手こてへと向いた。

「その、この島にみついたという招来獣しょうらいじゅうに会いにきたのじゃ」


 風の音が一瞬遠くなった気がした。


 私は目の前の女を見下ろし、その姿を眺める。

 女の服はただ目立つ赤色をしているだけではない。村娘が袖を通すものとは意匠も素材も全く異なった装束のようだった。右腕だけにめられた鈍色にびいろ篭手こても、若い女がつけるには異様なほどに物々しい。

 私は女に尋ねる。

招来獣しょうらいじゅうと会ってどうするのだ?」

「それは、その……」

「まさか、討伐とうばつでもするつもりなのだ?」

 私の問いに、女は眉を寄せたまま黙り込む。

 雄弁ゆうべんな答えだった。


 私は軽く空を仰ぐと、女から一歩足を引き、蛍露草ほたるつゆくさの咲く乾いた大地に両膝をついた。

「ど、どうされた?」

 女が戸惑ったような声を上げる。

「この日差しで具合でも悪くされたか? ここは危険じゃろうし、よければ島の外まで……」

「私なのだ」

「え?」

 きょとんとした薄青色の目を見上げながら、私は彼女に自分の正体を告げた。


「君の探している招来獣とは、私のことなのだ」


 大きく目を見張った女は、すぐに苦笑いを浮かべて首を振る。

「いや、いやいや。真面目な顔でそんな冗談を言われても」

 どうやら信じていないらしい。

 思い返せば今までの旅路でも、私が招来獣であることに気づかれ言及されたことは一度もなかった。

 ではどうするべきだろうか。


「君は、くだんの招来獣についてどのように聞いているのだ?」

 私が問うと、女は首をかしげながらもゆっくりと語りだした。

「近隣の者の話では、この島に一年以上はみついていると。周辺の村を襲うという話は聞かなかったが。見た目の特徴としては、真っ白な毛並みと鮮やかな緑色の目をしているのが印象的じゃ、と……」

 そこまで言ったところで女の声が途切れた。こちらを見ていた薄青の瞳が驚いたように揺れる。

「お主、その目と髪の色は?」

 女の言葉を聞き、私は無造作に括られた髪の一房を軽くつまむ。

 それは銀に似た白髪である。女の視線に合わせた目は、おそらく緑に見えていることだろう。

 女は軽く息をのんだが、すぐに眉を寄せて首を振った。

「いや、お主はどう見ても人間じゃ。ワシが村で聞いた話では、ここにおる招来獣しょうらいじゅうは馬だか山羊だかの姿をしていると」

 その言葉を聞き、なるほどと思う。

「では、これなら良いのだ?」

「な……?」


 私は目を閉じると今の身体を。溶かし、別の形へと姿を変える。

 『腕』がなくなり、『前肢』へと変わりゆく感覚。質量も五感も変化する、それはまるで空から海に落ちるような心地に似ている。辿り着いた先は同じであり違う世界だった。

 目を開いた私は第四形態白馬の姿となっている。ぐんと高くなった視界から、目の前に立つ女を見下ろして言った。

「私が、君の探している招来獣なのだ」

 獣の姿の時は口を開かずとも言葉を発することができる。我が主の設定の成果である。


 女は目を見開いて立ちつくしていた。軽くたてがみを揺らすと私は彼女に向けて瞬きをする。

「君は私を討伐しにきた。合っているのだ?」

 強ばった女の頬に汗が伝うのが見えた。

 賞金か、称賛か。あるいはただ近隣の村のうれいを拭い去りたいだけか。いずれにしても、いつかこんな日が来るのではないかと思っていた。

 私は軽く目を伏せた。

「討伐したいのならば、そうすれば良いのだ」

「え……?」

 私は再び第一形態人の姿に戻ると服のすそを軽く払う。

「私は戦闘用の招来獣ではないので、君を攻撃するすべを持たない。核を破壊すれば私は消滅するのだ」

 それだけ言って、私は女の行動を待った。


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