第3話:独立の咆哮(ハウリング)
西暦一九二五年。ニュージーランド、ウェリントン。
英国総督府の庭園では、女王の誕生祭を祝う盛大なパーティーが開かれていた。
着飾った英国紳士や貴婦人たちが、シャンパングラスを片手に談笑している。
そのすぐフェンス一枚隔てた外では、増税に苦しむ市民やマオリたちが、飢えた目で彼らを見つめているというのに。
「オホホ! 見まして? あの薄汚い猿たちの目を」
「まったく。これだけ文明を与えてやっているのに、感謝の一つもないとは」
総督のアーサー・ヘイスティングスは、葉巻をくゆらせながら鼻で笑った。
彼は典型的な植民地支配者だった。現地人を人間だと思っていない。
その時だ。
パーティー会場の入口が騒がしくなった。
「おい、止まれ! 貴様ら何者だ!」
「総督への『退去勧告』を届けに来た。通せ」
衛兵を突き飛ばし、大理石の回廊を歩いてくる二人の男がいた。
仕立ての良い黒いスーツを着た九条湊と、巨大な体に礼服を纏ったウィレムだ。
二人の背後には、同じく黒いスーツに身を包んだ屈強な男たちが十数名、無言で従っている。
「なんだ貴様は。黄色人種が入り込んでいい場所ではないぞ」
ヘイスティングス総督が不快そうに眉をひそめる。
湊は総督の目の前まで歩み寄ると、一枚の書類を突きつけた。
「初めまして、総督閣下。俺は九条湊。この土地の新しい代表だ」
「代表? 寝言は寝て言え」
「寝言じゃない。これは『独立宣言書』だ。本日正午をもって、我々は英国からの離脱と、新国家『蓬莱(ほうらい)』の樹立を宣言する」
湊はニッコリと笑った。
「今すぐ荷物をまとめて出ていけ。そうすれば、命だけは助けてやる」
一瞬の静寂の後。
会場は爆笑の渦に包まれた。
「ぶはハハハ! 聞いたかおい! 独立だと!」
「ジャップとマオリが、大英帝国に喧嘩を売るつもりか!」
「おい衛兵! この狂人たちを捕らえろ。見せしめに広場で絞首刑にしてやる!」
総督の命令で、庭園の警備兵たち――三十名ほどの英国兵が、リー・エンフィールド銃を構えて駆け寄ってくる。
包囲された湊たち。絶体絶命の状況。
だが、湊は溜息をつき、悲しげに首を横に振った。
「……笑ったな? 俺たちの覚悟を、笑いやがったな?」
「あ?」
「チャンスはやったぞ。平和的に解決したかったのに……お前らが選んだんだ、流血を」
湊がパチン、と指を鳴らす。
その瞬間。
――ドォォォォン!!
地響きのような足音が響いた。
庭園の茂みから、屋根の上から、漆黒のトレンチコートを纏った男たちが一斉に姿を現した。その数、およそ百名。
全員の顔に、戦闘用の刺青(ペイント)が施されている。
「な、なんだこいつらは!?」
「総員、構え(カ・マテ)!!」
ウィレムの号令が飛ぶ。
黒衣の戦士たちが、一斉に太ももを叩き、舌を突き出し、目を剥いた。
『カ・マテ! カ・マテ! カ・オラ! カ・オラ!(私は死ぬ! 私は死ぬ! 私は生きる! 私は生きる!)』
腹の底から響く轟音。
マオリ族伝統のウォークライ、『ハカ』だ。
大気を震わせる殺気の塊に、英国兵たちの足がガタガタと震え出した。
「ひ、ひぃぃ……ッ!」
「撃て! 撃ち殺せぇ!」
総督が悲鳴交じりに叫ぶ。
英国兵が引き金を引こうとした、コンマ一秒前。
「遅い」
湊が冷たく言い放つ。
黒衣衆たちがコートの下から取り出したのは、バナナ型の弾倉がついた『蓬莱一式自動小銃』。
ダダダダダダダダダッ!!
乾いた連射音が、パーティー会場のBGMを書き換えた。
ボルトアクション銃(手動装填)の英国兵が次弾を装填する間に、黒衣衆は三十発の弾丸をばら撒く。
圧倒的な火力差。
英国兵たちの武器が、腕が、次々と吹き飛ばされていく。だが、湊の命令により「急所」は外されていた。あくまで無力化だ。
「な、なんだその銃は……!? 機関銃を一人で持っているのか!?」
腰を抜かした総督へ、湊が歩み寄る。
護衛の騎士(ナイト)気取りの将校がサーベルを抜いて斬りかかってきた。
「野蛮人がぁぁ!」
「チェストォォ!!」
横から飛び出したウィレムが、腰の日本刀を一閃させる。
甲高い音と共に、将校のサーベルが半ばからへし折れ、宙を舞った。
ウィレムの刀は、将校の首筋寸前でピタリと止まっている。
「……粗悪な鉄だな。我が国の『タチ』には遠く及ばない」
「ひっ……!」
勝負あった。
わずか三分。
大英帝国の精鋭部隊は、たった一人の死者も出せないまま、全員が地面に転がされ、呻いていた。
湊は呆然とする総督の胸ぐらを掴み上げると、涙目で怒鳴りつけた。
「見ろ! あいつらの痛がる顔を! お前らが今まで俺たちにしてきたことと同じだぞ! 痛いだろう! 怖いだろう!!」
「わ、わかった! 金か!? いくら欲しい!?」
「金じゃねえと言ってるだろ! 俺たちが欲しいのは『自由』だ!」
湊は総督を突き飛ばすと、高らかに宣言した。
「失せろ。本国に帰って伝えろ。今日からここは、お前らの牧場じゃない。『蓬莱帝国』という独立国家だとな!」
***
翌日。
ウェリントンの港から、英国船が逃げるように出航していった。
街中の建物には、英国旗ユニオンジャックが引きずり下ろされ、代わりに新しい国旗――南十字星と金色の龍が描かれた『蓬莱国旗』が掲げられた。
「万歳! 皇帝陛下万歳!」
「我らが国万歳!」
通りを埋め尽くす歓喜の声。
マオリも、白人も、アジア人も、肩を組んで歌っている。
皇宮のバルコニーでその光景を見下ろしながら、湊はまたハンカチで目頭を押さえていた。
「うぅ……よかった……みんな笑ってる……」
「やれやれ。建国の初日から泣き顔を晒す皇帝がどこにいる」
ウィレムが苦笑しながら、書類の束を持ってきた。
「だが、泣いている暇はないぞ、湊。イギリス本国が黙っているわけがない。必ず艦隊を寄越してくる」
「ああ、わかってる」
湊は涙を拭い、ニヤリと笑った。
「来いよ、世界最強の海軍(ロイヤル・ネイビー)。
こっちはお前らがまだ見たこともない『空からの死神』を用意して待ってるぜ」
独立戦争の第一幕は終わった。
だが、これはまだ序章に過ぎない。
次なる戦場は、青い海原へと移ろうとしていた。
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