第6話
竜王と「3分待てない」カップ麺論争
『コンビニ・天魔窟店』の最大の武器は、ポーンの戦闘力でも、結界の防御力でもない。
それは、『匂い』である。
店長のカズヤは、レジ横で遅めの昼食を摂っていた。
手に持っているのは、地球が誇る即席麺の王様『カップヌードル(カレー味)』。
湯気と共に立ち上るスパイシーで濃厚な香りは、換気扇を通じてダンジョンの虚無の空気に拡散し、強烈な食欲のテロリズムを引き起こしていた。
「……ん? なんか揺れてないか?」
カズヤが麺を啜ろうとした瞬間、ズズズ……と地面が震えた。
魔物の襲撃か? いや、ミノタウロス撃退以来、近隣の魔物は店を恐れて近づかないはずだ。
ドガァァァァァンッ!!!!
次の瞬間、自動ドアではなく、店舗の壁が爆ぜた。
プレハブの鉄板が紙屑のように吹き飛び、砂煙の中から一人の男が姿を現す。
ワイルドな髭を蓄えた、渋い中年の男。
仕立ての良いコートを纏っているが、その瞳は爬虫類のように鋭く、全身から発する熱気は周囲の空気を歪ませている。
大陸の守護者、調停者の一角――竜王デュークである。
彼は開口一番、カズヤの手元を指差して吠えた。
「その『黄金の麺』を我に寄越せ!!」
強盗である。
ポーンが即座に迎撃態勢に入ろうとするが、カズヤはそれを手で制した。
相手がただならぬ実力者であること、そして何より、その目が『飢えた客』の目であることを見抜いたからだ。
「……お客様。壁を壊しての入店は、大変困ります」
「細かいことは気にするな! 我の鼻は誤魔化せんぞ。その暴力的なまでに食欲をそそる香り……貴様、どこのラーメン屋の回し者だ!?」
実はこの竜王、人間界に潜伏して自ら『麺屋・竜王』を経営するほどのラーメン狂(マニア)である。
ダンジョンの近くで惰眠を貪っていたところ、漂ってきたカレーヌードルの香りに理性を焼かれ、壁ごと突っ込んできたのだ。
「ラーメン屋というか、コンビニですけど……。同じ商品はこれですね」
「うむ! 金なら払おう!」
デュークがカウンターに放り投げたのは、純金の延べ棒だった。
カズヤは無言でそれを受け取り(過剰入金だが、壁の修理費だ)、新品のカップヌードルにお湯を注いで渡した。
「蓋をして3分。お待ちくださいね」
「3分だと? ふん、我に『待て』を強要するか?」
デュークは鼻を鳴らし、わずか1分も経たないうちに蓋を剥がそうとした。
彼の持論は「熱きものは、より熱いうちに喰らうべし」。
だが、その手がカズヤによってガシッと掴まれた。
「……何をする。貴様、我の腕を掴んでタダで済むと思っておるのか?」
「ダメです」
カズヤの目は笑っていなかった。
そこには、一介の店員を超えた、職人のごとき厳しさがあった。
「お客様。この麺は、開発者たちが血の滲むような努力の末に計算した『3分』という魔法の時間によって完成するのです。早すぎれば麺は硬く、スープと絡まない。それは食材への冒涜です」
「な、なんだと……?」
「最高の状態で食べてこそ、この麺への礼儀! それが出来ないなら、当店の商品はお売りできません!」
カズヤの気迫に、竜王がたじろいだ。
世界最強のドラゴンを前にして、一歩も引かないカップ麺へのこだわり。
デュークは、カズヤの目に自分と同じ『求道者』の光を見た。
「……よかろう。その3分、我が待ってやる」
長い沈黙。
チッチッチッ……と時計の針が進む音だけが店内に響く。
そして3分ジャスト。
「どうぞ」
「……いただく」
デュークは蓋をめくり、フォークで麺を持ち上げた。
適度にスープを吸い、ふっくらと仕上がった縮れ麺。とろみのついたカレースープが黄金色に輝いている。
彼はそれを一気に啜り込んだ。
「――――ぬぅッ!!?」
衝撃が走った。
豚骨でも鶏ガラでもない、化学調味料とスパイスの複雑怪奇な旨味の奔流。
ジャンクゆえの背徳的な美味さが、竜王の舌を蹂躙する。
ジャガイモのホクホク感、謎肉のジューシーさ。全てが計算されている。
「う、美味い……! なんだこれは、我が数百年かけて追求したスープとは全く別ベクトルの完成度……!」
デュークは一心不乱に麺を啜り、スープを最後の一滴まで飲み干した。
そして、満足げに息を吐く。
「……認めてやろう。3分待った甲斐はあった」
「気に入っていただけて何よりです」
「店主、名は?」
「サエキ・カズヤです」
「カズヤか。……我はデュークだ。覚えておけ、貴様は今日から我の好敵手(ライバル)だ」
竜王はニヤリと笑うと、懐から一枚の巨大な鱗を取り出し、ドンと置いた。
『竜王の逆鱗』。最強の素材であり、彼の友誼の証でもある。
「壁の修理代と、チップだ。また来る。次は『シーフード』とやらを用意しておけ」
そう言い残し、デュークは壊れた壁から風のように去っていった。
後に残されたのは、粉砕された店舗の壁と、国宝級のアイテム。
そして、システム音。
『ピロリン♪』
『善行を確認。対象:竜王デューク』
『評価:食文化への蒙を啓き、食育を指導』
『獲得善行ポイント:150,000P』
「……ライバルって言われてもなぁ」
カズヤは壊れた壁を見上げ、溜息をついた。
だが、その顔は少し誇らしげだった。
カップ麺の美味しさが、種族を超えて伝わったのだから。
こうして、魔王に続き竜王までもが常連となり、コンビニ・天魔窟店は名実ともに『魔境の社交場』となりつつあった。
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