第3話水浸しの残響と、二度目の「転落」

第2話の引きを受けて、永井の心理状態と状況の悪化を描く第3話


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## 第3話:水浸しの残響と、二度目の「転落」


永井は、エレベーターの中で七海の幻影に指差された後、何が起こったのか理解できずにいた。七海は一瞬で霧散したかのように消え去り、エレベーターは再び動き出し、最上階に到達した。


屋上は、凄まじい土砂降りだった。


「……悪夢か、疲労のせいか」


永井はそう自分に言い聞かせ、雨具も着けずに屋上に踏み出した。彼が恐れていたのは、七海の亡霊ではなく、七海が指差した場所――エントランスホールへの影響だった。


屋上には、警察官数名と鑑識が立っていた。土砂降りのため、現場は既に水浸しで、証拠らしきものは雨水に流されているように見える。


「永井課長、お疲れ様です。身元確認、ありがとうございました」


担当刑事が疲れた顔で言った。


「いえ、もう済んだんですよね? 彼女は……本当に死んだんでしょうね?」永井は確認するように尋ねた。


「ええ。前回(昨夜)の火災とは別に、**今しがた、屋上から転落死体が発見されました**。それが、どうやらあの志乃原七海さんだと思われます。衣服や所持品から見て間違いないでしょう」


永井の背筋に冷たいものが走った。**二度目の転落?** 昨夜、彼女は焼死したはずだ。そして、エレベーターで見たのは幻覚だったのか?


「現場検証は完了しました。遺体は搬送中です。課長、一つ確認ですが……」刑事が永井の顔を覗き込んだ。「**朝からこんな土砂降りなのに、なぜかこの屋上だけ、水はけが異常に良い**。まるで、誰かが水流を操作しているかのように、地面が乾いているんです。おかしいと思いませんか?」


永井は思わず自分の足元を見た。彼の革靴が触れるコンクリートは、他の場所が水たまりになっているにも関わらず、**ほとんど濡れていなかった**。まるで、彼が立っている場所だけ、昨夜の雨が嘘だったかのように乾いている。


「私は……気づきませんでした」


「そうですか。まあ、お疲れでしょうし、事務所に戻ってください」


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時刻は平日午後。雨は一向に止む気配がなく、むしろ強まっている。永井は急いで事務所へ戻ろうとエレベーターホールに向かった。


エレベーターの扉が開き、中から飛び出してきたのは、制服姿の若い女性社員だった。


「課長大変です! 屋上から女性が転落したそうです!」


永井は心臓が停止したかと思った。


「**なに?** うちの屋上でか?」


「はい! 警備員が発見したばかりで、まだ動かなくなったばかりで……。**彼女、まるで水に濡れているみたいにベタベタしていて……**」


永井は、エレベーターの中を恐る恐る覗き込んだ。


中には誰もいない。だが、湿った空気が事務所内に流れ込んできた。そして、床には、水たまりではなく、**黒く焼けた繊維のような、焦げた跡**が、まるで細い線を描くように広がっていた。


それは、**昨夜、七海が火を放とうとしたガソリンの跡**に酷似していた。


永井は理解した。七海は死んでいない。彼女は「焼き尽くされる」ことと「転落する」ことを、**時間差で、あるいは同時に**、現実と非現実の間で反復させられているのではないか?


そして、今、彼女は、**物理的な現実**に戻ってきたのだ。

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