第3話 コンクール会場

 〇


 去年と同じ文化センター。

 天気は……去年は土砂降りで、今日は快晴。

 去年は暗くて、奥行きががよく分からなかったけれど、大きい。明るい中でもその大きな印象は変わらなかった。


 でも、『大きい』、ただそれだけだ。アタシが突然下手になるわけでも、突然上手になるわけでも、フルートが割れたりするわけでもない。


 積み上げたものを見せるだけ。いや、違うか。聴かせるだけ。

「ふふっ」

 心の中で、感想に入れたセルフツッコミに、少し笑いが漏れる。

「うわあ……」

「なんですか」

 師匠が、なんだか嫌悪感を含んだ表情でこっちを見ている。

「いや、なんか笑ってるから気持ち悪いなって。悪役みたいよあんた」

「そ、そうですか」

「ま、いいわ。勝てば主人公よ。行きましょ」


 受付を済ませて控室へ。

 会場は違うけれど、楽器クラブで参加したアンサンブルコンテストと、同じような楽屋だった。

 出番の順がくる少し前になったら、もう1つの控室へ。

 音を出すのはその2番目の控室。

 そのすぐ後、出番直前に舞台袖へ。

 どっちも、係の人が呼びに来てくれるらしい。


 控室の中は、まあざわざわと。

 ドレス姿の女の子、セーラー服の女の子、学ランを着た男の子。

 それに付き添う保護者に指導者。

 午後の出番は15人で、その先生が必ずいるから、最低30人。良く見れば、複数の大人が付いている子もいるから……40人くらいか。

 みんな、そこまで大きな声で話しているわけではないが、これだけいればそりゃ多少はうるさくもなる。


「やかましいわね。あんた、黙らせなさいよ」

「ちょ、師匠、何言ってるんですか」

「あたしならロングトーン一発で黙らせるわよ」

「……。ここはまだ、音出し禁止です」

 突然の師匠の無茶ブリにも、冷静に返す。

 この人は、冗談で言っているのか分からない時もある。

「ふん。後で、あんたの音で全員叩きのめしなさい」

 ……師匠のこれはたぶん本気だ。


 アタシと師匠は、人込みを避け、大勢の参加者が見えるすみの一角に、壁を背にする。師匠が、椅子を2つ持ってきてくれたので遠慮えんりょなく座る。

 硬い表情の子供――参加者が多い。


 あ。

「ねえ師匠」

「ん~~?」

「あれ、やってくれません?」

 アタシと師匠の目線の先には、深く息をする子供。その子供――参加者の硬さをほぐすかのように、その子の両肩に手を置く指導者。


 別に不安があるわけではないけど、アタシも、師匠から安心をもらいたかった。

 ところが、師匠は。 

 宙を見て、ほんの少し、考えるそぶりを見せたあと、

「……あんた、あんなの要らないでしょ。さっきハグしたから、あれで終わり」

 そんなことを言い出す。

 甘えさせてくれてもいいのに


「え~~。やってくれないと勝てないなあ」

 師匠は、もう一度少し沈黙して。

 ゆっくりと口を開いた。


「あんた、この1週間、課題曲の運指うんし、何回間違えた? ああ、疲労で動かなかった分は抜いて良いわよ」

「音ミスった記憶がないから、多分0回です」

「アンブシュア、何回間違えた?」

「音ミスった記憶がないから、多分0回です」

「ビブラート、何回間違えた?」

「師匠の細かさを出せないから、結構……数えきれないくらいミスってます。……でも、ベストはくしてます」

 励ましてくれるのかと途中までは思ったのに、なんでアタシと自分の差が一番出る部分を言うのかなあ……。

 アタシはふと、そんな風に不満を感じる。


 師匠は、無表情で続ける。

「1年前を思い出しなさい。1週間で、運指うんし何回間違えた?」

「数えきれません……」

「アンブシュア、何回間違えた?」

「数えきれません……」

 淡々と。

 まるでチェックリストを確認するように師匠は言う。


「ビブラート、何回間違えた?」

「あ、それは0です。1年前のアタシ、ビブラートのかけ方知りません!」 

 仕方ないだろ、独学では、教則本きょうそくほん何回見ても上手くいかなかったんだから。

 こんなに重要なものだとも知らなかったし。


 師匠はにやりと笑って、続けた。

「今日、課題曲かだいきょくをアンタより練習してきたやつは?」

「う~~ん……。わかりません。みんな頑張がんばってると思います」

 ずるっと。

 アタシの答えに、師匠は大げさにずっこけた。

 わざとらしく。

「あんたねえ、そこは『0です』って答えるところでしょうが」

 あ、なるほど。ネタ振りを理解していなかった。

 それでも、師匠からは

 --本気でそう思っている。そして、アタシにもそう思っていて欲しい。

 そんな熱を感じる


「最後に訊くわ。負ける要素は?」

「0です」

「よし」

 多分、師匠は、他人と同じことをするのが嫌なのかもしれない。

 視界にそれが無かったら、アタシの肩に手を置いてくれたのかな。


 肩に置かれない手に信頼を感じる。


 きっと、師匠はそれでいいと判断していて。

 師匠がそれでいいと判断したなら、それでいいのがアタシだ。


 〇


 最初の控室から、演奏のために人がどんどん消えていく。

 残される人達の口数も減る。

 師匠は途中で「静かになって結構ね」と言っていた。

「36番の初鳥はつとりさ~ん」

 開いたドアから、そんな呼びかけをされる。

 アタシの番だ。

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