第6話:優しき少年
村の裏手へと続く道を進んだ。
目指すは村人たちが恐怖に震える山。その入り口は、まるで世界の境界線のように、不気味な静寂に包まれていた。
昼間だというのに薄暗く、湿った土と腐葉土の匂いが立ち込めている。奇妙なことに、鳥のさえずりも虫の音もほとんど聞こえない。
普通の冒険者なら、この異様な雰囲気だけで踵を返すだろう。だが、俺には科学の力がついている。俺は右腕のリムドを起動させ、半透明のホログラムスクリーンを空中に表示させた。
「『SCAN』実行。生体反応をサーチ。ターゲット、推定年齢十歳前後、男児。服装は茶色の麻の上着とズボン」
俺がそう呟くと、リムドは微かな電子音を発し、スクリーンに緑色のグリッドが走った。山の地形が立体的にマッピングされ、無数の光点が点滅を始める。そのほとんどは、木々や小動物などの小さな生命反応だ。この中から、たった一人の少年を見つけ出すのは骨が折れる。
「フィルター設定。人間に絞り込み。熱源パターンを人間に最適化」
スクリーン上の光点が大幅に減る。それでもまだ、候補はいくつか存在した。俺はマッピングされた地形と、村で聞いた情報を照らし合わせながら、少年が向かいそうなルートを予測する。薬草を探しているのなら、沢沿いや開けた場所の可能性が高い。
山道なき道を進む。
SCANの反応を頼りに、山の奥深くへと分け入っていく。村からかなり離れた、険しい崖が連なるエリアに差し掛かった時だった。
「……いた!」
スクリーンの一点に、条件に合致する生体反応が点滅していた。崖の中腹、わずかなくぼ地だ。こんな場所まで、子供の足で来たというのか。俺は慎重に崖を登り、反応が示す場所へと近づいた。
岩陰を回り込んだ先、その少年はいた。
泥だらけの服で岩壁に必死にしがみつき、何かを採ろうと手を伸ばしている。
彼の名は確か、ティム君だったか。
その姿は母親が語った通りの、素朴で健気な少年そのものだった。幸い、怪我をしている様子はない。ただ、母親を思う一心で、自分がどれほど危険な場所にいるのか、全く気づいていないようだった。
俺は足音を立てないようにそっと近づき、優しく声をかけた。
「ティム君、だね?」
「えっ!?」
俺の声に少年はびくりと肩を震わせ、驚いた顔でこちらを振り返った。その瞳には、見慣れないカウボーイ姿の俺に対する強い警戒心が浮かんでいる。
「だ、誰だアンタ! なんで俺の名前を……!」
ティムは慌てて採りかけの植物を背中に隠した。無理もない反応だ。俺は両手を軽く上げて敵意がないことを示し、安心させるように微笑んだ。
「大丈夫、怪しい者じゃない。君のお母さんに頼まれて、君を迎えに来たんだ。村のリナさんの息子さんだろう?」
母親の名前を聞いて、ティムの表情が少し和らいだ。しかし、まだ警戒は解けていない。
「お母さんが……? でも、どうしてアンタみたいな旅の人が……」
「お母さん、君が帰ってこないから、すごく心配していたんだ。もう夕方だしね。それで、俺が探しに来ることにしたんだよ」
そう言うと、ティムはハッとしたように空を見上げた。太陽は既に西の山に傾きかけている。夢中になるあまり、時間の経過に気づかなかったのだろう。
「そっか……もう、そんな時間か……」
ティムはバツが悪そうに俯いた。
俺はその小さな背中に近づき、隠していた植物を覗き込んだ。それは、青紫色の小さな花をつけた、見たことのない薬草だった。
「それを探していたのかい? すごく珍しそうだね」
「うん……。これ、万病に効くっていう薬草なんだ。この崖の上にしか生えてないって、昔、父ちゃんに教えてもらったんだ」
ティムは少し誇らしげに、しかし寂しげにそう言った。
「お母さん、最近ずっと咳をしてて、辛そうで……。これを煎じて飲ませてあげたら、きっと元気になると思って……」
「そうか……。お母さん思いの、優しい子なんだな」
俺は頭をそっと撫でた。だが、同時に諭すように言った。
「でもどうしてこんな危険な場所まで一人で来たんだ? この山には、化け物がいるって聞いているだろう?」
その言葉に、ティムは少しむっとしたように唇を尖らせた。
「だって、最近はゴブリンも全然出なくなったんだ! だから、山の奥まで行っても安全だと思ったんだよ。それに、ここらに生えてる薬草は本当に珍しいんだ。これを売れば、お母さんに楽をさせてあげられる。僕が頑張らないと……!」
なるほどそういうことか。
魔物がいなくなったことで、かえって子供の警戒心が薄れ、行動範囲が広がってしまった。そして母親を助けたいという一心で、危険を顧みずに山の奥深くまで来てしまったのだ。
この子の行動は軽率だったかもしれないが、その動機はあまりにも純粋で、胸が締め付けられる思いだった。
ティムの目線まで屈み、真剣な眼差しで語りかけた。
「君がお母さんを大切に思う気持ちは、よく分かった。本当に立派だと思う。でもね、ティム君。君のお母さんにとって、一番の薬は、君が元気でそばにいてくれることなんだ。君に万が一のことがあったら、お母さんはどんな薬よりも悲しむ。それだけは、分かってあげてほしい」
俺の言葉に、ティムは大きな瞳を潤ませ、やがてこくりと頷いた。自分のしたことが、母親を喜ばせるどころかどれほど深く悲しませ、心配させていたかに気づいたのだろう。
「ごめんなさい……」
ぽつりと呟かれた謝罪の言葉。
「謝るべき相手は君のお母さんじゃないかな」
「うん……」
「さあ、帰ろう。お母さんが待っている。その薬草も大事に持って帰ってあげなさい」
俺はティムの手を取り、村への帰路についた。
ティムの小さな手は、少し冷たかった。
帰り道、山の頂の方から、地の底から響くような、低く長い雄叫びが聞こえた気がした。ティム君がびくりと俺の腕にしがみつく。
「大丈夫。俺がついてる」
安心させるように力強く言った。
化け物の脅威は、まだすぐそこにある。だが今は、この心優しい少年を、心配する母親の元へ無事に送り届けることだけを考えよう。
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