激流(カスケード)
零は寂しそうに笑った。
『涙はもう枯れても 震える手の中には』
「私には、これしかないの。ずっと、この世界の底で、誰にも気づかれずに溜め込んできた。流さなきゃ、溢れてしまう」
その言葉は、まるで堰を切る合図だった。
零の周囲を渦巻いていた「カスケード」が、一瞬で純度を高め、破壊的なエネルギーへと変貌した。その巨大な「流れ」は、零自身の意志をすでに超えて、ただ外界へ向かって噴出することだけを求めていた。
「あっ……!」
零が苦しげに顔を歪める。彼女の美貌を縁取る青い光が強さを増し、路地全体を異質な空気で満たした。
交差点の信号機が、一瞬で全ての光を失い、プツン、と音を立てて沈黙する。続いて、周囲のビルの電光掲示板の文字が、何の法則性もなくランダムに崩壊し、点滅を繰り返す。これは、零の「意志の残響」が、電気系統を制御する現実の法則に直接干渉し始めた証拠だった。
そして、路上のアスファルトに、青い光の筋が走り始めた。それは物理的な亀裂ではない。世界と現実の境界線にできた、一時的な「水路」だ。零の力が、彼女が「強く願うこと」を現実に投影し始めているのだが、その願いが純粋すぎ、強大すぎるゆえに、今はただの破壊的なエネルギーとして世界を侵食していた。
『諦めない気持ちが ずっとここに 満ちているから』
その強大な力に、湊は一瞬たじろいだ。この力を制御することは、自身の能力の限界を超える行為だ。
そのとき、路地口の陰から、わずかに顔を覗かせた佐伯葵の焦った声が聞こえた。
「湊! 早くこっち来て! 何か変だよ、この光!」
彼女の目には、零の背後の青い奔流は見えていない。ただの奇妙な停電と光の異常現象として認識しているだけだ。だが、その声が、湊に現実への錨を下ろさせた。
この力を、ただの暴走で終わらせてはいけない。このままでは、彼女自身が「濁流」に飲まれ、周囲の人間、ひいては渋谷全体が機能不全に陥る。
湊は決意した。彼は、長年人知れず積み重ねてきた、「残響の法則」を読み解く知識と、それを制御する技術を、初めて人前で使う時だと悟った。
「葵! 街から離れろ! 今すぐだ!」湊は背後の葵に大声で叫ぶと、向き直り、人目を憚らず、右腕を突き出した。
彼の右腕には、幼い頃から訓練を重ねてきた結果、半透明の幾何学模様が浮かび上がる。それは、世界に流れる「意志の残響」を、一時的に自分の意のままに再構築するための、「回路」だった。
「待って。その力は、誰かを救うために使われるべきだ」湊は叫んだ。
零は目を見開いた。「救う?そんなこと、できるわけがない。この力は、私をただの怪物にするだけだ!」
『溢れだした力はもう 誰にも止められやしないだろう? 押し流して』
零の「カスケード」はさらに勢いを増す。青い光の筋は建物の壁を登り、ガラスを揺らし始めた。湊は、自らの命を危険に晒すことを承知で、奔流の中心へ一歩踏み出した。
「確かに、その流れは止められない。でも、導くことはできる!」
湊の右腕の「回路」が、零の圧倒的な奔流に触れるため、激しく熱を帯びて発光した。彼の意識が、今、巨大な「流れ」に接続しようとしていた。
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